Azul period
- ナノ -
転機が訪れたのは3月12日。
解決事務所へと送られてきた、何も知らなければ心躍るような招待状だった。
3月14日という休日の宿泊券で、共和国南海のプライベート・リゾートへの招待状が送られて来たのだ。

皆様の探し物はこちらに──週末、お越しをお待ちしております。
 ネメスリゾート・オーナー《E.H》

そう綴られた手紙の他に、封筒に入っているのは高級リゾートの人数分の宿泊券。
それもアニエスや裏解決事務所を任されている二人だけではなく、イーディスでの調査を延長していたノアの分もだ。
──つまり、本来ならばバーゼルに居るはずの自分が仕事で期間限定で裏解決屋の面々と合流していることを知られていることになる。


「招待状……?えー、ただのバカンスならいいけどこれ、絶対ヤバそうなやつじゃん〜」
「E・H……絶対アイツじゃねぇか。なるほど、捜査上に上がってきた流通された外殻の一つをコイツが持ってる可能性が高いのか。この手紙を送ってくるくらいだ」

ナーディアとスウィンは顔を顰め、たまたまこの調査の間だけはヴァルターとの協力体制を終えて居候をしていたノアを見上げる。
ノア個人としては、依頼がなければ積極的にアルマータの遺産に関わる必要は無いのだが、カトルが関わっている・或いは彼も呼ばれているなら話は別だ。

まったくもって嫌な予感しかしない。
今朝から導力ネットの海を解析、ハッキングしていたが、そこに出所不明のリークがあったのだ。
アルマータの遺産について、という関係各所をおびき出すような餌が。

通信でカトルにも招待状が来ていると知った以上、ノアの選択肢はこのネメスリゾートに行く、しかなくなっていた。
普段弟分の保護者はヴァンに任せていることになるが、流石に稀代の犯罪者であるハーウッドが絡んでいる件を無視するわけにはいかなかった。


──当日の天気は憎たらしい程に快晴。絶好のバカンス日和だ。
これがハーウッドの誘いでなければどれほどよかったかと強く思う。
荷解きを終えて、仕事のやり取りを終えたノアは案内された部屋のカーテンと窓を開く。
鼻をふわりと掠める潮風に、眩い陽光。
そして、既に遊び始めている裏解決屋の面々。
素直に遊んでいていいものかと肩を竦めつつも、ずっと緊張しっぱなしというのも良くないかと浜辺で遊ぶ弟分に視線を向けて。
視界に今入るべきではない──というよりも全く予期していなかった人物にぎょっと目を開く。

どうやらお供も居なければ、格好も周りに馴染むような水着を着ているようだが。
問題がそれで帳消しになる訳ではない。
上着を脱いだノアは急いでコテージを出て、浜辺へと駆けていく。
向こうはとっくに居ることなんて知っていたんだろう。「やっと来たね」という声が聞こえそうな顔で手を振ってきた。

「……おいおい、《斑鳩》もなんかの仕事で絡むのかよ……」
「久しぶりだね、ノア!」

まるで遠距離恋愛で再会する二人のように見えるが、そうではないのがノアとシズナの微妙な関係性だ。
黒を基調とした水着を身に纏い、ビーチチェアに座っていたのは斑鳩の副長であるはずのシズナ・レム・ミスルギだ。
更にその隣には結社の執行者の一人、ルクレツィア・イスレまで居る。
格好だけで言うのなら馴染んでいるが、存在感は全く馴染んでいない二人に、この島で何かが起きることなんて更に確定したものだと溜息を吐く。
ルクレツィアはノアの顔をまじまじと見つめ、ヴァルターの面倒を一か月前に見てくれた青年ににこりと微笑む。

「あら、お姫さんの婚約者になってんやって?おめでとう、旦さん」
「おい待て待てルクレツィア。お前がここに居るのも嫌な予感がするが、その誤解はシズナ本人からか!?」
「そこまでは言ってないよ。ノアから来ることがないからあとで連れまわそうとは今話してたけど」
「俺を連れまわす前提かよ」

行かないと突き放すわけでもなく、はいはいと受け流しつつシズナの我侭を聞くつもりであるだろうノアの言動に、ルクレツィアもゆるく弧を描いた笑みを浮かべる。
ノアとのやり取り自体は初めてではないが、シズナの件での話や、その対応を実際に目にするのは初めてだった。
底冷えするような恐ろしく美しい猛虎の爪も、静かに見えて人を遠ざけるような雷雲の風で流すような。
そんな相性の良さを二人に感じ取ったのだ。
お互いがその相性の良さを言語化するわけではないが、本能的に感じ取っている部分なのだろう。

「お前らも何で水着でバカンスしてるんだ。……というか、海辺で遊ぶって概念があったんだな」
「慣れていないから彼女に遊びのいろはを学んでいた所なんだ。あまりこういう機会は無いからね。クロガネ達には黙って前入りしたけど、君にこの水着も見せられたなら良しとしようかな」
「水着とか、そういうの着るんだな」

期待するような眼差しに、ノアは頭を押える。
似合っていると褒めてくれていいんだよ。まるでそんな声が聞こえてくるようだった。
確かに反射的にそう思いはしたが。
それを素直に口にすると少々厄介なことになりそうな直感があり、ノアは頭を掻くばかりでその誉め言葉を口にしない。

「はぁ……」
「お兄さん、たじたじやねぇ」

──周囲に聞いていた話より、実際に目にした方が面白い二人だ。
シズナの興味関心は天秤に少しでも闘う興味が乗ると、相手を委縮させるような殺気というものが混じる。
だが、ノアに対してシズナの雰囲気は"普通の女性"のように見える。

シズナの話題から話を逸らしたそうに視線を後ろに向けたノアは、呆れたように視線が自分に突き刺さっていることに気付いた。
遊んでいたはずのアーロンとカトルがシズナとの会話が気になり過ぎて、遊ぶ手を止めて会話を聞いていたのだ。
以前からこの二人の関係性は大いに気になる所があったが、聞くタイミングを間違えるとシズナに絡まれかねないからだ。

「……バカンスでイチャつくとか見せ付けてくれんなよな」
「何ならあの二人の間に入って俺の代わりに両手に花するか、アーロン」
「……あー、遠慮するわ。こっちは煌都であの剣聖が付いてきただけでお腹いっぱいだっての」
「そうだったのか。煌都に何しに行ってたんだ……?」
「アルバイトしたり、長期休暇を楽しんでる風だったが……つーか何でアンタが知らねぇんだよ。逢い引きしようと思わねぇのか」
「ノア兄もシズナさんとマメに連絡取ってるわけじゃないんだね」
「……カトルにまで自然とそう思われてたってことに今衝撃受けてるんだが……」

アーロンに嬉々としてつつかれるのは時折オッサンと呼ばれることもあってやり返したくなるのだが。
弟分にそう思われているのは心外とまでは言わないが、兄心としては複雑だ。
知り合いという一言では片づけられないのだが、頻繁に連絡を取り合う訳では無いのは確かだ。
カトルに「アーロンとか他の奴と離れるなよ」と声をかけたノアは背を向けて歩き出し、コテージの方へと戻っていく。
その背を追いかけるように、ビーチチェアから起き上がって駆け出したシズナの姿に、ルクレツィアも「あらあら」と笑う。
彼女が興味のあるものに向かって突き進むのは決して珍しくはないが、まるで通い妻のようだと感じるのだ。

「ルクレツィアにバカンスの仕方を教わらなくていいのかよ」
「大体のイロハは学んだし、ノアもバカンスを楽しみなよ。君、ずっと仕事してただろう?」
「……シズナにそう言われるとはな」
「ふふ、君は家族の件が関わると真面目になっちゃうからね。ねえノア。車の運転出来るかい?」
「あぁ、勿論……はいはい、ドライブで助手席に座るから運転よろしくってことな」

カトルが居ることもあり、肩の力を抜けていなかったことを正面から指摘してくるのがシズナだったのが彼にとっては意外だった。
自由奔放で正直人を気遣うとかそういう回路がそもそも少々欠けていて、難があるのが彼女であるのだが──一番の目的が一緒にドライブするという自分の楽しみなのだとしても。
やはりその気遣いは、少々生真面目なノアにとって心地が良かった。

「ふふ、分かってるじゃないか。君、バーゼルから来る時は車で来ないからなかなか運転する所に出会わなかったしね」
「って、その水着のまま乗るのか?」
「何かまずいかい?」
「……」

ノアはシズナを頭からつま先まで見て。
不味くはないが、不味い。と、心の中で呟く。
彼女は見た目だけで言うのなら、整った顔立ちで深層の令嬢に見えなくもない美しさだ。瞳の奥には冷厳さも揺らめく相反するものが存在しているのがシズナという女性なのだが。
その彼女が普段身に纏っている衣服を脱ぎ、惜しげもなくくびれや胸元を晒している格好をしている。
シズナの本質を知らない人が、水着のまま助手席に乗せている男を見たら率直に想うのが『美人を侍らせているチャラい男』だろう。

「お前のことを知ってる奴しかいないからいいか……」

既に助手席に乗ってわくわくした顔をでドライブを待っているシズナに、ノアは観念したように運転席へと入る。
アクセルを踏んで車を走らせると、潮風が肌を撫でる。
イーディスの高速を走ったり、バーゼルからイーディスへ向かう道をドライブするのもいいのだが、海際を走るドライブはまた格別だ。

「んー!風が気持ちいいね〜!ノアまでこの島に来たのは少々意外だったけどね」
「カトルにその話を聞いて、エスメレーからこのネメスリゾートに"偶々行く"って話を聞いちまったら来るしかないだろ」
「君は身内の為に頑張るからね。そこがノアらしいんだけど」

ノアの美徳を、シズナは理解している。
正義の為に行動をする訳では無いが、彼なりに大切にしているものに危害が及ばないように行動する。
ヴァンほど筋さえ通っていれば各方面にある意味平等という訳ではないが、それでも闇夜に紛れて狭間を生きる者にも心地が良い。

「……なあシズナ」
「ん?」
「……いや、無粋なこと言うのはやめとくか。その水着、似合ってる」
「……」

──《斑鳩》として何をしに来たのだとか。斑鳩は何を把握しているのかだとか。
破戒に関係している内容をこの場で聞くのではなく。
水着を似合っているとだけ空を切る音に紛れそうな声を大きさでぼそりと褒めて、ハンドルを切る。

まるで何も言っていないとでもいうような表情で褒めてそのまま運転し続けるノアに驚き、シズナは景色ではなくノアの横顔を見つめて微笑む。
彼は一見素っ気なく映るが、実際の所、愛情深い所が伺える。
頻度は多くなくとも、それを感じられるからもっと追いかけてみたくなるのだろう。
人と深く関わることを恐れて、最後の一線を守ろうと立ち止まってしまう彼に、手を伸ばしてあともう一歩をこちらから踏み出したくなる。

「折角なら後でバーにでも行くか」
「勿論!君とのデートなら大歓迎だよ」

──誰かを不幸にするか、幸福にするかではなく。
誰と居たいか。基準はそこだけだよ、ノア。
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