Azul period
- ナノ -
リバーサイドにあるベルモッティの店の扉がこの日カランとドアベルの音を立てて一人の客を招き入れる。
しかし、バーにはあまり似合わない出で立ちの青年の格好は神父用の礼服だ。

「あらいらっしゃい!今日は一人?リオン君が珍しいわね〜」
「たまには一人でカクテルを味わって羽を伸ばすのも良いかと思いまして」

来訪者である神父、リオン・バルタザールがこの場に似つかわしくないどころか、素の性格はこういった場所も似合う人物であることをベルモッティも理解している。
セリスはともかく、アンジェの姿もないのがベルモッティの中では非常に珍しく思えた。

「あ?似非神父じゃねえか」
「おや、アーロン君ですか。顔見知りの先客が居たとは」

ベルモッティの視線の先には目の前のカウンターバーに座ってカクテルを煽るアーロン・ウェイの姿があった。
ヴァンと行動を共にしたことはあるが、それ以外の解決事務所メンバーとあまり縁が深い訳ではなかった。
話は合いそうではあるが、積極的に干渉しない立ち位置を取っているのが教会に属するリオンの距離のとり方だった。

「しかし、アンジェが居ねえのが違和感あんな。何時もセットだろうが、アンタら」
「アーロン君にまでそう思われていたのは意外ですね」

アーロンの問いかけに答えながら、自然な流れで彼の隣に座ったリオンはベルモッティにオススメのカクテルを頼む。
何時も裏解決屋の面々と顔を合わせる時は、師弟関係にあたるヴァンが居てコンタクトを取ることが殆どだった。
仮想空間である庭園でのやり取りやこれまでの経験もあって漸く知人と認識する位にはなってきていた。

「意外も何も……アシェンやフェリ達でさえ塗り替えられた侵食を拒んでまで守ろうとしたのは、流石に"普通"の信頼じゃねえだろ」
「……彼女と僕の縁を覆すためには10年以上の時を遡って改変する必要があるからでしょうけど。まあ、そうですね……深手を負ってまで信頼してくれる人はそう出来ないでしょうね」
「そこの所かなーりアタシ的には気になるけど……はいこれ、オレド産のオレンジを使ったカクテルよ」

リオンとアンジェの間にあるだろう恋慕と信頼。アンジェからリオンへの感情は、本人は隠しているつもりのようだが非常に分かりやすい。
しかし、リオンからアンジェの感情というのは、彼が敢えて濁しているように映った。だというのに、彼女に絡み付く感情は外敵を退けるように冷たい氷の茨のようだ。
それが答えのように見えるが──リオンにそのことを直接言及し過ぎるのは現段階でタブーなのだろう。
付き合いの長いセリスさえも、二人を今の形でそういう物だと認識しているほどなのだから。

「つうか自然にカクテル飲んでるが、神父だろうが……アンタと違って向こうは普通のシスターらしいっつーのに」
「神父でもシスターでも適度な節度を持って飲むくらいはしますよ。……しかし、アーロン君には普通のシスターらいく見えるんですね?」
「あん?」

リオンの含んだような言葉に、アーロンは怪訝そうな顔で彼を見る。
オレド産のオレンジの果実が入ったワインベースのカクテルのグラスを傾けながら、リオンは数年前の記憶を思い出す。

「……オレドで一度、潜入捜査のようなことがありましてね。僕は別行動で情報収集し、アンジェさんが普通のシスターとして派遣される形でその教会に入ったんです」
「へえ、随分と似合いそうだな。アンタら二人と違って普通にシスターしてりゃ、本当にそれっぽく見えるだろ」
「そうねぇ。あの子がミサに居るのすごく似合いそうね」
「……、えぇ。恐らくそうでしょうし、本人もそのつもりだと思います」
「んだよ。含みがあんな」

アンジェが普通の、模範的なシスターに見えるような立ち振る舞いと性格をしているのはリオンやセリスも同意する所だ。
しかし、根本的な所で彼女には問題がある。

「当時の話ですが……アンジェさんという新しく入ったシスターに許しを乞いながら話を聞いて貰っていた男が、必要以上に執着するようになりましてね」
「……ストーカーになったってことかしら?」
「まあ言い方を変えれば。……ただそれが一人では無かったんですよ」

教会に向かう、ではなく、アンジェに会いにいくことを目的とし始めた男が複数いるのは、ただの恋慕というものでは無い。
潜入する教会に赴任してさほど長い時が経ったわけでもないのに、その光景は異常に映るものだった。

「アンジェさんは別に普段通りだし、人の痛みに触れながらも、ある意味責任は持たずに接している筈……なのに、彼らは勝手に狂って行くんですよ」

アンジェが意図せずとも、信者は精神を病み、身を滅ぼす。
シスターとして神の導きを示すどころか、悪魔を崇拝させるような在り方は余計、教会の中で異端であると浮いて見える。
それは彼女が生まれ持ってしまった魂の性質と言っても過言ではないだろう。

「生まれ持った性質ってヤツか。空の女神じゃなくて、アンジェ自体が信仰対象に思われんのか」
「うーん、リオンちゃんと行動してる所しかアタシも会ったことないからいまいち実感がないけど」
「……オレも"そんなのは有り得ねぇ"とは言えない身だからな。……そういう空気っつーか、在り方っていうのは、幾らオレはオレだから関係ねえと思いたくても、有り得るんだろ」
「ええ。僕は昔から接してますし、アンジェさんを普通の一人の女性だと思っているのでそう感じたことはないですが、彼女にはそういう性質があるようですね」

アンジェという女性がリオンの隣に居る時にそういう風に見えないのは、彼に恋をしている彼女は一人の女性なのだ。
神のような──悪魔の柱の対象として崇められたその人が、そこから降ろされた。

ただ、リオンが居なければその生まれ持った性質が無くならない以上、彼女は悪魔であろうと怨霊であろうと、心がささくれだって脆くなった人であろうと。
無意識に引き寄せてしまう。
そして救いを差し伸べる訳でもなく、完全に拒絶する訳でもなく、本人を中心とした外側で勝手に身を滅ぼしていく。
まるで、その存在を知ってしまったこと自体が間違いだったかのように。

「けど、それを知っても貴方としては"大したこと"じゃないのね。やだー色男じゃない!」
「ヴァンといい、惚れた女も、ある意味拗らせ方もこっちはこっちでめんどくせえな」
「ヴァンさんと同じにされるのはかなり心外なんですが……まあ、あぁはならないようにと肝に銘じておきましょうか」
「めんどくせえって認めてんじゃねーか。どいつもこいつもだりぃな」

惚れてることを素直に認めて腹を括りきらず、自身の事情で濁している面倒臭い在り方は兄弟弟子らしいと呆れたようにアーロンは肩を竦め、リオンが頼んだクリームチーズの乗ったクラッカーを口に放り込む。
そして、面倒臭いことはリオンも否定せず、オレンジの香りが鼻に抜けるカクテルを飲み干すのだった。
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