Azul period
- ナノ -
アルマータの遺産と名付けられたものがヴァン達の追うゲネシスと呼ばれる謎の装置、紅のフラグメントであることが判明した。
不可思議な現象が起きるとしても、其れに対しては教会は古代遺物ではないとしてノータッチの方針だ。
とはいえ、一連の事件が終わりを迎えていない中で、本当に古代遺物が一切関与していないとは言いきれず、調査は続行中だ。

「この招待、本当に大丈夫なんでしょうか……」
「……十中八九罠だろうな。アタシらだけが招待されてるかは知らねーけど、何かを起こす気なんだろ」
「このイニシャルと、今日情報網に引っかかり始めた情報……きっと、結社のエルロイ・ハーウッドでしょう。……本当に心底ろくでもないでしょうね」

イーディスの教会宛に届いたリオン・バルタザールとセリス・オルテシアへの招待状。
知らせを聞いて受け取りに行った三人は、教会の一室で顔を曇らせる。
このタイミングで怪しげな高級リゾートへの招待状を送ってくるE・Hのイニシャルに覚えがあるとしたら彼のみだ。

怪しげな招待に乗らない訳にもいかず、この誘いに敢えて乗ることは即決だったが、何が待ち受けているかは不明だ。
危険を伴うことから最低限の人間だけで行くとして、二人が連れて行くのはリオンの従騎士であるアンジェだけだった。

「僕としてはこんなあからさまな罠に、アンジェさんを巻き込むのは……」
「それは無しですよ、リオン君」
「……ですよね。危険を承知で同行をお願いします、アンジェさん。セリスさんの方は、よろしいでしょうね?」
「あぁ、何かあっても取り敢えずこの戦力なら乗り切れるだろ」

各地で起きているという事件の影にエルロイ・ハーウッドが居たと言うなら、これまで起こしてきたことのクライマックスなのではなく。
これからが更に警戒していかなければいけない状況なのだろうと、教会が判断するのも早かった。
最大限の警戒と共に、準備を整えた二日後の週末。
共和国の南端に位置する高級リゾート地──下手したら死地になりかねない場所へと、三人は出発した。


「高級リゾート地と言いますが、何が出ることやら」
「……」
「……アンジェさん?」

島に降り立ち、高級ホテルに広大なプライベートビーチ。それから波の音と、ウミネコの鳴き声とのどかな光景を眺めながら、アンジェはふるりと身体を震わせる。

──何だろうこの、どうしようもなく逃げたくなるような悪寒は。
本能的に嫌だという感覚を抱くのは、滅多にない。
理由は分からないけれど、"絶対にこの島に居ない方がいい"と感じるのだ。

顔色の優れないアンジェの表情に、リオンは顔を曇らせる。感応度が高いアンジェがこのような反応をすることは滅多になく。
そして、とんでもなく不味そうだということだ。

「……、妙な、寒気がします。上陸した時から、ずっと……」
「そいつは……」
「……非常に嫌な予感がしますね。アンジェさんが寒気を感じる程の良からぬものがあるということでしょうから」

アンジェの霊視能力の高さは聖痕が無い身にもかかわらず、教会でも随一だ。
特に、魔を察知する能力に特化している。
ハッキリとした形は分からないが、上陸した瞬間から感じる程の島全体を覆う何かに身体を震わせる。
とはいえ、ぱっと見た限りその正体が何かも分からず、もやもやとしたものという程度でハッキリと掴めない感じがある。
まるで、物陰からじっと何かが覗き込んできているような、そんな感覚だ。
深い深い闇の底から覗く何か、だ。

裏解決屋の一行だけではなく遊撃士、結社、斑鳩、更には黒月に僧兵庁のアシュラッドにシェリド皇太子まで正体されている状況だ。
そして撮影でたまたま来ていたゴッチやニナまで、勢揃いしている。
顔を合わせた面々に挨拶をしつつ、リオンは遊んでいる裏解決屋の若いメンバーを遠めに見ながら苦笑いをする。

「おや、案外みなさん普通にバカンスを楽しんでいますね」
「こんな状況で素直にビーチで遊んでやがる……まあそんな場所ではあるが」
「そうですね、アンジェさんも水着着ます?折角なら用意しますよ」
「えぇ!?ど、どうして私だけなんですか……!?」
「僕が見たいだけです」
「おいリオン、満喫してんじゃねーよ」

時々、彼は心臓に悪いことを言ってくる。
それが冗談なのか、本気なのか分からず、鼓動がうるさく跳ねてどきどきしているなんてこと。
どうか気付かれませんように。
そう思いながら、視線を逸らして必死に顔を隠そうとするアンジェの心情を知ってか、リオンはくすくすと微笑む。
見たいという気持ちはあれども、気を抜けない環境で情報収集の時間をつぶすようなことをしないのは、星杯騎士団らしいと言えた。

しかし、リゾート地で全く楽しみが無いのも精神的には良くないから適度な息抜きをするためにセリスが提案をしたのは、バルクホルンから教わっていた月見酒だ。
陽も落ちて月や星が輝きだした時間帯。
レストランを訪れると丁度いい冷酒が1瓶あり、それとツマミを受け取って“体をなまらせない為の手合わせ”の後の楽しみとして受け取る。

「アンジェも鎌さばきが速くなったじゃねえか!」
「はあ……はあ……ありがとうございます、オルテシア卿」
「お二人とも小柄とは思えない武器の大きさですよね」
「……お前、アンジェの礼儀正しさをちょっとは見習えっての。オルテシア卿ってちゃんと呼ぶのもアンジェとガイウス位だぞ」
「……長めの付き合いになるのに急にオルテシア卿って呼び始めるのは逆に気持ち悪くないですか?」
「確かにそうだが、最初から謙虚もなにもなかったじゃねえかお前は……。次はリオン!手合わせするぞ!」

アンジェからリオンにバトンタッチし、セリスとリオンの剣戟が周囲に響き渡る。お互い法剣だが、形の違う細身の法剣と大剣。
聖痕を使用していなくとも二人の剣術はこうして鍛錬していることもあり、
二人の剣戟を眺めていたアンジェはちらりと木の影に視線を向ける。
自分達の様子を確認しに来たのだろう。
二人が声を掛けないのなら気付かなかったフリをしようかとアンジェが視線をリオンへと戻すと、案の定気付いていた彼は肩を竦めて剣を下ろす。
声をかける前に密やかに何事もなかったように戻ろうとするヴァンに、剣を下ろした二人は声をかけた。


「おや、覗き見はもう終わりですか?」
「まさか弟子たちにも挨拶なしに立ち去ろうって訳じゃねえよなァ?」
「こんばんは、ヴァンさん」

──守護騎士達がこうして島に来た理由を確かめられたら。
真意を聞かれなければヴァンはその本音を飲み込んだままだったが、敢えて指摘するのはリオンらしいと言えるだろう。
勿論、教会の真意をヴァンには教えなかったが、セリスは立ち去ろうとする彼を呼び止めた。

「いや?いい所に来たじゃねぇか」
「セリスさん……?もしかして……」
「ま、滅多にない機会だしたまにはいいじゃねーか。ちょいと汗を流したら休憩しようと思ってな」

いいモン持ってきてるから付き合え、とセリスが言ってヴァンを連れ出し、元々三人で行おうとしていた月見酒へと招待する。
月を眺めて嗜む東方酒は実に風流で味わいがあり。バーで飲むカクテルとはまた異なる趣があった。
龍來の冷酒は喉越しが良く、甘味を感じられる中にもキリッとした味わいに舌鼓を打ちながら、酔いが直ぐに回らないようにチーズの燻製のつまみを口に含む。

東方酒がレストランにあったこと自体は偶然だったが、セリスは以前ベルガルドが法国に居た頃、月見酒をしてる所を見かけ、機会があれば真似しようとしていた。
なにかの騒ぎの導火線に静かに火をつけられているかもしれない中ではあるが、彼らにとっては最低限のリラックスであった。

「こうして同門同士で飲むには中々いいシチュエーションじゃねえか?あ、アンジェが遠慮するのはナシだぜ」
「私も混ぜて頂いてるのが少し申し訳ない感じだったんですが……何時も気を使ってくださり、ありがとうございます、オルテシア卿」
「へぇ。アンタは師匠が違うんだな」
「ええ、私はベルガルド様ではなく、セルナート総長に教えを乞うた身ですから。武術というよりも、法術を基本とした技ですね。リオン君とオルテシア卿の師という意味では近い方には変わりありませんよ」
「部下と上司でも違うんだな。まあアンタが先生の武術を齧ってるようには流石に見えなかったが」

小柄という意味ではセリスも小柄ではあるが、彼女には膂力と腕力がある、特攻タイプの戦闘スタイルだ。
ベルガルドに武術を習ったと聞いたら、彼を知っている人は納得するだろう大剣使いだが、アンジェは静と動で言うのなら静が当てはまるだろう。
流れるように捌き、そして力ずくではなく、いなして気付けば刈り取られている。
近しい者で言うのならレンも大鎌使いではあるが、もっと静かに、何の感情の波風も立てずに無機質に刈り取るような動きだ。
印象だけで言うのなら、金のオランピアが一番近かったかもしれない。

「私も教わっていればヴァンさんを弟弟子と呼べたかもしれないのですが……」
「……アンジェさん、やめてください。想像してぞわっとしました」
「おい、そこまで言わなくていいだろうが」

誘うつもりは微塵もなかったんですが、とリオンの更に棘のある前置きは忘れず。
ベルガルド先生の無事を祝う乾杯をして、彼の話を肴に酒を飲み進める。
それだけ、教会の中で最古参であるベルガルド、もとい、バルクホルンという名の守護騎士は星杯騎士団に所属する者に限らず、教会の人間にとって憧れの存在だった。
だが、厳格にして騎士の模範のような全員にとっての師である彼は、仕事熱心過ぎた。
それこそ仕事だけが趣味のような人で、その様子を心配する弟子も多かったのだが、彼は結局バルクホルンの名で所属している間は趣味というものが無かった程だ。
そんな彼がバイクという新しい趣味を見つけた、という吉報は嬉しいニュースではあったが。
教会の弟子ではなく、ヴァンからの勧めであるというのはリオン達にとっては少々複雑な気持ちだった。

「そういや、アンタらの付き合いも随分長いみてえだな?」
「え?」
「いや、今までの様子を見るにまさに相棒と言った方が正しそうだ。聖痕持ち同士のバディってのは騎士団でも結構珍しいんじゃねえか?」
「へえ?そこを掘り下げてくるとはな。言っとくが付き合ってるとかじゃねえぞ?」
「……恐ろしいこと言わないでくださいよ」
「……そこまで言わずとも……」
「あー……そこは掘り下げるつもりはねえよ」

──別に、セリスとリオンがそういう関係であるとはヴァンもこれまでのやり取りから感じていた訳ではない。
寧ろ、その隣が明らかに問題だとヴァンは視線を流して苦笑いを浮かべる。
本人は隠しているようだが、こちらにまで分かる位に恐らくひたむきに恋い慕っている様子のアンジェと。
それに気付きながらも、どうやら明確にはしていないらしいリオンのことが自分よりも裏解決屋の助手達やナーディアが気になっているようだが。

これはつついたらやぶ蛇だというヴァンの直感がこの話を掘り下げるべきではないと訴えていた。
エレインに昔話をつつくのが地雷のように。アンジェはともかく、恐らくリオンの何かを踏みかねない。
明らかに大切にはしていそうだが、自分にもそういう距離感に心当たりがあるせいか、あまり指摘出来なかった。

「……、何か言いたそうですね?」
「なんでもねぇよ。守護騎士同士のバディってのが気になるだけだ」
「まあ確かに珍しいことではありますね」

──リオンとセリスがそもそも最初に組むことになったのはベルガルドの采配だった。
セリスが守護騎士として認め始められた頃に、ベルガルドによって連れてこられたリオンを付けられ、お互いの印象は『不良の乱暴娘』と『陰気臭い小僧』だ。
性格的には非常に相性が悪かった両者で、胸倉を掴んで怒鳴るセリスに対してなんでこんなのと、と口にするあたりがリオン・バルタザールという少年だったのだが。
ある一件の事件を通して互いを認め合い、互いに足りない部分は補完し合う。
そんな十年以上の付き合いがあってデコボココンビが長続きしている、という事実にヴァンの中で腑に落ちた。

「そっちが納得する分、セリスがその従騎士とやらを連れてない中で、リオンだけがアンジェをこんな島にまで連れて来るっていうのは引っかかるが」
「それは……」
「ヴァンさんも何となく気付いているかと思いますが、私もどちらかと言うと貴方に近い所があります。いえ、勿論ヴァンさんが抱えてるものと比べものにはなりませんが……」
「……触れていい話題なのか微妙な所だと思ってたが、アンタからは似た匂いがする。……お前さん、確か教会の死神とか呼ばれてたな。そんな物騒な二つ名、当然獲物が鎌って以外にもあるんだろ」
「……人の部下をそう言うのはデリカシーがありませんね、ヴァンさん」

確かに不躾な質問だっただろうが、恐らく彼らの関係やアンジェ自身の核心に触れる問だったのだろう。
リオンの言葉に冷たい敵意を感じる以外にも、図星のような歯切れの悪さを感じられたのだ。

──汎魔化現象といい、黎き魔王といい、主に自分の魔核がゲネシスと合わさって引き起こした問題は、ベルガルドが様子を見ると言って受け入れてくれたとはいえ、教会としても捨て置けないのだろう。
だから恐らく、自分に近しい匂いを感じるアンジェがこの共和国に派遣されているのだとヴァンは推測を立てていた。

「……詳細は省きますが、悪魔の一柱に私も縁があります。影響は最小限の範囲ですし、その存在に呑まれていたらとっくに私は死んでいましたが」
「聖痕はねぇが、アンジェも特殊な事情があるからな。それがアタシ達の助けにもなるしな」
「はぁ……これは他言無用ですよ?ただでさえ、そんな教会の死神なんて内外で囁かれているんです。アンジェさんに関する嫌な噂が流れるのは避けたいですし」
「気を使ってくれてありがとうございます、リオン君。事実ですので私もあまり否定はできませんから、そう言って貰えるだけで嬉しいです」
「……まったく、謙虚過ぎますよ」

悪魔に因縁がある教会の人間は、別にアンジェだけに限った話ではないだろう。
だが、因縁ではなく、縁と表現するのが正しい位の関係がアンジェと下位悪魔を総べる柱の一体にあるからこそ。
彼女は畏怖の年を込めて"教会の死神"と呼ばれた。
法剣ではなくデスサイズを操ることや、其れに近しい気配も持ってることから、気味悪がられたのだろう。

この三人の中では一番、普通にしていればシスターらしく見えるアンジェだが、シスターではなく墓守と言われても納得出来る厳かで闇にも静謐を齎しそうな空気感だった。
聖痕の昏さとは異なる、亡霊や死、煉獄に近い冥さだ。

「アンタは教会にその環境から保護されたんだな」
「えぇ。任務で来たリオン君に助けられて、教会に所属することになりました。ふふ、懐かしいですね」
「セリスさんと別に単独任務に当たっていた時ですからね。もう十年以上前になりますか」
「……通りでその信頼関係か」

──リオンの自分への当たりの強さは、様々な要因があるのだろう。
彼らが師匠と慕うベルガルドの手を煩わせ、目をかけられた教会以外の弟子であること。
教会としては狩る対象である悪魔の中でも魔王の核を秘めていて、その力が無くなってはいないこと。
そもそも本人の毒舌がパートナーのセリスに対しても強いように、性格的なものに加えて懐疑心があること。

そして、明らかにセリスとは異なるパートナー関係であるアンジェが悪魔由来の力と過去があり、自分を気にかけてくれていることだ。
独占欲という一言では言い表せられないような、複雑な感情が綯い交ぜになっている。

「でも、私とは違う形でヴァンさんはこちらの世界に留めようとしてくれる手がたくさんあると思いますから。その縁を大切にしてくださいね」
「……やれやれ、歳下にこう諭されるとはな」
「ふふ、それだけの人徳があるから、貴方を救ってくれる人の縁に恵まれるんでしょうね。私達とこうして月見酒をするように……狭間に居るヴァンさんだからこそ」
「ま、そうだな。弟弟子といえども、可愛さもあったもんじゃなけりゃ誘うことすらしねえわな」
「僕としてはそこは否定しておきたい所なんですが。……言っておきますが、アンジェさんの言葉に、特別な意味はありませんから"勘違い"はされないよう」
「しねぇよ」
「あー、まあ一般の信者ならともかく、アークライドなら大丈夫だろ」

茨のようにアンジェに巻き付いている感情に、盲目であること自体に疑問を持たないアンジェは気付くことがないのだろう。
熱さも伴いながら、冷たい氷のように周囲を警戒するような鋭い牽制。
ただ、リオンだけが自分の為に牽制したのだけではなく、歯切れ悪そうにセリスが同意したのはヴァンとしては意外だった。
一般の信者だったら、アンジェの今の言葉をどう受け取っていたんだろうか。
抱いた疑問をヴァンは掘り下げる訳でもなく、アンジェへの礼を言う。

──普段のアンジェのリオンへの慕情を知っていれば、隣人としての助言や気遣いなのだと受け取って終われるし、ヴァンも勿論そのように受け取ったのだが。
裏側に隠された"勘違いを勝手にすれば、勝手に身を滅ぼす"という真意を飲み込んだリオンは肩を竦め。
アンジェの手から冷酒の入ったカップを取り「アンジェさんにしては飲み過ぎですよ?」と優しい声音で諌めるのだった。
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