橙花火
- ナノ -

鼓動に気付かないで

 人工島パシオで迎える新しい朝。
カーテンから零れる朝日に眩しさに目を開き、一緒のベッドで寝ていたグレイシアの背を撫でる。
このパシオでは、ポケモンたちとコンビのことをバディーズと呼び、モンスターボールに入れずに行動を共にしているトレーナーが数多くいる。
それに倣って、部屋ではなるべくポケモン達をボールに入れないようにしていた。

「もう、起きるから、ユキメノコ……冷気を頭にかけてこないで」
「メノメノ」

悪戯好きなユキメノコに腕を伸ばしても、ゴーストであるユキメノコの体に手はすり抜けてしまう。
パシオに寝泊まりをすることに決まった際に、事前にパシオに来ていたネズの話を聞いたうえでキバナが部屋を借りる手続きを取ってくれたのは申し訳ないことをしてしまったと思うと同時に、どうしても嬉しいという感情を誤魔化せなくて小さく微笑んで口元を手で覆う。
隣の部屋を借りたと聞いたときは心底驚いてしまったけれど、ナックルシティで暮らしていた時のように隣の部屋同士のこの状況は、片思いをしている身としてはやはり胡麻化しようもないくらいに嬉しいのだ。

「キバナがここでも隣なの、嬉しいな……」
「シア、シアッ」
「メノ〜」
「ありがとうグレイシア。もう、ユキメノコとシャンデラはいつもからかうんだから」

長年の片想いをしていることを理解してくれているグレイシアはよかったね、と言わんばかりに微笑んでくれるし、想いを伝えようとはしない私の積極性のなさと伝える気がないというのに想いを募らせていることを理解したうえで彼女たちはからかってくるのだ。
ベッドから起き上がり、眠気を覚ますためにぐっと背伸びをする。
このアパルトメントは家具が始めから揃っている部屋だったから、こうしてトランクケースだけで来てもその日から寝泊まりが出来る。

リビングに朝日を取り込むためにカーテンを開いて、ベランダを開けると風がふわりと頬を撫でる。
住宅街は海から少し離れたエリアにあるが、遠くに水平線が見える。ナックルシティの眼前にワイルドエリアが臨める光景と負けず劣らず綺麗な景色だった。
そして、この二階建てのアパルトメントには知り合いが数多くいるのは安心できる点だった。
下の階にはネズとマリィちゃんも居るし、隣の部屋には。
ちらりと視線を隣に向けながらベランダを開けて外に出ると、隣のベランダの開く音が聞こえて、視線を向ける。

「よ、エスカ。ベランダ開く音が聞こえたから、もしかして出てるかと思ってな」
「!おはよう、キバナ、それにフライゴンも。ここでもお隣さんって……いつも通りで、なんだか不思議な気分」
「環境をガラっと変えてみんのもいいけど、変わらないほうがいいことだってあるしな」
「引っ越しの件、任せちゃって悪いな……と思ってたけど、そうじゃなかったらキバナとか、ネズと同じアパルトメントにならなかっただろうし。ありがとう、キバナ」
「はは、おうよ。それくらいお安い御用だぜ」

私が大好きな、ベランダでの時間。
キバナとこうしてまったりと雑談を交わせるこの時間が好きだった。場所は変わっても、この時間が変わらなくてよかった。

「今日はパシオを回ってみようぜ。特訓できる場所とか、早めに掴んでおきたいしな」
「私もいいの?」
「!勿論だって。昨日は荷解きとかもあって街を中心にしか見られなかったし、先にここにきてる奴らとも知り合っておきたいよな」
「このパシオに思ってた以上のジムリーダーとか、チャンピオンとか。そうじゃなくても強いトレーナー達が集まってるものね」

ダンデに誘われた時点でダンデというガラルチャンピオンがパシオに居ることもそうだが、彼が中心となって開催するつもりらしいチャンピオンマッチができるほどに各地方のチャンピオンまで集まっているというのだから。
実力を試して、力をつけるのにはかなり適しているスポットといえるだろう。
新しい環境にわくわくしているのか、翼を広げて旋回するフライゴンが近寄ってきて、そっとその頭を撫でる。

「すぐ支度して玄関を出るから待ってね」
「おう、オレもすぐ行くぜ」

キバナとこうして街を回れる、なんて当たり前のことではない。
それは、今年ナックルジムの担当になる前まではキバナと外出するなんて機会は滅多になく、連絡を取り合うことがメインだったからだ。
だからこそ、この一つ一つの時間が愛おしく感じられる。
ベランダの扉を閉めてから少しして、口角が少し上がっていることに気づいて口元に手を当てる。
キバナにこんな顔、見られてないといいけど。

着替えと薄いメイクを手早く済ませ、小さなショルダーバッグに荷物を詰めて、部屋の中で涼んでいたグレイシアとユキメノコに声をかける。
他の子たちはモンスターボールに戻して、準備はばっちりだ。
玄関を出ると、オレンジのヘアバンドをつけたキバナが相棒のジュラルドンと共にすでに待っていた。
準備が少し遅くなったことを申し訳なく思いながらキバナと共にアパルトメントを出ると、丁度同じ時間に外に出ていたらしいネズとタチフサグマの姿があって「ネズ」と声をかけると、彼は振り返ってくれた。

「おはようございます、エスカ、キバナ」
「よう、ネズ。ん?妹は居ねぇのか?」
「マリィはすでに朝からユウリと外出してますから」
「置いてかれたのか、兄貴」
「キバナ……置いて行かれたのではなく、見送っただけですから」

キバナの指摘に、ネズはあからさまに眼を鋭く細める。ネズがマリィちゃんのことを溺愛しているのは知っているが、最近では「もう子供じゃない」とやんわりネズの気遣いを断られることも増えてきているそうだ。
ネズはちらりと私に視線を向けた後に、キバナに「エスカをあちこち連れまわして困らせないでくださいよ」と言ってひらひら手を振って、彼は立ち去っていく。
クールに見えながらも、気を遣ってくれる所が本当にネズらしい。

「ねぇ、キバナは朝ごはん食べた?」
「いや、昨日対して買い物もしてなかったから食べてないんだよな。エスカもまだなら、どっかでモーニングでも食べないか?そういう店も知っていきたいしなー」
「うん、賛成。外食ばっかりじゃなくていいように、自炊できるようにもしていかないとダメとは分かってるんだけどね」
「オレ様の耳にも痛いぜ……エスカんとこに食べに行きたいくらいっつーか」
「ふふ。事前に言ってくれたら用意できるからいいよ。誰かが食べてくれるの、嬉しいし」
「マジか!早速今日の夜、予約しちまおうかな」

キバナがこうして自分の料理を食べたいと言ってくれるだけで、こんなにもとくとくと胸が鼓動して嬉しくなることも。
どうか彼に、気付かれませんように。
そう心の中で呟いて、ぎゅっと感情を飲み込むように拳を握るのだった。