大人の余裕
「っうわぁ!」
今後どうするかを考えながら廊下を歩いていると、冷たい何かがいきなり首筋に触れた。
首筋を押さえながら反射的に振り向くと、すぐ後ろに缶コーヒーを持ち上げたままの姿勢の警備員がいた。驚いて目を丸めると、クスクスと本当に楽しそうな笑い声がした。
そして、缶コーヒーを渡してくる。
「っはは、そんなに驚かなくても。…まぁ、お疲れ様です。はい、飲んでください」
「…ありがと、蓮。お疲れ様」
缶コーヒーを受け取った。よく冷えた缶コーヒーは暑い夏の夜にはちょうどいい。
手の平でころころ転がして冷たさを楽しんでいたものの、にこにこと微笑みながら俺に優しくする蓮に耐えきれなくなって、ぽつりと呟いた。
「…怒らないのか?」
「何に、です?」
「どうせ監視カメラで見てたんだろ?」
「…………」
蓮は何も言わない。それは無言の肯定だったと思う。たった数秒の沈黙。普通の会話でも自然に生じる沈黙の長さだったのに、とても居心地が悪くて蓮から目を逸してしまった。
だが、それでも聞かなければならない。
「演技をする必要なんてなかったのに尋斗にキスをして、迫ったこと、…怒らないのか」
今度は先程よりも長い沈黙だった。
下を向いているから、革靴が一歩近付いてくるのが見えた。カツ、と一回だけの靴音。もともとそんなに離れていなくて、すぐ近くに気配を感じる。
そして、俺の頭の上で重たい溜め息混じりの呆れきったような声が聞こえた。
「怒ってますよ?」
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騙し合うこのゲームは、
本気で惚れた方が負けなのだ。