俺が慌てている間に、ピチッ、と魚は弱々しく跳ねる。今にも力尽きてしまいそうだ。
手段を選んでいる暇なんてなくて、宿の主人がこっちを見ていないのを確認すると風で桶を持ち上げ、川の上でひっくり返した。
バシャ、っと魚が川に落ちる。
水が跳ねたその音で宿の主人が気付いてこっちに走ってきたが、水の中にいる魚を捕まえられるはずもなくて悔しそうに、不思議そうにしただけだたった。彼は魚がどうやって逃げ出したのかも分かっていないのだろう。
(ごめん。でも、あれ聖獣なんだ)
主人の手の届かない場所で魚が水面近くまで浮き上がる。そして、僅かに顔を出して、今度は軽快に鰭を振ってみせた。
『あんがとよ、ちっせぇの』
『もう捕まっちゃダメだよ』
頷いてから水の中に潜り、消えていく魚を見届けて、今度こそ俺は部屋に戻った。
で、その結果がこれだ。
「え、なにこの食事」
嫌そうに顔を顰めるホーリエに俺は思わず視線を泳がせる。窓の外の雪が綺麗だ。
麦パンにスープ、ゆで卵とこの辺境にしては文句の言えない食事だが、本来あるはずの魚の煮込みが消えている。メインディッシュだ。
昨日の夜に明日の朝ご飯に魚が出ると聞いて以来、妙にウキウキしていたホーリエがしょんぼりとする。楽しみにしていた魚の煮込みは、さっき俺が川に逃がしたあいつだろう。
『た、卵、あるじゃん』
「お魚食べたかった…。卵も好きだけど、」
それでも、いただきます、ときちんと挨拶をしてから食べるホーリエはいい子だ。
しょんぼりとするホーリエはオーツェルドに頭を撫でられて慰められ、すぐに機嫌がなおって、美味しそうにゆで卵を食べていたが。
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王には世界を守る義務がある。
そして、俺にとっての世界は君である。