お月見をしよう、と思い立ったのは、ほんの些細なことがきっかけだった。
仕事でロンドンの郊外を訪れていたとき、休憩時間にたまたま入った喫茶店の正面に公園があって、ブランコの奥にススキが生えていた。
そこにサッカーをしていた子どもたちのボールが転がっていった、というだけだ。
携帯電話を取り出して調べてみると、ちょうど1週間後が十五夜だった。
(お月見しようって言ったらリーマスは嫌がるかな?)
彼は人狼だ。満月にお祭りめいたことをするのはちょっと気が引ける。
リーマスのことだから、やりたいと頼めばいいよと言ってくれるだろう。
が、満月前はまっずい脱狼薬を飲んで機嫌が悪くなるからちょっと怖い。
目が笑っていない可能性があるし、下手をしたら何を考えているんだと怒られかねない。
(いいや、準備しちゃえ)
聞く前からあれこれ悪いことを考えても仕方がない。
ダメならダメで、ごめんなさいすればいい。
レナはその場でお団子用の粉を注文した。
1週間後、レナは大急ぎで仕事を片付けてリーマスの家に向かった。
リーマスの顔色は心配していたほど悪くはなく、機嫌も良さそうだ。
『じゃーん』
日没まであまり時間がないため、さっそく持ってきたものを見せる。
ススキと、お団子を作るための白い粉。
予想通りリーマスの目が点になった。
「えっと……?」
『お月見しよ!』
「オツキミ?」
『そ、お月見』
家にあがり、必要なものを呼び寄せながらお月見について説明する。
時折日本語を混ぜれば、その都度リーマスが復唱した。
たどたどしく発音するリーマスはいつ見てもかわいい。
書いてと言われたので、漢字とローマ字を紙に書き、ついでに隣に英語もつける。
頭がいいリーマスはすぐに大筋を理解した。
『これが“お団子”を作る用の粉』
「オダンゴ」
『こっちは“ススキ”』
「ススキ」
『そう。ススキはイギリスにもたくさんあるからわかるでしょ?』
「そうだね。これを窓に飾ればいいのかな?」
『うん、お願い』
レナは変身術を使って空き缶を花瓶にした。
ヤドリギのように吊るそうとしていたリーマスが、「ああ」と笑ってそれを受け取る。
殺風景だった窓辺がいっきに秋めいた。
「ところでお団子は花を見るときに食べるやつじゃなかった?」
『それは花見団子。これは月見団子』
「何が違うんだい?」
『んー、わかんない。たぶん見る対象が違うだけ』
「ははっ、それじゃ先生失格だな」
『いいからいいから』
あまったススキを持ってテーブルに戻ったリーマスに、覚えたての団子の作り方を披露する。
先生失格と言われたので、某3分でできる料理番組も真似てみた。
途中まではよかったのだが、楽しくなってきてうっかりテーマソングを口ずさんでしまったのが運の尽き。
気づいたらリーマスがクスクス笑っていた。
『笑うの禁止!』
「ああごめん、一生懸命先生をやろうとしているレナがかわいくて」
『すぐそういうこと言う!』
「説明もちゃんと聞いてるよ。だから気にせず続けて」
そう言いながら、ほら早くと言わんばかりにススキで赤くなった頬をくすぐる。
子供か!という目で見たら「生徒だからね」と返された。
問題児め。
髭を生やした白髪交じりの大人が頬杖をつきながらニコニコと無邪気な笑みを向けてくるなんてずるいぞ。
『こうやって丸めたやつを茹でたら完成。てことでお湯沸かしてくるから、その間に丸めてて。ノルマ7個ね』
「え?私も作るのかい?」
『当然。2人でって言ったでしょ。ほら早くやりなさい、ルーピンくん』
「ははっ、わかったよサクラ先生」
リーマスは降参を示すように両手を上げ、ススキを置いた。
細かい作業は苦手だと言うだけあって、丸めるだけの作業に苦戦している。
大きさをそろえるために少しずつ追加されていった2つのモチは、気づけば大福のようになっていた。
「えーと、これはやりなおしかな?」
『材料いっぱいあるからそれはそれでいいよ。飾るときに縮小呪文かけよ』
「ああその手があったか」
手を拭いたリーマスは杖を取り出し、ぽぽーんと7つの玉を作った。
唖然としている間に、レナの分も作ってくれる。
違う。
リーマスと一緒にやりたかったお団子作りはそうじゃない。
とにもかくにも、15個の団子と2つの大福ができあがった。
レナの分と、リーマスの分と、かけあわせて山を作る。
大福にはチョコをつめた。
皿に乗せてススキの横に置く姿を、リーマスが不思議そうな顔で見ていた。
「食べるんじゃないのかい?」
『お供えした後にね』
「それじゃ、今晩は月を見るだけ?」
『うん』
「それでイベントが成り立っちゃうんだからすごいよね」
『風情ってやつよ、たぶん』
レナはちゃんと調べてくるんだったと後悔した。
これは先生失格だと言われても仕方ない。
「狼人間が月を眺めていても怖い絵にしかならないよ」
『絵にはなるよ。月と、後姿と。寂しげかもしれないけど』
風情ってちょっと哀愁漂うイメージがあるからいいんじゃないかな。
肩に鳥がとまっていたらさらに絵になると思う。
そう言うとリーマスは顎に手を当ててうーんと唸った。
「膝に女の子を乗せたら風情じゃなくなる?」
『そこまでいくとファンタジーじゃない?』
「魔女と魔法使いにはちょうどいいね」
『ん?てことは今日は変身なし?』
「鳥がよかった?」
『ううん。いつもは変身しなさいっていうのに珍しいね』
月夜の散歩のとき、リーマスは必ず鳥になれと言う。
脱狼薬を飲んでるんだから人のままでもいいのに、万が一へを恐れて対策に余念がない。
変身の瞬間も、必ず1人になる。
まあそっちは服の都合上仕方ないけど。
そうこうしているうちに、夜がやってきた。
簡単な夕食をとり、窓が見える位置にソファを移動し、月が昇るのを待つ。はずが。
『く、曇ってる……』
夕暮れ時からすでに怪しいとは思っていた。
でも雨が降っているわけではないし、ちょっとくらいなら雲の隙間から見れるだろうと思っていたのに、イギリスはそう甘くなかった。
今にも雨が降り出しそうな分厚い雲が空全体を覆っている。
「はは、まあ、気長に待とうよ」
窓に張り付いて唸っているレナをリーマスが笑った。
『そういえばリーマス、着替えは?』
「仮装が必要なのかい?」
『仮装というかいつものマント。いつ変身するかわかんないよ?』
「ん?満月は明日だよ」
『へ!?』
いやいや。
今日が十五夜ですし。
そう書いてあったし。
慌てて月の周期が書いてあるカレンダーを見ると、確かに満月は1日後になっていた。
そうか。
十五夜が満月とはかぎらないのか。
思い込みって怖い。
「どうりで話が微妙にかみ合わないと思ったよ」
『う……ごめん』
「いいよ。1日多く会えて嬉しいよ」
いきなり押しかけたことになるのに怒らないなんてリーマスはやっぱり大人だ。
優しい。
そう思ったのもつかの間、おいでと言われて横に座ったとたんに頬をつねられた。
「レナのほっぺは団子と同じ感触だね」
『なっ、それ失礼!』
「恋人の変身周期を間違えるのは失礼にならないのかな?」
『いひゃいいひゃい!』
「毎月私に会える日を指折り数えてくれていると思っていたんだけど、どうやら違ったようだね?」
『数えてる数えてる!印もつけてる!』
「それならどうして間違えたのかな?」
『満月の新しい遊び方を教えてあげられると思ったらテンション上がっちゃって!」
「満月は遊ぶ日じゃないよ」
『うんうんごめん!』
リーマスと散歩ができる、デートの日みたいなものだ。
なんて言ったら同じようなものだと怒られそうなので平謝りした。
『あっ、ほら、ちょっと明るくなってきた』
力が緩まった隙に窓際に逃げた。
青みがかった灰色の空の一部が月の光を透過し、幻想的に輝いている。
これはこれできれいだ。
「ほんとだ。これはこれで幻想的できれいだね」
リーマスの口から同じ感想が飛び出す。
それを嬉しく思っていたら、続けて「でも残念だな」という言葉がきた。
「ツキガキレイデスネ。って、言ってみたかったんだけどなあ」
『それってもしかして“I love you”の訳のやつ?』
「そう。Mr.ナツメだっけ?彼はきっと人狼だよね」
『え?なんで?』
「月がきれいという言葉に愛を込められるのは、孤独な月夜を知っている証拠だよ」
孤独という表現に反応して振り返ると、哀愁漂う微笑が見上げていた。
うっすらと浮かぶ白髪や顔を横切る傷痕がそれを助長している。
「私は彼の気持ちがよくわかるよ。レナと見る月は、独りで見る月と全然違って見える」
『……リーマスって意外とロマンチストなんだね』
「そんなことないよ」
ポンポンとソファを叩かれる。
戻って来いということなんだろう。
恐る恐る座ると、つねっていた場所を撫でられた。
「レナ、好きだよ」
『!?』
「うん。やっぱりこっちのほうがリアクションが大きくていいな」
はははと笑う声はどことなく元気がなかった。
(やっぱり体調よくなかったんだ)
どうりでソファから動こうとしないわけだ。
リーマスの優しさにかこつけて強行してしまったことが今更ながら申し訳なくなってくる。
『よし。今日はもう寝よう』
「ん?オツキミはいいのかい?」
『うん。リーマスと見る月ならきっといつでもきれいだし、明日は徹夜だもん』
「私に気を使わなくていいのに」
『リーマスこそ。一緒にお団子作ってくれてありがと』
毛布を呼び寄せて包まると、大きくて暖かい手がレナの手を包んだ。
「おやすみレナ。明日は晴れるといいね」
『おやすみリーマス。晴れたらお散歩行こうね』
寄り添う2人がすっかり寝静まった頃。
雲の隙間から丸い月がぽっかり顔を出して幸せそうな寝顔を優しく照らした。