「室長、サクラという方が訪ねてきているみたいです」
そう部下に告げられたときは心底驚いた。
わざわざ魔法省に訪ねてくるなんて、よっぽどのことがあったに違いない。
焦る気持ちを抑えつつ、冷静を装って部屋を出たが、気づけばエレベーターホールから走り出ていた。
「レナ、どうしたんだい?」
『あ、リーマス!ごめんね仕事中に呼び出して』
「それは構わないけど……彼は?」
レナは1人ではなかった。
男が1人、横に立っている。
見たことがある顔だ。
おそらく魔法省の――身なりから察するに、エリートコースの――人間だ。
『昔の常連さん。チャーリーの同級生で、魔法事故惨事部所属……だっけ?』
「前はね。今は魔法大臣の補佐官だよ。下級だけど」
『えっ、そうなの?おめでとう!』
「ありがとう。じゃ、お祝いにそれを頂いていこうかな」
『駄目ですー。リーマスのですー』
やけに馴れ馴れしい会話にイラッとしつつ、割って入るのは躊躇われた。
邪魔をしてはいけない。
そんな気持ちになった。
『あれ?大臣の補佐官って言った?こんなところで油売ってたらダメじゃん』
「昼休みだから平気だよ」
『できる男は休憩時間も無駄にしないものよ。――って、呼び止めた私が言うのもなんだけど。とにかくありがとう。またね。お仕事頑張って』
まだ話したそうにしている男を、レナが体よく追いやる。
恨めしそうにリーマスを見ながら去っていく姿は、リーマスに程よい優越感を与えた。
「彼、良かったのかい?」
『うん。偶然会ったから取り次いでもらっただけ』
「そっか。急だったから驚いたよ」
『ふふ、サプライズ』
悪戯を思いついた子どものような顔をしながら、レナが手にした小さなバッグを顔の前に掲げる。
何かと思えば、お弁当とのことだった。
「わざわざ?仕事はどうしたんだい?」
『休み。ということで、はいどうぞ。ってか、もしかしてもう食べちゃった?お呼びじゃない?』
「いや……でも慣れているから、昼くらい抜いても平気なのに……悪いな」
本当はすごく嬉しいのに、申し訳ないという気持ちのほうが先に出てしまう。
そんなリーマスの気持ちを察してか、レナは強引にバッグを押し付け、練習だのついでだの言い、最終的には『せっかく作ったんだから残さず食べること』と母親のようなことまで言い出した。
「はいはい。食べますよ」
『ちょっと、笑わなくてもよくない?』
「笑ってないよ。相変わらずかわいいなと思っただけだよ」
『嘘うそ、いま絶対フフッってした。ほらそれ!母親かよって思ってる顔』
「はは、レナもなかなかやるね」
『伊達にリーマスにいじられてきたわけじゃないからね』
唐突に出てきた妙な自慢に、たまらず声を出して笑った。
レナはムッとした様子で目を細めてきたが、リーマスからしてみれば、そんな反応もかわいい以外の何物でもなかった。
「ごめんごめん。嬉しいよ。ありがとう」
バッグを受け取り、屈みついでに額にキスをすると、みるみるうちに赤くなっていく。
あまり話しすぎると仕事に戻るのが億劫になりそうなので、後ろ髪を引かれつつもレナと分かれて来た道を引き返す。
立ち聞きしていた部下のように、あの元常連の男も、一部始終を見ていればいいと思った。
部屋に戻ったリーマスを待っていたのは、「室長の彼女さんですか?」という部下の言葉だった。
若い男もいたのに、自分の恋人だと思われたことが嬉しくて、つい饒舌になる。
同時に、こんなに上手い話があっていいものかという、漠然とした不安に襲われた。
「本当に、私にはもったいないくらいいい子だよ」
ポロリと口から出た言葉は、常々思っている本音だった。
大学生活を経て、レナはより魅力的な女性になった。
生き生きしていて、輝いていて、一緒にいるだけで楽しくなる。
だからこそ、ふとした瞬間に隣に並ぶのが申し訳なくなる。
さっきのように若くて健全なエリートと話している場面を目撃すると余計にだ。
彼女にふさわしい男はいくらでもいる。
それなのにこんな、自分のような不完全な男でいいのか――。
(駄目だな。またレナに怒られる)
まるで自分が悪口を言われたかのように怒る姿を想像して、ふっと笑みがこぼれる。
もしかしたら自分は、彼女に怒られたいのかもしれない。
(あまり人のことは言えないな)
レナはいじめられるのが好き、と決めつけたのだって、半分は『違う!』と怒る彼女の姿を見て楽しみたいからだ。
年甲斐もなく……とは自分でも思う。
それでもやめられないのだから仕方がない。
今日の弁当にしたってそうだ。
それこそ母親が子どもたちのために作るようなお弁当だった。
特に満月のようなオムレツと、小動物の形をしたおかず。
あれは狼人間への当てつけかな?なんて、次から次へと意地悪な言葉が沸いてくる。
彼女のことだ、謝り倒した上で『次はもっとちゃんとしたのを作る』と言い始めるだろう。
焦る彼女が見れて、次のお弁当も手に入る、一石二鳥の展開だ。
(それに、弁当箱を返すという口実で会いに行ける)
せっかく作ってくれた弁当にケチをつけるなんて男として最低だが、自分の株が下がることを差し引いても、言うだけの価値はあるだろう。
珍しく定時に上がったリーマスは、杖を振ってきれいにした弁当箱に機嫌を直すためのお菓子を詰め、スープの入れ物でホットチョコレートを作り、鼻歌交じりに彼女の家を目指した。