『ルシウス様、いいかげん起きてください!』
「朝から寝室に来るとは君もずいぶんと積極的になったね。キ『キスしてくれたら起きるとかくだらないこと言ってる暇あったらさっさと着替えてください!』
まだ言ってないとふてくされる彼、ルシウス・マルフォイが私の仕えるわがまま王子。
代々続く魔法貴族の一人息子だ。
きれいなプラチナブロンドにグレーの瞳、鼻筋の通った顔――。
顔良し、頭良し、家柄良しの3拍子そろった彼はまさに王子様らしく、1歩外に出れば彼のファンであっというまに囲まれる。
寝起きのはだけた胸元や髪をかきあげる仕草を見たら、彼女たちは卒倒するだろう。
「どうした?見惚れたか?」
『ええそうですね。ルシウス様は何をなさってもお美しいですよ』
棒読みで言ったにもかかわらず、ルシウスは嬉しそうに目を細める。
「言われなれている言葉もマリアに言われると特別な感じがするね」
『はあ……さようですか』
それはそうだろう。
なにせ棒読みなのだから。
他に誰がルシウスに向かってこんな口の利き方をするだろうか。
「私にとって君が特別だからだろうね」
普通はこんな格好のルシウスにこんなセリフを言われたら一瞬で落ちるのだろうが、マリアはルシウスを無視してテキパキと服を準備する。
いちいちルシウスのセリフに反応していては夜になってしまう。
『さきほどから1歩も動いていないようですが、お食事に行く気はございますか?私を見ていてもお腹は膨れませんよ』
「心は満たされる」
『あら。では今日から食事のご用意は不要ですか?』
「そんなことよりマリア、着替えさせてはくれないのか?」
『当たり前です!!』
都合が悪くなると話題を変え、子どもか!と突っ込みたくなるようなセリフを言う彼は新学期が始まればホグワーツの7年生。
今年ホグワーツを卒業する立派な成人だ。
数々の試験を余裕で突破し、監督生も務める彼のことだ、この自信過剰で変態で口だけ達者なところを除けばきっと……。
きっと……何も残らない。
*
昼になり、ひと通り掃除を済ませたマリアは、最後の仕上げにベッドを整え、開けた窓を閉めるために窓辺に向かった。
外からさわやかな夏の木々の匂いが入り込んできてマリアの髪を揺らす。
鳥のさえずりにマリアが目をやると、高く澄んだ空の青が目に飛び込んできた。
今日はいい日だ。
――ルシウスが張り付いてさえいなければ。
マリアのすぐ脇には、いつの間にやってきたのかルシウスがいて、優雅に窓枠に寄りかかっていた。
『……何か御用でしょうか?』
「マリア、髪を結ってくれ」
『かしこまりました。では鏡台へ』
「嫌だ」
『……は?』
ルシウスは片手を窓枠に付き、マリアの耳元の髪を掬いながら前へ進み出た。
「せっかくだからここでやってくれ」
なにが“せっかくだから”なのだろうか。
天気がいいからと窓から外を眺めるような人ではあるまい。
『ルシウス様の背が高いので座っていただかないと無理です』
「ではこれでどうだ?」
『お分かりかとは思いますが、これは髪を結うのに適した体勢ではございません』
ルシウスがマリアを挟むようにしてもう片方の手も窓枠に置くものだから、マリアは身動きが取れなくなった。
そのうえルシウスが屈んだため、彼のプラチナブロンドは肩から前へ落ち、マリアの顔にかかるように垂れ下がっている。
「マリア、私は髪を縛るように頼んだんだ」
『ですから、この体勢では』
「できないとは言わせない」
『――ルシウス様、』
「主がメイドにやれ、と言っているんだ」
『ああもうっ、わかりましたよ!』
権力を振りかざしてまでわがままを通すなんて。
これだからこの人の相手は疲れる。
しかし、ここで文句を言ったところで時間の無駄だ。
ルシウスの手から黒色の上質なリボンを受け取り、マリアはルシウスの首に手を回した。
窓から入ってくる風がルシウスの髪を弄び、揺れる髪はまとめようとする指をすり抜けていってしまう。
悪戦苦闘するマリアをルシウスは楽しそうに眺めている。
こんなことをして何が面白いのかわからない。
『できました』
「さすがだマリア」
「礼だ」と言ってルシウスはマリアの額にキスを落とした。
しまった。油断した。
そのまま腰を引き寄せようとするルシウスの腕の間をすり抜けると、小さく舌打ちする音が聞こえた。
まったく油断も隙もない。
『アブラクサス様に報告させて頂きますからね』
「父上は今日はいらっしゃらない。夜まで2人きりだ」
『そうでしたね。では今日は2人で新学期の準備をしに行きましょうか』
「それはデートの誘いと受け取っても?」
『どうぞお好きに』
どうせダメだと言ったところで聞く耳持たないだろう。
マリアはルシウスの気が変わらないうちにと、急いで着替えてルシウスをダイアゴン横丁に連れ出した。
*
『……ルシウス様』
「どうした」
『邪魔です』
ダイアゴン横丁で教科書一式を揃えるという目的ができてから、ルシウスは率先して動きマリアをエスコートする一面すら見せた。
が、家に帰ってくるなり、全てを放棄してマリアにくっついてまわった。
「気にするな」
『気にします』
そう、一番厄介なのは夜だ。
夕食の準備をするところを後ろからついてまわり、嫌いな食材を見つけるとこっそり捨てようとする。
ドビーに頼めば指パッチン1つで早いのだが、ドビーがルシウスの嫌いな食材を食卓に出すとひどくドビーをぶつうえ、結局食べないのでマリアがやるしかない。
アブラクサス様もその辺をよくご存知のようで、いつの間にかルシウスに関することはすべてマリアが受け持つようになっていた。
『夕食が作れません』
「作れているではないか」
『効率が非常に悪いです』
「なぜ」
『動きにくいからに決まっているでしょう!』
「照れているのか」と言うルシウスに『もうそういうことでいいです』と投げやりに返事をして、どくように肘で押すが効果はない。
後ろから腕を回され耳元で囁かれたところで今更どうということもないが、とにかく動きづらい。
このままでは1時間たっても下準備すら終わらない。
『ルシウス様、今日は外出もしたことですし、先にお湯を頂いてきてはいかがですか?』
「一緒に」
『行きません』
「……つれないね、昔はよく一緒に入ったというのに」
『暗黒の歴史でございますね』
何年前の話をしてるのだ。
10年……いや、もっと前だろうか?
ここに来たばかりのマリアはルシウスの後をくっついてまわっていた。
それこそ風呂も布団も一緒だった気がする。
今思うとあのときの自分はどうかしていた。
「ではバラ色の未来に塗り替えようではないか」
『結構です』
いや、どうかしてるのは、今のルシウスのほうかもしれない。
いつのまにこんなわがままで変態になってしまったのだろうか。
「どうしても駄目か?」
『当たり前です!』
「では、代わりにしばらくこのままでいさせてもらう」
『はぁ……』
ため息をついて、マリアは野菜を洗う手を止める。
あとでルシウスが入浴している間にドビーに手伝ってもらおう。
『5分だけですよ』
「5時間がいい」
『では5秒で』
結局30分後にアブラクサス様が帰ってくるまでそのままだったため、予定より大分遅くなってしまった。
*
「マリア、一緒に」
『寝ません』
「――言うと思ったよ」
毎日毎日同じことを繰り返していてよく飽きないものだ。
『たまには私よりも早く起きてみてはいかがです?』
「それでは君が私に会いに来てくれないだろう。君が甘い声で耳元で囁いてくれないと私の1日は始まらないのだよ」
『それならルシウス様が……いえ、ルシウス様の毎日は始まらないまま終わってゆくのですね』
早く起きて自分が会いに来ればいいではないかと言いかけてやめた。
彼なら本気でやりかねない。
朝目が覚めたらルシウスが枕元に立ってるなんて、寝覚めが悪くてかなわない。
「ふむ……では明日は私がマリアに1日の始まりを告げにいってやろう」
なぜわかったと驚くマリアに、頬におやすみの挨拶がされる。
してやられた。
今日2度目の失態に頬をこすりながら眉をひそめて自室に戻る途中、アブラクサス様にルシウスをあまり甘やかさないよう言われた。
そうか、甘やかしているのは私なのか。
つい先ほど起こしに来るといっていたルシウスのセリフも忘れ、マリアは明日こそはと自分でもよくわからない決意を胸に眠りに落ちた。
そして次の日、悲鳴と怒号ともにいつものマルフォイ家の1日が始まることになる。