ああ、なんて煩わしい
「さて、これからどうしましょう」
誰もいなくなったリビングで一人、といっても手持ちの彼らは寝室でまだ眠り続けているのだが、とりあえず人間は私以外いない。
ノボリは朝早くから仕事へ行ってしまった。
私の方も仕事はあるのだが、今日は午後からということで時間はまだまだある。
朝食を食べて皿を片づけていると、ノボリ専用のマグカップの一部が欠けていたのを思い出し、仕事まで買い物にでも行こうかと考えた。ついでに食品も買ってこよう。確か調味料と肉類がなかったはずだ。
「・・・・・・あら?」
外着を羽織り財布を持っていざ行かん、と玄関に向かうと、靴箱の上に何やら包みが置いてあった。
「これ、ノボリのお昼ご飯じゃない。
・・・なんでこれ見よがしに忘れてるのよ、馬鹿じゃないの」
ちっ、と舌打ちしてその包みを持ち上げる。
重い。
黒いバンダナに包まれたお弁当は、重箱三段程の大きさ。
私が食べてもいいのだが、彼は細く見えて意外とよく食べる。ギアステーション内には売店やお弁当屋が売り込みに来るらしいが・・・そういった惣菜系?を好まない彼にとって
お弁当は欠かせない。というか、口に合わない。以前は自分で作っていたらしいが、サブウェイマスターという重役になってからはほとんど自炊の時間がなく、朝食をたっぷり摂って昼食を抜いていたそうだ。
それを聞かされた時、私は徹夜明けの彼に平手打ちを喰らわせた。鞭を打つ、言葉のとおりである。
単なる事務仕事ならまだ構わないのだ。
しかし、彼は駅員のトップに立っており、バトルトレインの最後尾にいる存在なのだ。
彼に倒れられでもしたらどれだけの人が困るか。
そのあまりの自覚のなさに苛立ちのあまり「自愛しろ」とプリンの往復ビンタばりの平手打ちをかました私が、彼の昼食作りを申し出た訳だが。
作為的なものを感じなくもない。
せっかく自分が早起きして作ったのだから食べて欲しいと思うのが作り手の心というものだ。
「・・・・・なんか腹立つけど、仕方ないわね」
私のマンションからギアステーションまでは徒歩で充分辿りつける距離にある。
しかしライモンシティに住んでいる身ながら仕事以外ほとんど外出しないため、建物をきょろきょろと見渡してしまうのはお上りさんに見えなくもない。仕方ない、ライモンシティは都会なだけあって人口も多く、高い建物があって迷子になりやすい。
「・・・久しぶりに来たわね、ギアステーション」
地下鉄は滅多に使わないので、バトルトレインに乗らない限りここには来ない。
バトルのメッカとも名高いせいか、階段を下りていくとトレーナーの熱気で外よりも若干温度が高かった。あとなんかじめっとする。熱気、というより単純に汗だろう。
挑戦者かただの乗客か、どちらにしろ混み合い過ぎてなかなか前に進めない。
「(だから嫌いなのよ・・・)」
もうここで引き返してしまおうか、と人の流れにのっていくと、自分と同じように潰されかけている緑の制服を身に纏った駅員の姿がちらりと見えた。本当に、ちらりとだが。
そのまま放置していたら、踏み潰されるんじゃないか?と思うくらい床に近い位置に彼はいた。
「ひ、ひぃぃぃぃい、だ、誰か助けて下さい・・・っ!!」
駅員か?
「は、アンタ馬鹿じゃないの?その制服ってコスプレ?」
「うえええ、どうでもいいから助けて下さいぃぃぃ」
「大人しくしてなさい、ヘタに動くと階段から落ちて首の骨折れるわよ」
「!!た、たたたたた、助けてぇぇえ」
思わぬドジっ子との遭遇に神経を削られながらも人込みから彼を引きずりあげると、彼は半分泣きながら私に礼を言った。
「ほんっとーーーーーにありがとうございました!!貴女がいなかったら僕また階段から落ちるとこでした、あはは」
「階段から落ちたことはあるのね・・・ああ、そうだ。聞きたいことがあったのよ」
「はいはい、聞きたいことですか?僕でよろしければなんなりとどうぞ!!」
にこっ、と効果音が付きそうなくらいの笑顔に毒気を抜かれながら、持ってきたお弁当の包みを前に出す。
「サブウェイマスターのノボリさんはどちらにいらっしゃるかしら?」
その瞬間、彼がピシリと凍りついた。
「の、ののののののノボリさんですか!?白い方のクダリさんじゃなくて?」
「クダリ、ねぇ。誰だか知らないけど違うわ、これは黒い方の忘れものよ」
「もしかしなくても、お弁当、ですよね・・・・?」
「ええ、もしよければ貴方がお食べになる?」
「いえいえいえいえ!!そんな、訳にはいきませんよ!!
ええと、黒ボスに用があるんですよね?参ったなぁ・・・」
包みと私を交互に見比べて、先ほどの笑顔と一転して困ったように頬を掻いた。
「それが、ついさっきファンの女の子たちが黒ボスのところに押し寄せてきまして・・・贈り物とかお弁当とか持ってきたもので、機嫌を損ねたのか一言も発しないで事務室に引きこもってしまいました」
「・・・ああ、なるほど」
要するに、誰とも分からない人間をノボリに近寄らせる訳にはいかない、ということか。
「信用ならないなら、これを見せてから彼に渡して頂ける?なんの反応も示さないようでしたらゴミ箱に捨てるなりバスラオの餌にするなりしても構いませんわ」
いつも私が身につけている髪飾りを引き抜いて、包みの結び目にはさむ。
これなら顔を見せずとも分かるだろう、分からなかったらお仕置きだ。
「は、はい。分かりました」
「ありがとう。貴方の名前を聞いてもいいかしら?」
「カズマサです。これ、黒ボスに渡せばいいんですよね?」
「ええ、そう。じゃあお願いするわ」
包みを彼に渡すと、予想外の重さに驚いたのか気を取られているすきに、私は彼から離れた。
「え、ちょ、あの・・・貴女の名前は――――ッ」
後ろから焦ったようにかけられる声は無視した。
「はぁ、行かなくてよかったわ。噂なんて立てられたら迷惑だものね」
トレインが出たのか大分人の減った階段を上がりながら後ろを振り返った。
そこにはやけに着飾った女子が屯しており、風上なのかキツイ香水の匂いが渦を巻いているようだった。
ああいうのは面倒だ。
カズマサの言う通り、熱狂的なファンを近付けるとどんな事件に巻き込まれるか分からない。
一応自分も経験したことはあるのだが、あれは相当なタラシでない限り上手くかわすことはできないだろうと思う。最寄りの駅にいたり、仕事先で待ち伏せされたり、そういった輩の執着心はいまだに理解できない。今思い出してもぞっとする話なのだが、酷いときには合鍵まで作られて部屋にカメラや盗聴器まで仕掛けられたこともあった。ストーカーというものはまったく気持ちが悪い。死ねばいいのに。
勿論、同棲している今はそんな被害は全くないが。
「うふふ、どんな反応するかしら?」
あと、お弁当を渡した後のカズマサは果たして五体満足で今日の仕事を終えることができるのだろうか―――と、想像して笑った。
嗚呼、これだから女ってやつは面倒くさい