動き始める運命








「ポケモンの幸せについて、考えたことはありますか?世の中にはバトルを得意としないポケモンがいることをご存知ですか?彼らは野生でのびのびと生活していたところをヒトに捕獲され、自由を奪われボールによって拘束されているのです」




嫌な目だ、と思う。

弱者を見る眼。
害虫を見る眼。
燻るような怒りを宿した眼。
凍てついた狂気を宿した眼。
―――この世のありとあらゆる不幸を見たような、絶望の淵で得た光を奪われた者のような、それでいてどこか救いの慈悲を連想させる、混沌と嘲笑と落胆と切望とを混ぜこぜにして綺麗に模った、偽善的な眼。

無機質で人を人として見ていない双眸は、どこまでも透き通ったNの硝子のような眼を思わせたものの、共通しているのは正反対に走る狂気くらいなもので、すぐにその考えは捨てた。





「私はポケモンじゃないから知らないし知ろうとも思わない。それに、世界中にいる彼らのことを考えてあげるほど優しくないわ」






自分は正直者だから、嫌なことは嫌だと主張する。
我慢することで苛立ったり、感情を上手く整理できずに不満を抱えたままもんもんと過ごすよりはいくらか気分がいいからだ。


その考えは子供のころしか通用しないことも分かっていた。

大人になれば仕事をして理不尽な思いをするし、大勢の人間が集団として生活しているものだから、個々の意見が全て採用される訳ではないと理解していた。

誰かは合わせなければならない。
妥協しなければならない。
自分の意見を曲げて、誰かの言うことに従わなければならない。

少数派の意見はいつだって、無制限大多数の意見に飲み込まれてきた。







しかし、





だからといって、









    ・・・
「それが正しいとは限らないのよ」








そう言うや否や、ため息をついたゲーチスの獰猛な赤い眼が、ぎらりと牙を剥いた。









「仕方ありませんねぇ」








笑みを浮かべたまま、言う事を聞かない子供を叱る母親のように残念そうな顔つきで、実に自然な動作でボールを取り出した。






「―――貴女のような、賢い女は嫌いですよ」








間を置いて、その言葉の意味を理解したハイネは、赤い舌を妖艶にちらつかせ自分の唇をぺろりと舐めた。







「そう?私は、賢い男は嫌いじゃないわ。でも、まぁ可愛げのある男の方が好きよ」








同時に、眩いばかりの赤い閃光が、一瞬の静けさの後に弾けた。





















―――ところ変わって、ギアステーション。 
平日でも深夜でも走り続けるバトルトレインの中では、今しがたイヤホンから流れてきた“リタイア”を告げる駅員の声にがくりと肩を落としたクダリと、隣りで静かに目をつむっているノボリがやれやれと腰を上げていた。






「どうやらお客様は下車されてしまったようですね」

「うぅ〜、なんで皆ココまで来てくれないんだろう!
しかも今のバトル見た?すっごく惜しかったのに!!どうして半端に振っちゃってるのかなぁ、もったいない!!」

「仕方がありませんよクダリ、きっとまたご乗車して下さいます」

「うん・・・早くバトル、したいなぁ・・・」






クダリは手に持ったボールを握り、暗い地下しか映さない窓の外を見つめた。






「・・・ねぇ、ノボリ」

「なんです?お腹でも空いたのですか?」

「うん・・・って違うよ!!空いてるけど、違う話!!聞いて!!」





ぷく、と頬を膨らませた弟に呆れた視線を送ると、バトルできなかった悔しさか兄にからかわれたからか、おそらくどちらも原因だろうが、顔を赤くしていたクダリが薄く涙ぐんでいた。




「調べても何も出てこないし皆から聞いた話じゃ訳わかんないから直接ノボリに聞こうと思って」

「・・・ハイネ様のことですか」

「うん」

「何を知りたいのか存じませんが・・・クダリが満足するような回答はできないと思いますよ」




がたごと揺れる車内に二人きり、ギアステーションに戻るために緩やかになった速度を感じながら、ノボリは頭の中に一昨日のハイネの姿を思い出していた。


彼女は自分がいない時間をどう過ごしているのだろうか。


せいせいする、と羽根を伸ばしているのか、下僕の如く尽き従う者がおらず不便に思っているか―――希望としては後者であればいいのだが、それほどまで彼女に必要とされているかと問われれば自信はない。

しかし、彼女無しではいられないのだ。


中毒性の高い甘い猛毒だ、といつしか彼女に言ったことがあるけれど、“馬鹿らしい”と一蹴されてしまったのを鮮明に覚えている。




「ノボリ・・・その、ハイネって子、どんな子なの?トレインに乗ったことある子?」

「ええ、シングルに一度だけ。こういったバトルは慣れないと仰ってすぐに降りてしまわれましたが・・・」

「そうなの?じゃあ、会ったのはシングルトレインで?もしかして、ノボリの一目惚れ?」



一目惚れ、といえば一目惚れだ。

けれど幼い頃から密かに想いを寄せていたというのは、その部類に入るのだろうか?




「どう、なんでしょう・・・難しいですね、どう伝えればよろしいのでしょうか・・・言っても、伝わるかどうか」



うんうん唸っているノボリの横顔を見ていたクダリは、ふと視界に入ってきたギアステーションのホームを映す車窓に目を奪われた。



「?」



ゆっくりと停まるトレイン。
クダリの視線は車窓に注がれたまま、傾げた首もそのままだ。



「ねぇ、ノボリ・・・」

「うーん・・・初恋、いえ違いますね・・・・・・難解です、うーん・・・」

「ノボリってば!!」

「なんです、一体・・・」

「あれ、見て。迷子のポケモンがいる」




ぷしゅ

音を立てて開いた扉から出ると、確かにぽつん、と不自然にホームに佇むポケモンがいた。
トレインから降りたクダリがそのポケモンに駆け寄る様子を後ろについて見ていたが、どうも様子がおかしい。






「わぁ、ムウマージだ!ねぇキミ、どこから入って来ちゃったの?トレーナーとはぐれちゃった?」

「・・・!」

「それにしても、バトルした訳じゃないのに傷がいっぱいだね・・・早く回復してあげなくちゃ」





見覚えのあるムウマージが―――いつも彼女の手で最大限にケアされていたはずのムウマージが、体中に傷をつけて、今にも地面に崩れ落ちてしまいそうなほど弱った状態で、ホームに浮かんでいたのだった。




























ああ、早く貴女様にお会いしたい





[back]
×