彼のいない二日目



ああ、面白かった。


買い物に行く途中で会った青年、確かNといったか・・・昨日はあの邂逅が忘れられず、その後自分が何をしたのか記憶にない。

ただ気付いた時には食材の入った紙袋を手にマンションまで帰って来ていたし、ポケモン達も大人しくボールに入っていたから、心配するようなことはなかったのだと思う。





「N・・・N、ね」




変な名前、と最初は思ったけれど、きっとイニシャルのようなものなのだろう。ポケモン愛護団体とはいえ、彼が口走ったことは犯罪予告そのもの。本名を隠してていても何ら不思議はない。







「若いわねぇ」





私自身もまだ若いのだけれど、Nのように感情のままに動く気にはなれない。

自分にそれだけの力があったとしても、口で言うのと実行に移すのはまた別の話だ。








例えば―――そう、“貴方は人を殺せるか”?



これは極論になってしまうが、人間は誰しも生活するうえで必要最低限の力しか使っておらず、言ってしまえば常に頭で考え体を動かしている状態でも、わずか20%ほどしか能力を発揮できていない。

何故か。
人の意識には顕在意識と潜在意識というものが存在する。
潜在的能力は普段では私たち人は発揮されていないし、常に発揮していると身体や精神に悪影響を与えるからだ。


そう、言うならば「火事場の馬鹿力」がそうであるように、普段、私たちの能力や力は脳がセーブしている。常に100%の能力や力を発揮し、使っていると筋肉や骨など身体が壊れてしまうのである。また、能力も100%使っていると精神的にダメージを与えるので、脳は無意識のうちにセーブしているのだ。


だから筋肉の力でも普段は一生懸命頑張っても70%〜80%程度しか使われていない。
では、どのような時に潜在的能力が発揮されるかというと、それは「危機的状態、危険回避能力」などに遭遇した場合に多い―――





ここまで話せば分かるだろうが、人間にはもともと人を殺すだけの力は備わっているのだ。


ただ、倫理観にとらわれて踏み切らないでいる―――しかし、“堰”が壊れてしまえばそれはたちまち意味をなくす。









「清らかで美しい―――だけど、故に脆い」



「もしくは、最初から壊れていたか」








怖いくらい純粋で、まっすぐな瞳。


もっと近くによってみたいと思った。でも、あんまり近付くと彼が汚れてしまうように感じて、声をかけるだけに留まった。





昔の自分は彼ほど純粋だったろうか。



あんなに綺麗な言葉を吐いただろうか。





















違う。

私はあんなに綺麗じゃなかった。








「馬鹿よねぇ」






そう呟いて、くるりとスカートを翻しながら後ろを向く。









「ムウマージ、催眠術」






ぶわ、と姿を現したムウマージが命令と同時に催眠術をかけると、立ち並ぶビルの隙間や木の上からぼとりぼとりと人が落ちてきた。頭から落ちた者はすぐさま気絶し、ある者はしばらくゆらゆらと抵抗をしてみせたが、やがて皆同じように寝息をたてた。悪趣味だな、と先ほどまでの機嫌はどこへやら。苛立ちから一番近くで気を失っている一人を蹴りあげた。


ふと、全員が同じ服を着ていることに気付き、ため息を吐いた。








「はぁあああ、せっかく人が思い出に浸っていたというのに、邪魔しないで下さる?」

「おお、それはそれは、申し訳ないことをしましたね」



やけに派手な格好をした背の高い男性が、倒れて眠る人間をひょいと跨いで近付いてきた。






「どちら様?」

「失礼。ワタクシはゲーチスと申します。貴女は・・・フフ、名乗らずとも結構ですよ」

「なんとなく癪に障る話し方ね・・・まぁ都合いいけど、私に何か用かしら。趣味の悪い服でも自慢したいの?そのいかにも裏がありますっていう胡散臭い笑顔をひっこめて目の前から消えてくれたら聞いてあげるけれど」

「さりげなく傷付くことを言いますね」

「事実じゃない。怪しいわよその服、悪趣味」

「・・・」








棘のある言葉を投げつけても、ゲーチスと名乗った男性はにこりと人好きのする笑みを浮かべている。

なんだろう、すごく腹が立つ。
見ていて寒気がする、というより―――人の心を見透かしたような、どちらかというと嘲りを含んだ冷たい目。人を信用しない、嘘に塗れて曇った瞳。ああ、これは嫌いだ。

それは隣りにいるムウマージも同じようで、警戒心を露わに黒い靄を滲ませ低く唸っていた。







「まぁそれはさておき・・・」







ゲーチスはもったいぶったように肩をすくめてから、ハイネがしていたように転がる人を蹴り飛ばした。

その行動に眉を顰めていると彼はにこやかに、こう言い放った。







































「貴女は、ポケモンの幸せは何と考えていますか?」





[back]
×