今日は旦那は朝から非番・・・・いつもなら朝から晩まで鍛錬してるか甘味屋巡りをしているのに、今日に限って姿が見えなかった。
「さくらちゃんのところにでも行ってんのかねぇ」
旦那の部屋に向かう途中、女中たちの話し声が耳に届いた。
音量から察するに、女の子同士の話らしく、いつもの癖で天井裏に隠れた。
「幸村様、両手いっぱいにお花を抱えてたわね」
「そうねぇ。それに、私たちに尋ね事をなさる回数も増えたし、噂は本当だったのかしら。でも嬉しいことよね、女人を近づけなかった幸村様が・・・」
「そうそう!お顔を真っ赤にして、“おなごはどのような花が好きか”なーんて・・・可愛らしくて応援したくなっちゃうわよね。嬉しい反面、ちょっと複雑な気もするけど」
「親心みたいなもんよねぇ」
「まったくだわ」
とたとた、と段々遠ざかっていく足音を聞きながら、佐助は苦笑いを溢した。
「(まさか旦那がそんなに惚れこむとは・・・俺様びっくり)」
女中にさえ満足に話しかけられなかった彼が、女子のために自ら動くとは・・・成長したものだ。
普段持たない花を抱えるほど用意して出かける主の様子が目に浮かび、よっぽどさくらちゃんが好きなんだねぇ、と微笑ましく思った。
「さっ、さぁすけぇぇぇええええええええええええええ、ッ!!」
「(何でいるのさ)」
太陽が高く昇ったころ、出かけていたはずの旦那が戻ってきて叫んだ(あれ、なんかこの単語だけだと凄く不名誉な誤解が・・・)
っていうか、耳痛いし。
俺様忍びなんだから、控えめに呼んでよ。
「何よ旦那ー」
「さくら殿が・・・ッ」
「は?」
何言ってんの旦那。
知られたくないみたいだったからせっかく黙っててあげたのに、俺様に言って良いわけ?
ああもう、なんて情けない顔してるのさ!!
紅蓮の鬼とか呼ばれてる武将が、たった一人の女の子の為に泣きそうになるとか駄目でしょ!!
「っとにかく、来てくれ・・・!!」
洗濯物を片付け終えてようやく一休みしようと思っていたというのに、不意の主の要望にこたえなければならないとは。
服の裾をつかまれてしまっては逃げることができない。
そのまま、何故か連行されるような形でずるずると引きずられるのだった。
案内されたのは思ったとおり彼女の屋敷。
旦那はわき目も振らず、まるで自分の家のように躊躇いなく敷地内に入っていった。
もちろん俺様は知らないフリ、彼女に迷惑かけちゃうからね(あーあ、どうしてこんなに他人に気遣わなくちゃならないんだろうね)
旦那が言うには、さくらちゃんが咳をして倒れてしまったそうだ。
寝所に運んだはいいものの、彼女の顔色は一向によくならない。
気にしなくていいと追い返され、それでも放って置けなかったらしい旦那が俺様を呼んだ・・・・と。
何コレ、俺様なんだと思ってる?
母親じゃないんだけど?
「・・・さくらちゃん、俺様だけど入って良い?」
入らないで欲しい、といわれた旦那は、俺様の言うとおり一足先に大人しく上田城に帰った。
その時の表情は不安と困惑と嫉妬と心配が入り混じった、酷く衝撃を受けたような―――忘れようにも、目に焼きついて離れないほど子供の顔をしていた。
「うう、さ、佐助さん・・・?」
「うん、そう」
襖を開けて部屋を見渡すと、日差しの当たらない場所に敷かれた布団の上に彼女がいた。
彼女は佐助の姿を見るなり体を起き上がらせようとするがすぐに咳き込み、くたりと布団に倒れこんでしまった。
「ごほ・・・っ、お構いできなくてごめんなさい、佐助さん。幸村さんにも、申し訳ないことをしてしまいました」
「旦那から聞いたよ?倒れたんだってね、無理しすぎたんじゃないの」
「ええ、情けないですが」
近寄ってみると、元々白かった肌からは血の気がすっかり消え去り、笑顔も僅かだが影がさしていることが見て取れた。
青白いを通り越していたような気がする。
「・・・風邪、じゃないよね。喉かな、ちょっと音がおかしい。」
絶えず胸を押さえ、苦しそうに咳き込む。話そうとしても、言葉を出す暇がない。
「ふ、こじらせたのかもしれませんね・・・っこほ」
「嘘でしょ?」
「・・・・・・はい、嘘です」
「まったく嘘つきだね、さくらちゃんは」
彼女が口元にやっていた布を外すと、それは真っ赤に染まっていた。
「俺様のことなめないでよ?いくら旦那が騙されるからって忍びの目を誤魔化せるとでも思った?あと血の匂いが染みついてるね、症状が治まらない、むしろ酷くなってるのかな。女人特有のアレでもなさそうだ」
「思ってないですけど、ね。幸村さんを、心配させたくないんです・・・ふ、良くして頂いているのに申し訳ないですし。でも、ありがとうございます、秘密にしてくださって。ああでも、移ったりする病ではないので」
「そんな心配はしてないよ」
「そう、ですか?それでも、ありがとう」
「・・・別に、アンタのためじゃないし」
自分の血に驚きもせず、まるで分かっていたことのように彼女は笑った。
「仕方ない」と言い続けて、手のうちようもないほど疲弊したその笑顔に、以前までの太陽のような温かい光はなかった。
旦那は気付いていないかもしれないが、数日見ない間に随分と頬がやせてしまっている。
「旦那に隠し事するつもり?いつかバレたとき、どうするの」
「・・・それは」
「隠し事って、される方がよっぽど辛いんだよ。自分が無力だったとか頼られたかったとか信用されていなかったのかとか、すごく不安になるし怖くなる。
そういうこと、分かってる?」
「そう、ですね・・・幸村さんはとくに」
ひたすらに、真っ直ぐに。
いつだって自分に正直で、偽りが嫌いで、だからこそ皆から好かれる優しい人。
「あの人は、大きい。私なんか・・・塵に思えるくらい」
「塵・・・は言いすぎじゃないかなぁ」
旦那はさくらちゃんに依存している。
確かに旦那は単純だけど、自分の直感というかそういうものはかなり鋭いから嘘を見抜くなんて造作もないこと。
でも俺様が見た旦那は―――泣きそうだった。
本当に、彼女のことを信じきっているようだった。
もし彼女が間者だとしたら、危険すぎる。その可能性は限りなく低いにしろ、今旦那の心を占めているのは間違いない。
大事がない今のうち、弱っている今のうちに病のせいにして殺してしまった方がいいのでは?
目の前で血を吐き苦しそうに咳をする少女を見てこんな残酷なことを考えている自分はやはり忍びだ。
「っふ、ふふ・・・でも、まだ死にたくないと思うんですよ・・・」
「そう」
「だから、あとはお願いしますね」
壊れそうな笑顔だった。
「さくらちゃんさぁ・・・旦那に隠し事多いよね。そんなに信用できない?少しくらい我侭言っても平気だよ。旦那はそんな事で人を嫌いになるような人じゃないって」
「そう、なんですよねぇ・・・」
「だから困るんですよ」といってから、彼女は激しくむせ始めた。
持っていた布は既に重く、白い面積なんてほとんどない。傷だらけの白い小さな手は、今や血だまりができている。布団にも散ってしまった。ああこれは落ちないな、と内心。
背中をさすってやると、彼女はまた控えめに笑った。
「幸村さんは大きくて、優しすぎるんです。現に、今日倒れた時だってあの人は私を抱えてここまで運んで下さいました・・・構わないで欲しい、と言ったのに。それが、私には酷く辛かった。まるで太陽、のような方。お傍にいられるのが、夢のようで、奇跡のようで、幸せな時間でした」
「・・・当然でしょ」
「当然、というからこそです。私が寂しいと、いえば来てくださるでしょう、私が苦しいといえば助けてくださる、でしょう、私が悲しいといえば笑わせてくださるでしょう・・・・私は、幸村さんの、打算のない優しさが、怖い」
子供のようにひたむきで
たまにみせる男らしさが
「死にたくない、なんて言ったら」
だから言えない、と彼女は微笑んだ。
恋ひわび しばしも寝ばや 夢のうちに 見ゆれば逢ひぬ 見ねば忘れぬ(恋しく想うことに疲れたから、少し眠りたいの。
もしかしたら夢であの方に出会えるかもしれないし、
夢に見れなくても、その間は、この疲れ果てるほどの恋しさを忘れていられるもの)
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