女の子と話していてあんなに幸せそうな旦那は初めて見た。
さくらという少女と会った次の日から急に活気付いてるし・・・
ああ、そういえば何回かそんな波があったような気がする。落ち込んだかと思えば次の日野は打って変わって明るく仕事と鍛錬に精を出して夜は阿呆みたいに大きないびきをかいて眠りにつく。
なんて分かりやすいんだろう。
暗くなるとあの子の屋敷の方角を見てるのは変わってないけど。
悪い影響を与えてる訳ではないけれど、主の精神を左右させるほど大きくなっているらしい存在に、警告したほうが良いのかもしれない。
「(ここ、だよねぇ。屋敷も相変わらず綺麗なままだけど、人の気配がないんだよなぁ〜どうにも怪しいなぁ、俺様の杞憂でなければ良いんだけど)」
前回と同じように、木に登り茂る葉の中に身を隠す。
屋敷は静かで人の声どころか気配すらない。女中の一人でもいれば、どこの手の者か調べやすいんだけどな、とため息をついた。
「まぁ本人に聞くのが手っ取り早いか。さーて、お仕事お仕事っと」
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「・・・」
「・・・・・・」
「ふぁ・・・・・・・」
「!!」
さて、どっちが俺様でしょう。
なーんて、言わなくても分かってると思うけどね。
今俺様は彼女を見張ってるんだよ。
っていうか、おかしくない?
天井裏とかやけに綺麗なんだけど。
普通の家は屋根裏の掃除なんてしないから虫とかねずみとかの死骸があったりする。お城みたいな、忍びを抱えている屋敷ならともかく、死骸の一つも見つからないのはどう考えてもおかしい。
というか埃のもなかった。ほら、土とか砂利とか出入り口にあってもいいはずなのに、すごく綺麗!!何なのここ!ここまで清潔にできるものなの!?天井裏まで掃除が行き届いている屋敷なんて、今まで出会ったことがない・・・!!!
怪しすぎる・・・!!!
なのに。
「ふぁぁぁあ、こんなに良い天気だと眠くなりますねぇ」
ぽかぽかと温かい日差しが降り注ぐ中、あくびをしてのんびり気ままに隠居生活・・・
えええええナニコレぇぇぇぇぇぇええ。
彼女は縁側に座って、膝の上にのせている猫の頭を優しく撫でている。その横には盆にのせられたお茶とお菓子があり、先ほどから膝上の猫が狙っていた。え?気付いてない?わざと?
花でも観賞しているのか、それともただの誤魔化しか。
怪しいところは一つも見られないけど、どうしようかな?
のんびりしすぎなんだけど!!!
何あの子、もしかしてただの一般人!!?
外見的にはのほほんとした普通の女の子にしか見えない。
日光浴が気持ちいいのか目を瞑り、今にも眠ってしまいそうな感じ。ちなみに、猫はお菓子を狙うのをやめ、彼女の膝の上で心地よさそうにまどろんでいる。あ、寝そう。
平和呆けしているその様子は、とても甲斐武田に害をなす人物にみえない。
佐助は、自分の勘違いかと思った。
が。
その時、彼女は振り向かずに口を開いた。
「ねぇ、忍びさん。貴方も一緒に日向ぼっこしませんか?」
馬鹿な少女だ―――
せっかくこちら側が退こうとしていたというのに。
佐助は口元に薄い笑みを貼りつけ、陰に忍び一瞬で彼女の背後に移動する。
そして、まだこちらに気付かず、背を向けたままの彼女の首に苦無を押し付けた。
「へぁ!?えええええ、え、うううううそ!ちょっ、ちょっと待って!待ってください!!いたんですか?!」
「へぇ、しらばっくれる気?俺様ちゃーんと気配消してたはずなんだけどなー」
「えぇ!?ほっほほほ本当の忍びさんだったんですか!?まままままさか当たるなんて!!」
「当たったもなにも、知ってて言ったんじゃないの?」
片方の腕を腰に回して、いつでも刺せるように喉元に当てた刃に力を込める。
殺気を少しだせば、彼女の体がびくりと震えた。
そういえば寝ていた猫がいなくなっているが、そこまで気にする必要はないだろう。
「ねぇ、ちょっとさ、答えてくれないかな」
ぐり、と強く押すと、白い肌に一筋の赤い線が出来た。
「いいいいたっ、えーっと、あの、私、盲目なんです」
「盲目?ああ、そういうこと?でも気配が分かるなんておかしくない?普通の女の子ってそういうのは読めないと思うんだけどなぁ」
「いえいえいえいえ!!だから!!言ったでしょう、「まさか本当にいるなんて」って!!何かいるかな?とは思ったんですけど、大当たりだとは思いませんて!!」
「本当?」
「本当ですっ」
五感の中のどれかを失うと、他の機能がソレを補う為に高くなるときいたことがある。
先天的なものか、それとも後天的に身についたものなのか。どちらかは分からないが、彼女もその部類らしい。
苦無を突き付けられて必死になっている様子は、嘘をついているように見えなかった。
「うん、分かった!まぁよくよく考えてみたら、可愛い女の子一人で何かできると思わないし、俺様優秀だからもし襲われたとしても何とかできるよね!」
苦無を首から離すと、線の傷からスッと赤い滴が流れ落ちた。
「うう、痛かったです・・・っあ、もちろん誤解はとけたんですよね?」
「ん?多分ね!」
「た、多分。なんて恐ろしい。
というより、何故私のところに現れたんですか?」
「え、あー・・・あは、あはは、うん。聞いたら答えてくれる?」
「ええと、何となく想像はつくのですけど、幸村さんのことでしょう?」
「そうそうそれなんだけどーって、え゛?」
「よく話して下さいましたから」
彼女はそういうと、首筋を伝う血を着物の袖で拭った。
じわり、と朱色が滲んでいくのをみて、佐助はギョッと目を見開いた。
「ちょまっ、待って待って!せっかく綺麗な着物なのに!っていうかそんな高級なの汚しちゃっていいの!?血って落ちないんだよ!?」
懐から布を取り出して首に当ててやると、彼女は意外そうに呟いた。
「この着物はそんなに綺麗なんですか?」
きょとん、と言ったのち申し訳なさそうに目を伏せた。
「幸村さんは、この色は私にとてもよく似合うとおっしゃって下さいました…ですが、私には美しいのかさえも分かりません」
「さくらちゃ」
「ふふふ、私の名もご存知なんですね」
彼女は嬉しそうに笑う。
「さくらちゃんは・・・どうして笑っていられるの?」
使いでもいるのだろうと思ってみれば、いつの間にか軒先に置かれている生活用品。
広すぎる屋敷に、たった一人で住む盲目の少女。
一人で家事をして、一人で寝て、話し相手もろくにいないのに―――まるで檻のような広くとも狭い場所で。
こんな、抵抗する術も持たない弱い少女が。
「うーん・・・・どうなんでしょうね」
辛くないわけはないだろうに。
「私、物心つく頃にはここにいたんです。父様も母様も、私が幼い頃に火事で死んでしまいまして・・・親戚に、引き取ってくださった方がいるのですけど、会ったこともありませんし」
言いながら、庭の桜に顔を向ける。
「料理は使いの方に教えていただきました。火の扱いも、場所も、なんとなくですけど覚えられましたし。おかげで手がボロボロになってしまいましたが、それでも生きていられることは素晴らしいと思えます」
「使いの方が迎えにいらっしゃって、ここに連れて来て下さった。一言も話してくれなかったのは少し悲しかったですけど、我侭なんて言えません」
「そんなことないんじゃないの?だって、引き取ってくれたんでしょ?少しくらいはさ、我儘っていうか、お願い?してみるのもありじゃない?」
ここまで言うのは、無責任すぎるだろうか。
ましてや自分は忍び込んできた怪しい存在。
先ほどまで彼女を殺そうとしていたし、励ましても何の意味もない。
困ったように笑う彼女が何を考えているのかは知らないけれど、今まで会うことすら出来ないというのは、つまり、そういうこと。
閉じ込められているのだ。
しかし、彼女の言う通り、この時代に争いに巻き込まれることなく生きていられるのは奇跡に近い。商人や農民ですら、盗人の被害に遭わないとはいえないのだ。
「だから、慣れちゃいました。あとは、そうですね。私が笑っているのは、きっと諦めているからですよ」
「・・・うん」
「幸村さんには内緒にして下さいね?言ったらなんだか怒られちゃいそうで・・・」
細く白い傷だらけの人差し指を唇にあてて、「彼にだけは嫌われたくないんです」と彼女は言った。
思へども 験(しるし)もなしと知るものを なにかここだく吾が恋ひ渡る(いくらあなたを思っても甲斐がないと知っているのに、どうしてこのようにあなたが恋しいのでしょう。)
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