よごれっちまったもろもろに




いつもと変わらない、穏やかな仕事時間であった。
家庭の事情で早朝からの授業を受け持っている三谷くんの課題を採点しながら、彼の手が止まるようなら手元のプリントに助言する。基本的に個人での対応をしているこの塾では、比較的大人しい生徒が多いけれど三谷くんは大人しい上に素直だ。中学生と大学生を比べても仕方ないと思いつつ、ひねくれにひねくれた美鶴と比べてしまう。比べてしまえば彼を可愛く思ってしまうのは仕方のないことだと思う。だって可愛い。

「……はい、国語の読み取りにちょっとバツついたね、あとは大丈夫です。今日も国語に力入れた課題出すよー」
「あー、やっぱり……。要約は得意なんだけどなー」
「読み取る練習は意識しましょっか。漫画でもいいんだよ」
「本当?」
「感情移入するのが大事なの。読む力さえあれば何となく解ける問題って多いからお得だよー」

時計に目を向ければ授業時間が終わるまで五分となく、慌てて鞄から課題のプリントを選び机に並べた。
早朝は新聞配りのバイト、直後に受験対策の塾、その後休む間もなく中学校に向かうのだという恐ろしいスケジュールをこなそうとする三谷くんの背中は眩しく、怠惰に嘘まで追加して汚れきった私には目が潰れるようだ。筆記用具等を要領よく片付けてありがとうございました、と頭を下げて学校に向かおうとする生徒をほんの少し贔屓してもバチは当たらないと思う。
教室を出てすぐの階段の踊り場で三谷くんを引き留め、出勤前に買っておいた某バランス栄養菓子をそっと渡した。お決まりのように、なおかつ申し訳なさそうに受け取った三谷くんは、いつものように小声でありがとうございます、と言うので無言で口許で人差し指を立てる。こんな差し入れが同僚や他の生徒に見つかったらそりゃもう恐ろしいことになるだろう。
中学校に向かう彼と私の向かう駐車場は方向が同じなので、授業終わりはいつも一緒にビルを出る。この日も私が戸締まりだとかを済ませる間に三谷くんが先を行き、ビルの出口で彼を見送るはずだった。

「………」
「三谷くん?忘れ物?」

階段の先に立ち止まっている三谷くんの背中に声を掛けたけれども、階下で足を止めた彼は振り返りもせずにじっとしていて動こうとしない。過密なスケジュールに体調でも崩したのだろうかと恐怖して肩に手を置けば、振り向いてくれたので救急車の世話にはならなくてすみそうだけれどもやはり心配なものは心配だ。
少し低い彼の目線に合わせるように腰を折って目を合わせると、うつ向いていた彼の目が明確にこちらを見た。まだ幼い、中学生の顔だ。目が眩しいほどに真剣で思わず体を起こして姿勢を正す。まだ、子供だ。でも今にも大人になりそうな。

「……芦川先生、いつも忙しいのにありがとうございます」
「この時間は塾講師なんて暇なもんだから気にしないでいいんだよ!ほら、遅刻しちゃうよ」

背中を押すために差し出した手は三谷くんの手に引っ張られ、ぎゅううと痛いくらいに握りしめられる。

「俺、先生のこと好きですよ」

へ、と呟く頃には手が離され、三谷くんはとっくにビルを出て通学路を走っている。
火照る頬をぱたぱた扇ぐ手とは反対の、握られていた手をわきわきと握りしめて、うん、とひとりうなずく。

「ははは。ただのモテ期か」












「私もうすぐ塾の仕事辞めるかも知んない……」

組んだ指に鼻を埋め込むようにしてテーブルに凭れ、そう切り出してみたけれども美鶴はといえば「ゲンドウか」と意外に的確な突っ込みを入れながらも動じた様子はない。いつもと変わらず食後のお茶を淹れてくれる態度はむしろ頼りがいがあるように思えてきたので、紅茶のカップを受け取りながら話を掘り下げてみることにする。まあ、生徒の個人情報だとかはもろもろの都合で言えないが、流石にこんな状況になったことなどないもので混乱しているのだ。もろもろを伏せればセーフだと思いたい。

「美鶴って一週間に二回告白されたことある?」
「あるけど」
「おうう……!じゃ、じゃあそのあとどうしたの」
「……どうでもいいだろ」
「よくありません。一応は私は美鶴の保護者なんだから」
「保護者に言いたくないことなんてたくさんあるものだろ」
「いやでもね」
「先に告白してきた方と付き合った。これでいい?レポートあるから」

カップの中身が空く前に立ち上がり、携帯だとかも持って部屋に行く美鶴を引き留めることも出来ずに頑張ってね、と月並みな声を掛けて見送った。まだこの手の話は避けられちゃうか、と覚悟はしていたけれどもさらに落ち込んでいると、たか子用の携帯に着信がありやはりというか美鶴からのメールだった。

「……なんなんでしょうねこの温度差は」

まだ起きているか、今週末会えないか、会いたい、という文字数は少ないくせに甘い内容の文面を見て、照れたらいいんだか悲しんだらいいんだか分からなくなってテーブルに全力で突っ伏した。三谷くんの事案は保留にしようそうしよう。




14.09.16

bkm

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