ルフランがリフレイン


逃げちゃダメだ、と連呼したくなることって意外とあるよなあ、と最近になってしみじみ思う。歳かしらとフレッシュな仕事先で思ったことをいやいやと否定して、家に帰って美鶴に「飯、風呂」と関白してますな発言を頂いてまた疑問が頭をもたげた。家も職場もピチピチ。言動はともかく美鶴の肌もピチピチ。私の彼氏ももちろんピチピチ。いやそこは論点ではない。

あの年若い彼氏が気に病まないよう、話さなければと決意した。あんなに気まずい空気を作ったのは私だ。キスを拒んだくせにいつも通りに振舞ってメールも同じテンションでしてどっと疲れた。疲れたからこそこのままじゃダメだと確信した。

「あ。今日、亘呼んだから」
「急だな?」
「いつもこんなもんだろ」
「そうだけど!お茶請けとかお菓子とかお茶とか心の準備とかあるの!」
「いつも探せば出るくせに」
「心構えは探して見つかるものでもありませんふふっふーん!」
「歌うか叫ぶかどっちかにしろよ」

私も美鶴も自宅にいる休日の朝、予想外に苦もなく会う予定が出来上がる。と言っても彼女と自宅デートじゃなくて友達と家ゲーだとかそんな感じらしいけれども。
逃げちゃダメだ。そろそろ口癖になりそうなそれを心の内に何度か唱えて、三人分のお菓子とお昼の確保に掃除とバタバタしていればすぐに約束の時間やらになったようで、三谷くんの気まずげな「お邪魔します……」に胃を痛めつつ出迎えた。そそくさと美鶴の部屋に向かう二人を見送り、いや話し合うタイミングなんてなくね?と焦りつつもろもろとやらなきゃいけないことを片付ける。時間を潰すように家事をして、仕事をまとめて、いっそ疲れて昼寝でもしたくなったころに美鶴がリビングへとやって来て、ちょっと買い物なんてジェスチャーをして出ていく。これはカノジョーちょっとあれなんとかしてよー、みたいなやつだろうか。いや美鶴がこんなにチャラついたら殴って泣くけども。
せっかく美鶴が気を使ってくれたのだ、ペットボトルを抱えるようにして彼の部屋のドアを叩く。聞きなれた「わっ!」という驚く声が小さく聞こえて、だいぶ緊張が解れながら開けた。

「勉強?ゲーム?お茶?それともわ、た、し?」
「えっと、不二子さんで……!」
「さすが三谷くん、照れながらも王道を通すとは……」

気負わずいつも通りに話しながら部屋に入り、ローテーブルの隙間をぬってお茶のペットボトルを置く。早々に投げ出されたらしい教科書類の上にはゲームやらスポーツやらの雑誌が広がっているのでお邪魔だったかしらという心配はどうにかなくなった。むしろ健全で何より、先生の言うことじゃないけれども。

「あの、美鶴なら買い出しに行きましたよ」
「邪魔者は退散してやるよって顔してたね」
「貸しだぞ忘れるなって顔でもありますね」

話しながらにじり寄り、一人分空けて座っていた空間を詰めていく。死にそうなくらい心臓が脈打っているため、体が震えて制御出来なくなる前にと必死に。三谷くんの顔は見れないけれども、びくりと一度跳ねてからがっちりと固まるのが目の端に見えた。会話は普段と変わりないトーンで行われている。その温度差が私たちの歪さなのだろう。
膝と手が触れそうになるところまで近付いて、下を見ながら体を伸び上がらせる。三谷くんの詰める直前の息が頬を掠めて、ようやく近すぎるその顔を見ながら顔を傾けた。当然、息は止めている。当たり前だけれども会話も消えた。お互いがお互いの動向に戸惑って、待っている。
待って、待って、結局それ以上顔を近付けることは何故か出来なくて、でもやらなければと顔を突き出すのに。きっとお世辞でしか可愛いと言ってもらえないような顔を覚悟でキスをしようとしているのに。
息の限界まで粘って、決意かなにかが足りなくて動けなくて、それでもと倒しかけた体は熱い手に押されて地面に垂直になった。私の肩を押している三谷くんが、また見たことの無い顔をして私を見詰めている。笑いたいのか痛いのか判断出来ないような表情だった。

「不二子さん、別れてください」
「……えっと?」
「僕、不二子さんにそんなことさせたくないんです」
「……キスしたくないの?」
「し、したいです、けど!」

青かった顔が一気に赤くなるのを間近で見て、笑ってしまえば先程までの緊張感も薄らぐ。掴まれたままの肩は少し痛いけれどもそれが余程私を冷静にさせてくれた。
大丈夫、話をしよう。前みたいに数式の答えを探すように。

「私は三谷くんのことが好きですよ」
「は、はい。僕も……ううん、僕は不二子さんが好きです」
「うん、私のは、たぶん、違うんだろうね。だいぶリスキーだったけど」

力が少し抜けてきているのに震える指が私の肩に乗っている。それを下ろしてふたりのあいだで握り込めば、今までで一番近しく話せている気がしたし、きっとそう感じているのは私だけじゃないんだろうと思う。ずっと直視出来なかった顔をお互いに見ながら、答えを探す。

「僕は不二子さんが好きだから、今みたいな顔はさせたくないです。だから、別れてください」
「……あれ、僕?顔?」
「今その話しますか?」

ふは、と笑う顔はありきたりに高校生らしくて、見慣れた「子どもの三谷くん」ではないことが悲しいような嬉しいような気持ちで唇を噛んだ。そんなあやふやな感情を「よいしょー」と座り直すことで誤魔化して、お互いに距離をとる。
途端乱雑なノックが聞こえて、勝手知ったる様子で扉に寄った三谷くんが当然のように返事をかえしながら開けた。

「おかえり美鶴、今月号あった?」
「ない。取り寄せる」
「え、それ唐揚げ?今からその量?胃の耐性こわ……」
「はいはい暇そうな叔母さんは戻っていいぞ」
「ひどい!」

あんまりな言い方に嘆きつつ助かるものは助かるので「どっこいしょー」と声を上げながら立ち上がり、ほんのり足取り軽く部屋を出ようとして、三谷くんの「美鶴」と呼ぶ声が聞こえて振り向いた。騒がしい場所でもはっきりと届くような、振り向かずにはいられないような声だった。

「僕達、別れたよ」
「……へえ」
「だから気を使わなくていいんだよ」
「今まで使ってるように見えたか?」
「僕にはね」

聞かなければと思ったけれども、話に入るのははばかられてそのまま部屋を出る。啓示的な会話は終わったようでいつものように遠慮がちかつはしゃぐ声が漏れてきて安心した。
肩の荷が降りたような、重すぎたものが急になくなって浮き上がるような、そのまま転んでしまうような心境で、悩みながらリビングの定位置に座り込んだ。
あの時、あの夜に三谷くんと付き合うと決めたのは私なのに、それは正しいと感じていたのにどうしてこんなにも軽くなれるのだろうか。あれは間違っていたんだろうか、たか子の存在のように。
ううう、と彼らの目がないのをいいことに、ひとり項垂れて唸った。なにも消化できやしないのに。














「ねえ美鶴、私別れちゃったよ」
「知ってる」
「アヤちゃんになんて言おうかなぁ、応援してくれて……応援か?あれ」
「どうせまた根掘り葉掘り訊かれてネタにされるんじゃないか」
「人非人みたいに言わないでよ可哀想でしょうがありそうで怖い!」

いつも通りにふたりきりの夜だ。あけすけな会話が増えたのはきっといいことだろうけれども、こちらも早く消化してしまいたかったから私にもよかったかもしれない。
アヤちゃんへの不信感という名の信頼を募らせつつ、ぐったりテーブルにもたれてマグカップを傾ける。私と比べればしゃっきり座って見える美鶴も、心なしか疲れた様子でサイダーを傾けている。そりゃあそうか、家族と友人の別れ話が目の前で繰り広げられたんだから。いや直視はしてなくとも負担だろう私ならそうだ。今回は私が当事者だけども。

「でも、少し気楽になったろ」
「ひどいわー振られた私にそんなこと言うのー」
「叔母さんが振ったんじゃないのか?」
「そうなのですよ」

そう、と独り言の声量で呟いた美鶴が変な顔をしながら黙る。彼の女性関係が荒れていた頃にそれに触れた時も似た顔をしていたけれども、あれよりは少し柔らかく見えて、怖くない。

「ま、叔母さんには亘は早かったんだろ。唾付けるの失敗したな」
「逆じゃない?三谷くんには私という存在が早すぎたんだし?ほら、この年まで彼氏なしだし、うっ」
「はいはい元気そうだな。それ飲んだら寝ろよ」
「おうおう年下のくせによ、言ってくれるじゃねぇか、うぅ」
「よーしよしよし」
「おい彼氏力消えてるぞ美鶴、それでいいのか美鶴」

動物愛好家の如く、たか子には絶対にやらなかった雑な力加減で、サイダーの缶を片手に適当に頭を撫でられる。絶対空き缶を捨てるついでに撫で回していると思える自然さで、私がマグカップを抱えるのに忙しく振り払えないのをいいことに好き放題にかき混ぜる。いっそカップの中に整髪剤なりなんなりが混入しそうな勢いだ。
抱えることすら諦めたカップに蓋をするように手で持っていれば、気が済んだらしい美鶴が鼻でくすくす笑ってからキッチンに行き、しっかり缶を洗って捨ててから自室に引っ込む。私の話を聞くためにリビングに居たのかとそこで気付いて、芋づるのように美鶴が不二子のことが好きだと言っていたことを思い出した。不二子とたか子で、だいぶ態度が違っているけれども。
美鶴の目の前で三谷くんに告白した事、こうして失恋をさめざめと泣いてみせた事、どう見えているんだろう。今まで私が気付けなかったみたいにどこかに押し込めているのだろうか。私みたいにうだうだと外に出すようなことはせずに。
私はこの体たらくだけれども、三谷くんは今頃どうしているんだろう。流石に高校生になってからぎゅうぎゅうに詰めているらしいバイトも終わっている時間だし、お母様と談笑してるのだろうか、私みたいに。それともひとり部屋で泣いてるのだろうか、あの日の夜のように。あの日みたいに悲痛に泣かなければいい。今の私には出来ることがなくなってしまったから。
そこまで考えて、私の気持ちは案外嘘でもなかったのか、と、ちょっとだけ泣いた。



18.10.03

bkm

サイトトップ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -