フルメンタルパニック


「別れてほしい」

私が振るつもりだったし、当然だと思っていた。
だから覚悟はしていたのに、いざ会って話して、美鶴さんからそう告げられたらものすごいショックだった。なんとも自分勝手な話である。

「……あ、」
「ごめん、自分勝手だよな」

情けなくも助手席で泣き始めた私を、肩を引き寄せて慰めてくれる美鶴さんはどうしたいのだろうか。温泉ではあんなに世間一般的にいちゃいちゃしていたというのに、私が言うのもなんだけれども一回別れてからはお互い本音というか素でいることも増えていて、私が別れ話を持ってくるのは唐突過ぎるんじゃないかと危惧していたくらいで。
美鶴さんから別れようなんて言われるとは、露ほども思っていなかったから。だからこんなに悲しくなって顔面が制御できなくなっていく。前は、どんなに悲しくてもこんなに崩壊するほどではなかったのに。

「……あたしの、せいですか。この間の旅行で、」
「俺の問題だから。殴ってもいいし罵ってもいい」

こんな時って言葉も出ないもんだなぁ、なんて自己分析を頭の隅でこなしつつ、どうしたらいいのか必死で考える。
別れたかったのだからなにも問題はない、はずなのに、ものすごい悲しくて涙が止まらない。拭うために挙げた手はどちらも美鶴さんに掴まれてしまって、年甲斐もなくというかこの格好に相応しくうえうえ泣き出した。

いつまでそうしていたのか体感では分かりようもなく、どうにか気持ちを落ち着かせて彼からひとりぶんの距離を空けて、ようやく話せるようになった頃。
ちゃんと顔を見ながら話したくていつか呼び出された公園のベンチに場所を変えた。傍目にはまだまだカップルに見えているのだろうかと、ちょっと邪推して泣きそうになったのを笑って誤魔化した。美鶴さんも、似た顔をして手のひらの缶ジュースを転がしている。

「殴られる覚悟で言った。それくらい自分勝手な事だと思って。……殴るか?」
「……理由だけ、訊いてもいいですか」

合わせていた目線が逸らされて、どことも言えず下に落とされる。言おうか悩んでいるというよりは言葉を選んでいるような空気に、ひたすら待った。
本当に同じ空間にいるのか疑いたくなるような底抜けに明るい子どもの笑い声がひとつ上がって、ふたつ上がって、ようやく美鶴さんの視線がこちらに戻ってきた。愛おしむ顔で。

「話したけど、俺は家族がいない。親戚の家で世話になってるんだけど」
「……?うん」

それ今関係ある?と全面的に声色に出して、話を促す。まあある程度一緒に居れば分かるよね、という程度だけれども、美鶴さんは客観的にもひとり暮らしとは縁が遠そうな感じがあった。

「今は母の親戚の……笑えるくらい遠縁だけど、仲が良かったってひとのところに世話になってる」
「そうなんですね……」

知ってるけどね、とへまはしないように心の中で相槌をうちつつ、演技でも何でもなくしんみりと話を聞く。まだ恋人のような近さだけれども、きっと帰る頃にはすっかり「元カノ」になるのだろうなぁ、なんて考えてしまえばまた涙が滲むけれども泣いていては話が進まない。

「俺、その人が好きなんだ」

待って一気に進みすぎじゃないかな。
たか子のキャラを忘れて真顔になりかけつつ、へえ、とどうにも曖昧な相槌を口から漏らす。というか展開についていけないというか、認めたくないというか、ともかくは頭がその瞬間確かに真っ白になった。なんも考えらんねぇ。
公園のベンチにもたれ掛かるという様になる格好のままほのかに笑って、とても好きなひとのことを語る顔ってこんななんだなぁと見とれるくらいな現実味がないくらい綺麗な空気で話は続くようだ。だいぶあたし置いてけぼりだけど。

「たか子に最初に会ったときさ、おばさんって呼んだろ、俺。たか子があんまりおばさん……好きな人に似てたから」
「そ、そんなに、似てるんですか?」
「まあ叔母よりたか子のが垢抜けてるし可愛いな」

怒るべきだろうか喜ぶべきだろうか、さらに判断が難しくなったことにより寄せた眉間の皺は、根本的な原因である美鶴さんの指によりほぐされて笑われる。それにあたしも笑ってしまいながら景色に目を向ければ、心得たように美鶴がまた口を開いた。長い話だ。不二子にとってもたか子にとっても。

「最低だって分かってるけど、たか子を叔母の代わりに出来るかもしれないと思った。今までも代わりか、諦められるくらい没頭できるものを探してたけど家に帰れば駄目になって……もう、保護者が必要な歳でもなくなったし、出ていけばいいだけの話なんだけど出来なくて」
「代わりに、なれました、か」
「……好きだよ、たか子」

先に別れを切り出したのだから、そういうことなんだろう。
あたしは別れたがっていたくせに、伸ばされた手を縋るように握り込む。
別れ話ってこんなんでいいのだろうか。お互い未練がましく手を繋いで、けれどもお互い不満はなさそうで、きっとずっと引きずるだろうけれども思い出として忘れたくないような。

「たか子も話があるって言ってなかったか」
「……一緒です。別れ話。お揃いですね」
「うわ、先に言ってよかった」
「何でですか?」
「男の沽券」
「なにそれ」

繋いだままだった手を離した。キスだって何回もしていたのに、唇が離れる瞬間よりもやたらと気持ちが残っていて、確かにこれが合図だった。

「携帯、今度こそとめてくださいね」
「仕方ないな、帰りに手続きするよ」
「……あの、本体、貰ってもいいですか」
「いいけど。どうするの?」
「写真を印刷してから、捨てようかなって」

いつも通りに話して、いつも通りに最寄り駅まで送ってもらってから車を下りて別れた。一度振り返れば、運転席から手を振る美鶴さんが見える。小さくたか子らしく振り返してから、駅に入った。










後腐れないしトラウマものでもないし、上々の結果だったじゃない?嘘を貫き通しちゃったしけっこう万々歳じゃない?と開き直りながら、奈々花の家で着替えてメイクを直し不二子に交代する。なんかもうこのルーチンで気持ちを切り替えていたものだけれども、もう無くなるのかと思うとしんみりしてしまうものだ。

「はぁー……服のシェアも今日で最後かぁ」
「私よりため息重いとか理不尽じゃない?」
「似合ってたのに……他人にメイクし放題だったのに……」
「やましいね?遊ぶ時ならギリ付き合うからね?」
「ヨッシャ今度双子コーデしよ!」
「あっさり立ち直ったよー、ていうか同じ服なんて二枚あるの?」
「え?色違いとか買っとくでしょ?」
「おぅふ……」

動けて仕事着にも使えりゃいいという私とは大違いの価値観に戦きつつ、スカート丈なんて気にしなくていいし崩れても気にしない髪に戻ってからぐったりしつつ携帯を見る。もちろんたか子用ではなく不二子用だ。生徒からの連絡だとかが来てないかだけ見ようとして、おや、と画面をよくよく見る。三谷くんから一秒の着信。こちらの都合を気にしてか、メール連絡が多い子なのに珍しい。

「奈々花、一秒着信ってどう思う?」
「モテ期かいたずら、緊急事態かなー」
「すごい全部方向性が違う……!」
「相手によるから。とりあえずかけ直して怪しければ切っちゃいなよ」

何事もないのなら高校での生活でも訊ねて適当に切ればいいか、と頷いて、気持ちあれなので奈々花に背を向けるようにして通話ボタンを押す。

「あ、三谷く、」
「……美鶴、僕、だめかもしれない」

数コールの後に出た声は、明らかに泣いていた。美鶴、と呼んでいるから苗字くらいしか見ていないのかもしれない。
いつもはきはきとしていて、早朝でも元気で、そこそこ年上の美鶴とも仲良く笑っているところばかり見ていた彼が、体裁をなくして泣いている。
ノイズのように車の走行音が聞こえるので外なのだろう。外は暗い。こんな時間に高校生が出歩いているのは注意しなければならないし、そもそもが心配になる状況だ。

「三谷くん、どうしたの?今どこ?」

電話口でも分かるほどに大きくひゅうと息を飲む音が聞こえて、すぐにぶつりと通話が途切れる。

「やばい。緊急のほうだった」
「不二子ったら今日は盛りだくさんねぇー」
「今日のお礼は後でするから!」
「あと詳細も話してくれるなら許す!」

急いで身支度を整えて、美鶴にメールを送る。電話だと三谷くんと被ってしまうかもしれないし一応は別れたりした後なのでまだ声を聞く準備は出来ていないのだ。奈々花に愚痴ることで消化しようとしていたけれども、そんな時間は残念ながらない。
高校生がこの時間に居座れる場所、と考えて、ともかくは駅前の公園だとかに足を向けようと決めて走る。たか子の服装じゃこんなに全力で走れないなとかどうでもいい事まで思いながら走って、走って、走り過ぎて息を整えていたところに美鶴からの返信があって、そこには彼の自宅付近の廃ビルで見つけたと書かれていた。時間的にホラーだ、なおのこと未成年二人だけにしてはおけない。怖いけど。だいぶ怖いけど。
タクシーの運転手にだいぶ嫌な顔をされながら廃ビルへと向かい、そのまま待ってもらって携帯を明かり代わりに掲げながら非常階段から忍び込む。学生の頃だってしなかった冒険じみた行動で、私の精神も肉体もぼろぼろである。いやちょっと楽しい。
出番がないようならタイミングを見て声を掛けさっさと帰らせよう、そう思って物音を立てずにふたりの気配を探して、突然響いた叫び声に肩を跳ねさせた。
なんだこの声、三谷くん?いつも仕方なさそうに笑っている、あの三谷くんの声?

「僕はお父さんと同じだったんだ!」

ビルの外にでも響いていそうな絶叫に、足音を忍ばせるのも忘れて階段を駆け上がる。僕、とか、お父さん、とか、しっかりした三谷くんからは聞いたことのない単語が多くて戸惑うけれども、だからこそ急がなくてはと思う。
壊れそうな声だ。受験前の、人生を背負った生徒が時折上げてきた声だ。すごく柔らかいところの近くの。

「せ、先生には好きな人がいるのに、先生を好きな人がいるのに僕が余計な気持ちを持ったから」
「ワタル、落ち着け」
「壊したくなんかないんだ!なのに、僕は」
「ワタル!生年月日と両親の名前、言ってみろ」
「嫌だ、僕、あのヒトと同じにだけは、」
「三谷くん!」

冷静になるためには素数を数えるといいと聞いたことはあるけれど、美鶴の生年月日と両親は新しいな?なんて考えてしまうくらいには私もパニックになっていて、階段を駆け上がった勢いのまま三谷くんの前に立つ。アスファルトに直接膝を付いて、頭を抱えるように倒れ込んでいた彼が驚いたように顔を上げて、その崩れかけた涙濡れの顔を見ていたら言葉がするりと口から飛び出した。

「私と付き合ってください!」
「……は?」
「…………え?」
「うん?」

三谷くんの肩に手を置いてしゃがんでいた美鶴が、迷惑な押し売りを見るような目で私を見上げる。
ここ、そういうシーンじゃないと思うの。たぶん。



17.09.17




bkm

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