※大江戸編です



大量のご飯を手に乗せ、両手で握る。標準の大きさの私の手だと、この大きさはなかなか骨が折れるのだけど、休む暇もなく急いで三つ作り上げた。
出来たおむすびを包み、暗い中でものを蹴っ飛ばさないように移動する。扉にたどり着くとそっとそれを開けて、私は小走りで彼の長屋の部屋へ向かった。


多分寝ているだろうと思ったのだけど、夢水さんは静かに入った私に、座ったまま振り返って首を傾けた。

「あれ、なまえちゃん」
「夢水さん、まだ起きてたんですか?」

いつも、食べるか寝るか本を読むかばかりしているのに。こんな時間だし、すっかり寝ているものだと思っていた。
下駄を脱いで、畳の上に上がる。おむすびを置いたらすぐに帰ろうと思っていたけど、やっぱり変更だ。窓の近くに座っている夢水さんの隣に腰を下ろす。月の明かりが差し込む。

「本を読んでたんですか」
「うん」

これは持って行けないからね、と呟くとその長い指がふるびた本を撫でた。私の周りにも、たくさんの本が畳を埋めるように乱雑に積まれている。
──明日。
明日、夢水さんは巧之介さんと一緒に“あめりか”に行くらしい。遠い遠い、私の知らない海の向こうの国。

「……大丈夫なんですか、アメリカの言葉なんて喋れないのに……」
「なんとかなるよ」

能天気にそう言う夢水さんは、多分これからどんなことがあっても変わらないんだろう。思わず苦笑してしまえば、彼も笑う。

「なまえちゃんは、どうしたの?」
「あ、えっと」

おむすびの入った包みを取り出して、夢水さんに渡す。きょとんとした顔で受け取った彼は、包みの中身を覗き込むと目を輝かせた。嬉しそうにおむすびを出した夢水さん。

「食べていいのかい?」
「もちろん、どうぞ」

そう言うと、いつものようにがっつくのかと思えば。
少し考える素振りを見せて、ゆっくりと一口かじった。次の一口も、同じように。ずいぶんよく噛んで食べてるなぁ、と思っていると夢水さんが口を開いた。

「なまえちゃんのおむすびは、やっぱり美味しいね」
「…………」

小さく笑って呟かれた言葉に、そういえば夢水さんに初めて会ったときに渡したのはおむすびだったと思い出す。亜衣ちゃんたちが夢水さんをうちの店に引っ張って連れてきて、とりあえずおむすびを作って食べさせたのだ。
あれはいつだっただろう。そんなに遠いことではないはずなのに、夢水さんと出逢ってからはそんなに経っていないはずなのに。

いつの間に、夢水さんは私の中で大きくなったんだろう。

きゅ、と自分の着物を握る。うつむいたら涙が出そうなのに、顔を上げたら夢水さんにこんな顔を見られるから上げることも出来ない。
夢水さんは、私のことを忘れないだろうか。ご飯を食べるのさえ忘れる人なのに、私のことを覚えていてくれるだろうか。嫌なのだ、忘れられるのは。嫌だし怖い。

「……帰ってきたら、また握ってあげます」

小さくこぼした言葉は、震えていたかもしれない。それでも聞き取ってくれた夢水さんは、私の頭に大きな温かい手を乗せた。
それから、うつむいた視界の中に一つおむすびが差し出される。見れば、どうやら最後の一つらしい。

「……食べて良いのに」

この声は彼に聞こえなかったみたいで、仕方なく私はそれを受けとると二つに分けた。片方を夢水さんに渡す。
自分の分にかじりつけば、塩の味がした。飲み込んだら、少しだけ目の前が滲む。

「……月は」
「……」
「どこでも見ることが出来るんだよ」

ぽつりと響いた声に顔を少し上げれば、夢水さんの指が夜空を指していた。黒い眼鏡の向こうで、彼はどんな目をしているのか。
いつも隠された目は相変わらず読めないけれど、彼の声は優しいからきっと優しい目をしているに違いない。

「なまえちゃん」
「……はい」
「大丈夫、また会えるよ」

もう一度、温もりを頭に感じた。
いつもの推理とは違って、ずいぶん非論理なことを彼は言う。だけど、夢水さんが言うと本当にそんな気がしてしまうのだ。そういう人なのだ。

「……あらぶゆ、」

教えてもらったそれを呟く。本当のところの意味は知らないけど、笑顔になれる言葉らしい。夢水さんも呟くのが耳に届いたから、静かに目を閉じて笑ったら涙が零れたのが分かった。今夜の満月は、なんだかいつもより明るい。


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