彼女を見たのは、ホテルのロビーだった。

そこは、ヨーロッパのとある国で。
珍しくクイーンが仕事をやると言ったため、ジョーカーは下調べの為にホテルに来ていた。
シャンデリアで明るいロビーには、数人のお客がソファーに座ったり、談笑したりしている。
そして、中央にあるグランドピアノ。
そこに、彼女は座っていた。

変装、そして映像を送るための眼鏡のレンズ越しにジョーカーは彼女を観察する。
何の変哲もない、女性だ。けれど、彼女は何処か人を惹き付けた。

色を押さえた控えめなドレスを着た、アジア系の顔立ち。
目の色は、ピアノと同じ黒。全てのものを映して、吸い込むような黒だ。

彼女は、ピアノの前の椅子に腰掛けて、鍵盤の上にそっと指を重ねた。流れるような動作に、お客たちは静まり返り注目する。
一度目を閉じてから、彼女の指は音楽を奏で始めた。

何処か聴いたことのあるメロディーが、力強く、それでいて優しく響く。
規則的なペダルの区切りは、まるでピアノの呼吸のようだ。
それと交わりながら響くメロディーは、歌声のように聴こえる。

いつの間にかロビーにいるお客たちは、音色に耳を傾けていた。

彼女はふ、と微笑み、軽く目を閉じる。そのまま踊る指先は、見えていないはずなのに正確に鍵盤を叩いていた。
そのリズムと同じように、髪がさらさらと流れる。

まるで、ピアノと彼女は一体化しているようにジョーカーには見えた。

彼女の瞼が開く。
優しい微笑みを口元に携えたまま、テンポを僅かに落とす。
そして、丁寧に音を押さえた。水面の波紋のように余韻が残る。

「……」

彼女が指を離した途端、拍手が周囲で起こった。
それぞれ小さいけれど、心のこもった拍手に、ふわりと微笑んで礼をした彼女はもう一度ピアノに向き直る。
そして一度、細い指でピアノに触れる。撫でるように。労るように。


「…………」
[……彼女のことを、調べましょうか?]
「っ、」

耳に仕込んだ通信機から、突然聞こえたRDの声に、はっとするジョーカー。
そして、彼女の音色に思った以上に耳を傾けていたことに気付いた。そんな自分に驚く。
動揺を押さえ、歯に仕込んだ通信機でRDに返事を返す。

「……なぜ?」
[気になっていたようだったので]
「……」

彼女の奏でる音は、宝石にも値するようなものかもしれない。
クイーンが目を輝かせるような、怪盗の美学にも当てはまるものなのかもしれない。

再び演奏しだした二つ目の曲に、また惹き込まれそうになる。
ジョーカーは、一度目を閉じてから口の中で言葉を返した。

「……いや、いい」
[……そうですか]

彼女は、こちらの世界の住人ではない。
ピアノを何より大切に想っているであろう彼女を、こちらに引き込むわけにはいかない。


ジョーカーは目を閉じて、その音色を楽しむ。あっという間にそれは、鼓膜を温かく包み込む。
名前も知らない彼女は音を奏でながら、こちらを見て確かに笑んだ。

それを見たのは、眼鏡から送られた映像を見ていたRDだけだった。



140916
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