「痒い……」

そう呟けば、前の席の住人が反応を示した。
眼鏡をかけた、野球部の捕手。
これだけの情報で、青道高校の生徒内では御幸一也という名前が出てくるほど、彼は有名人だ。
前後の席にならなかったら、ここまで仲良くならなかったと思う。

「どうした?」
「刺された」
「蚊?」
「蚊」

制服の袖から伸びた左腕を、御幸に見せる。
赤くなった箇所を見て、御幸はあー、と呟いた。

「でかいな」
「ん。痒い……」
「掻いたら血ィ出んぞ」

右手で思わず掻こうとすると、御幸が私の手首を掴む。
私の意思とは関係なしに、心臓がどくりと音をたてた。掴まれた場所が、熱をもつ。
そりゃそうだ。
気になっている彼に触れられたりしたら。
顔赤くなってませんように。

なんて私の願いも虚しく、私の顔を覗き込んだ彼は楽しそうに口角を上げた。

「みょうじ、顔赤い」
「っ、」

至近距離でそんなことを言われて、言葉を詰まらせる。
狙ってるのか、御幸はこの距離で会話を続けるらしい。

「みょうじ、もしかしてO型?」
「そう、だけど……」
「やっぱり。O型刺されやすいって言うもんな」

御幸は余裕な顔をしているのに、私の顔は多分赤いだろう。頬が熱いから、自分でも分かる。
ちなみに御幸はB型だそうだ。
そんな御幸ファンにとっては貴重な情報を教えてくれた御幸は、やっぱり楽しそうな顔をしていた。
そんなことを言っている間も、私の右手首は解放されない。

「……ねぇ、」
「ん?」
「手、離してクダサイ……」

もう耐えられないと、思わず敬語でお願いすると、彼は今度は声をたてて笑った。

「けど、みょうじ掻いちゃうじゃん」
「掻かないから……」

あの、本当にもうお願いします。
すると、御幸の手の力がふっと緩んだ。ほっと息をついたのも束の間、あろうことか彼は私の指と指を絡ませてきた。
一瞬固まってから状況を理解した瞬間、さっき以上に顔に熱が集まるのを感じる。

「っちょ、」
「なに?」

ニヤニヤしている御幸は、頬杖をついて相変わらず余裕のポーズだ。
っていうか、私手汗かいてないかな。やだ。

「……誤解されるよ」
「誰に?」
「貴方のファンに」
「あー、良いよ別に」

私が良くないのだけど。
こんなとこ見られたら、彼女達は黙ってないだろうし。困った。
だけど、そんな思考は御幸の次の台詞によって、ぷつりと途切れた。

「誤解されたくてやってることだし」

あぁ、もう。
そんなこと言われちゃったら、期待して良いんですか。



140830

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