03

頭を抱え、現実から目を背けていてもなにも解決しない。業務中にトラブルが起きた時は、まず上司に報告・連絡・相談することが鉄則だ。
「伊地知さんに連絡しないと……」
名前はスマートフォンの発信履歴にある『伊地知清高』の名前を探し、発信ボタンを押した。
無機質な呼び出し音が続く。伊地知は取り込み中なのかなかなか電話に出てくれなかった。
補助監督の人手不足で一番被害を被ってるのが伊地知である。多忙なのは重々承知であるが、粘り強く名前は電話を鳴らし続けた。
「はい、伊地知です」
「あっ、お疲れ様です、名字です。伊知地さん今大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫ですよ。なにかありましたか?」
大丈夫と言いつつ伊地知の声色は疲れを隠しきれずにいた。そんな中、新たに悪い知らせを告げるのは誠に申し訳なかった。
「すみません。あの、実は、駐車していた車のタイヤがパンクしました……4本とも」
「4本とも、ですか?」
さすがの伊地知も驚いたようだった。
「はい。悪戯か嫌がらせか分からないんですが、刃物で切られたみたいで自走不能状態なんです。こういう場合どうすればいいですか?」
「それは困りましたね。こちらでレッカーと代車を手配しますが、今日中は難しいかもしれません。必要ならばタクシーを使ってください」
もう日も暮れそうな時刻だ。代車も地理的にもすぐにこれるような場所ではない。
タクシーは見当たらないので呼ぶしかないだろう。こんな僻地でも来てくれることを祈るしかない。
「わかりました。お言葉に甘えさせていただきます」
「業者に送るので車の駐車場所の地図と破損したタイヤの写真を送ってください。顛末書等は急ぎませんのでお手隙の時にお願いします」
通話越しにカチャカチャとキーボードが鳴る音がする。どうやら名前と電話をしながら作業も並行してやっているようだ。
「はい。ありがとうございます。地図と写真はすぐに送ります。お忙しい中申し訳ないです」
「いえ。それではよろしくお願いします。また困ったことがあればいつでもご連絡くださいね」
伊地知の優しさには毎度ながらじーんとする。
本当にいい上司に恵まれた。
伊地知は誰よりも仕事をこなし、そしてその質も高く、部下への配慮も忘れないとなれば百点満点だった。前社の課長と部長に伊知地の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいに。
「ありがとうございます……。それでは失礼します」
伊地知との通話を終えた名前は盛大なため息を漏らした。



名前が伊地知に指示を仰いでいる最中、伏黒のスマートフォンにも着信が来ていた。画面を確認すると虎杖からの着信だった。
名前と伊地知との会話の邪魔にならないよう、少し離れた場所に移動した伏黒は、震えるスマートフォンをタップした。
「もしもし。何かわかったか?」
「ごめん、収穫はなにもなかった。あ、でも村長さんの弟さんが今日泊めてくれることになった」
「……それは助かる」
伏黒達は今日、在来線の最寄り駅まで車で戻り、駅前のビジネスホテルに泊まる予定だった。
車が自走不能になってしまった以上、村内に泊めてもらえるというのは願ってもない申し出であった。
「それで今から荷物を取りに行こうと思うんだけど、伏黒達今どこにいんの?」
「丁度車にいるから来てくれ。ついでに見てもらいたいものもある」
「おっ、りょうかーい。釘崎と今から行くわ」
軽快な声を最後に通話が切れた。
振り返ると名前の方も丁度電話が終わったようで、彼女は渋い顔をしながら近寄ってきた。
「電話、誰から?」
「虎杖からです。今日は村内に泊まらせてもらえるらしいですよ」
「有難いけど……なんで?」
村人達の態度からとても歓迎されてるとは思えない。泊めてくれるような奇特な人がいるとは信じられなかった。
「さあ?虎杖達が上手くやったんでしょう」
「さすが悠仁だね」
名前はここにはいない虎杖に、ぱちぱちと拍手を送った。
「車の方はどうなりそうですか?」
「レッカーと代車を手配してくれることになったんだけど、提携業者の拠点がここからかなり遠いみたいで時間がかかるって」
名前はげんなりとした顔で言った。
「でしょうね。まあ、車内が荒らされなかったことは不幸中の幸いです。充電器はありましたか?」
「あっ、そうだ。充電しなきゃ!」
すっかり忘れていた。
車のドアを開けた名前は、助手席の足元からモバイルバッテリーを発見した。どうやら鞄から落ちてしまったようだ。
伊地知と通話をしたことにより充電の残りはさらに減っていて、もう電池マークは赤になっていた。
「よし」
ケーブルを挿すとわずかな振動の後に充電が開始された。
「このドラレコってパーキング中も録画されてるんですか?」
伏黒の視線はバックミラーの横につけられたドライブレコーダーに向いていた。
「衝撃をセンサーが検知したら録画してくれるっぽいけど、パンクだと厳しそうかも。一応SDカード抜いて調べようとは思ってるけど」
「写ってるといいですね」
「ほんとにね。映ってたら容赦なく損害賠償請求してやるんだから」
誰の悪戯か知らないが、本当に良い迷惑だ。下手したら帰れなくなっていた。
誰が何のためにこんな嫌がらせをするのか。お陰様で余計な仕事ーー顛末書の作成と車の修理依頼ーーがまた増えてしまった。
名前が眉を寄せたのを見た伏黒は、薄く笑ってその眉間に指を伸ばした。ぐりぐりと圧をかけて皺を伸ばすように触れた。
「書類作成手伝いますから」
「……ありがと」
「どういたしまして」
名前は伏黒に頼ってばかりだ。
ふーっと疲れを腹の底から吐き出すようなため息を付いた名前は伏黒の胸元に顔を埋めた。
「ちょっとだけ、私も充電」
ここ最近仕事に追われてまともに話せなかった。伏黒は怒っていて冷たかったし、仕方ないとはいえ今日一日中他人行儀だった。
「虎杖達に見られたら名前さんは困るんじゃないんですか?」
未だ伏黒は意地悪をする。
「近くなったら離れるからいいもん」
「あいつらにまで隠す必要あります?」
「ある」
世間体の問題だ。伏黒にとってはどうでもいいことかもしれないが、名前にとっては重要なことだった。
例えば、五条から釘崎と付き合ってると言われたとしよう。お互いに好きあっている真剣交際だとしても、名前の中で五条に『非常識な大人』のレッテルが貼られる。
伏黒との交際を周囲に打ち明けることは、20年以上かけて築き上げてきた名前の常識が許さなかった。そもそも未成年とわかっていたら付き合わなかったかもしれない。……これは伏黒に言うと確実に怒られるので胸に秘めているが。
「別になんでもいいですけどね」
名前の額を自分の鎖骨に押し当てるように名前の頭を抱えた伏黒は、反対側の手で労るように背中を叩いた。
周囲の反応などどうでもいい。自分と名前の関係さえ保てるならば、何でもよかった。

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