01

番外編

水には魂を浄化する作用があり、その勢いが強ければ強いほど、浄化作用も強くなるという。だから滝はパワースポットになりやすいらしい。
高さ50メートルの崖の上から落ちた水の一部は瞬時に水蒸気に変わり、空中に霧散する。山の上から吹き下ろされる空気は秋の枯れ葉の匂いとともに名前の頬を撫でた。
「名字さん、ボーッとしないでください。足元危ないですよ」
「……あっ!ごめんなさい」
背後からかけられた声は苛立ちを含んでおり、振り返ると、案の定伏黒が憮然とした表情をこちらに向けていた。
「残穢も気配もありませんが、油断しないでください」
「はい、ごめんなさい」
今日は謝ってばかりである。
ぼうっとしていた自覚はあったし、なんなら、うっかり滝の音で癒されていた自覚はあった。これは怒られても仕方ない。任務中に呆けているほうが悪いのだから。

名前は今日、補助監督代理として一年生の任務に同行していた。理由は、単純に人手不足だ。
交流会で補助監督が犠牲になったことによるマンパワー不足に流行り風邪がとどめを刺した。
使える物なら箸でも棒でも使わざるを得ない状況では、ペーパードライバーだとしても免許があるなら使わない理由がない、と言うことで名前が今回の任務の運転手兼サポート役として抜擢されてしまったのだ。
臨時手当は出るらしいが、長時間の運転に行方不明者の探索という重責を思うと全然嬉しくなかった。

それになにより、伏黒の機嫌が悪い。
任務同行を引き受けた3日前から伏黒は名前に対して怒っていた。
名前からしてみれば、仕事だから断れないのに、怒られても困る。伏黒の怒りが心配から来ていることはわかっているが、その怒りの矛先を自分に向けられるのは納得できなかった。

伏黒の機嫌の悪さは、名前だけでなく釘崎も虎杖も感じているようで、
釘崎の言葉を借りるならば、今日の伏黒は、『重油まみれのカモメに火をつけそうな』くらい悪い。どんな例え?と思ったが、ピリつき加減としてはいい具合の例えかもしれなかった。
虎杖も往路の車の中で「なんかちょっといつもよりキレてない?」と本人に聞いて殴られていた。

公私ともにプレッシャーで胃が痛い。思わずため息をついた名前に伏黒は眉を寄せた。
「……疲れましたか?」
「エッ、ううん。平気だけど」
「平気じゃないですよね。昨日、ほとんど寝てないの知ってますよ。慣れない運転に加えて術式まで使ったんですから、疲れてないはずないと思うんですけど」
確かに昨日は明日までの報告書を書き上げていたせいで夜ふかしをした。
どうしてそれを知っているのかと驚きながらも、名前は大丈夫だと繰り返した。
「多少は疲れてるけど大丈夫。徹夜で出勤とか前はよくあったし」
「いいから休んでいてください」
伏黒は側にあった岩を指差して座るよう促した。
「でも、」
「でもじゃないです。ほら」
山中の探索をしていたはずの玉犬がいつの間にか現れ、座ることを促すかのように鼻面を腿に当てられた。
無碍に断るのも気が引けた名前は大人しく岩に腰をおろすことにした。
座るとすぐに肩の力が抜ける。自分が思っていたより疲れていたのかもしれない。
「あれ、名前ちゃん疲れちゃった?スポドリ飲む?」
岩に座った名前に気がついた虎杖は自分の持っていたペットボトルを差し出した。
飲む点滴とも称されるそのスポーツドリンクはすっかりぬるくなってしまっていたが、名前はありがたく頂戴することにした。
「朝からぶっ続けで運転してたしそりゃ疲れるわよね。私も休憩しよっと」
「釘崎は車内で爆睡してたじゃん」
「うるさーい」
釘崎も鞄からミネラルウォーターを取り出し、飲み始める。探索は小休止だ。
「ごめんね。みんなと違って体力なくて。それにしても玉犬の鼻を使っても手がかりなしか。どこかにいるはずなんだけど……どこ行っちゃったんだろうね」
昼前から捜索を続けているが、呪霊も探し人も見つからなかった。

SNSを通し、パワースポットとして知名度が高まった滝を訪れた観光客が行方不明者になる事件が相次いだ。
被害者は高専が把握している限りだと4名である。いずれも観光に行った娘が戻ってこないと親が通報しており、地元警察からの情報提供で窓が派遣された。
窓により呪霊のものと思われる残穢が、この滝で確認された。ちなみにその窓も報告後に行方不明になっている。

「名字さんが『視て』も何も無いってことは、呪霊はここにはいないってことですよね」
伏黒の言葉に名前は頷いた。
「たぶんそうだと思う。自信ないけど」
名前の術式は千里眼である。一定距離内の呪力のあるものは、障害物や結界の有無に関わらず視認することができる術式を持つ。
現地に到着してすぐに術式を展開し、山全体を確認したが、呪霊も残穢も確認できなかった。
「八十八橋の時みたいに何か発現条件があるんでしょ。滝から飛び降りるとか。虎杖、あんたちょっと飛んできなさいよ」
「いいよ」
「よくないよ!?」
釘崎の無茶な提案を名前は慌てて止めた。
「滝壺に落ちたらいくら悠仁でも死んじゃうって」
「虎杖なら平気っしょ」
「紐あれば平気だろ」
釘崎と伏黒の言葉は虎杖への信頼だろうが、名前からしてみれば論外の提案だった。
いくら身体が頑丈だと言っても、滝壺の中の対流に飲まれてしまっては、呼吸ができずに死んでしまう。
「そもそも、インスタ映えを狙った女子達は滝壺ダイブなんかしないでしょ!」
名前はアプリを立ち上げ、滝の名前を検索した。するとチラホラと写真が出てくるが、どれも滝の写真ばかりで滝壺に飛び込んだ様子は見受けられなかった。
「じゃあ、写真撮ってみる?」
「そうね。虎杖、ちゃんと滝も入るように撮りなさいよ」
こんな感じで、と釘崎は名前のスマートフォンに表示されていた投稿写真を指差した。
カメラをインカメラに設定し、滝と滝壺が映るように画角を調整する。
4人が入るようにするために、虎杖は精一杯腕を伸ばした。
「はい、チーズ」
カシャリ、と電子的なシャッター音がした。
「……なにも起きないわね」
ピースサインを解いた釘崎があたりを見渡して呟いた。
釘崎が言うようになんの変化もない。
「そもそも行方不明になった時刻もわからないからな。手がかりが少な過ぎる」
伏黒もお手上げのようだった。
高専から手配されたタブレットで改めて事前資料を確認してみるものの、不明点が多すぎた。
警察も事件、事故の両方から調べているようだが、目撃情報も遺体も見つからないので捜査が難航しているらしい。
「せめて防犯カメラくらいつけてほしいよなあ」
虎杖のぼやきに名前も同意をした。
鍵も閉めないらしいこの地域では防犯カメラという発想はないかもしれないが、この数ヶ月で少なくとも4人は行方不明になっているのだから、自治体としても対策はするべきだろう。
「居なくなるのが余所者だから興味ないのよ。クソ田舎ってそーゆーところだから」
苦虫を噛み潰した顔をした釘崎の出身も随分な田舎だと聞いた。確か、盛岡まで電車で4時間以上かかるとか。
彼女も地元で色々あったのだろう。
「ここに手がかりはない。下山して聞き込みに移ろう」
伏黒の言葉に虎杖と釘崎は頷いた。これ以上被害が出る前に跋除しなければならない。

滝の音を背に、砂利道を踏み締め、4人は麓の村へと向かった。

prev next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -