07

「字幕と吹き替えどちらになさいますか?」
受付係からの質問に五条と名前は顔を見合わせた。
「吹替で」「字幕で」
同じタイミングで異なる答えが発せられ、再度、五条と名前はお互いの顔を見合わせた。
「お前字幕だと寝るだろ」
「寝ないよ。悟こそ吹き替えは好きじゃないって金ロー見ながら言ってたじゃん」
「はあ?あれは素人が声当ててたからで……」
口論を始めた2人に受付係が苦笑いを浮かべていた。開演時間まで時間はそうない。
「お客様、いかがいたしますか?」
「吹替で」「字幕で」
「「「……………」」」
互いに譲らないことが判明した。
名前はそっぽを向いて譲る意思がないことを示していた。
名前は意外と頑固だ。御三家の子女らしく大人しくお淑やかな、つまり逆らわないように躾けられたかと思いきや、次期当主の嫁として大概甘やかされて育ったため基本的に折れない性格になっていた。
今度こそ後ろがつかえているし、受付係も困り顔だった。
「名前」
こめかみに青筋を浮かべた五条は隣に立つ名前の肩に手を回し、顔を近づけた。
「字幕にするなら、ここでチューすんぞ。すっげえやつ」
べっ、と五条は名前に向けて舌を出して見せた。
五条ならばやりかねないし、肩を抱かれては逃げられない。名前は顔を引き攣らせた。
「吹き替えでお願いします」
「はい。吹き替え2枚ですね。ありがとうございます」
受付係のにこやかな笑顔に見送られて2人はロビーへと向かった。

映画といえばポップコーンとコーラだと主張する五条に合わせて、名前もポップコーンとコーラを買った。
「セットにするとお安いですよ」と店員から勧められたためソルト&キャラメルのハーフアンドハーフのポップコーンとドリンクセットを頼み、指定のスクリーンへと向かった。
スクリーンの真ん中少し横の座席に座った名前はそういえば、と気になっていたことを聞いた。
「さっきポイントカード出してたけど、よく映画館来てるの?そんなに映画好きだったっけ」
「傑とたまに来る。あのポイントカードも傑のだし」
「そうなんだ。ほんと仲良いよね。そういえば私、夏油君と2人で遊びに行くことあんまり無いかも……今度誘ってみよ」
ゴフッとむせる音が隣から聞こえた。
何事かとポップコーンを摘む手を止めて横を見ると、案の定五条が噎せ返っていた。
「ちょっと大丈夫?なにしてんの……」
苦しそうな五条の背中を笑いながら叩くと、恨めしげな目が向けられた。
「2人で行く必要ないだろ。俺も誘えよ」
「さびしんぼ?本当に夏油君のこと好きだよね」
「お前マジでーー」
五条の言葉をかき消すようにブザーが鳴り、上映室の明かり落ちた。開演の合図だった。



映画が終わる頃には日はどっぷり沈んでいた。
映画の余韻を漂わせてふわついた気分になっていた名前は、少し前を歩く五条のシャツに寄った皺を目でなぞった。
「お前、腹減ってる?」
「あんまりお腹空いてない。さっきポップコーン食べたし」
「だよな。コンビニ寄って寮で食うか」
「賛成。バスで帰りたいから駅前のコンビニ寄ろう?」
高専の近くにもコンビニはあるが、そこに寄るなら停留所の関係上、立川駅から高専まで歩いた方が効率がいい。
だが、新しい靴を履いてきたせいか靴擦れ気味の名前には、坂道30分弱の道を登るのは辛かった。
ヒリヒリとした痛みを訴える踵にいつもの靴を履いてこなかったことを後悔した。
「あっ、本屋寄らなきゃ!」
「本屋?」
「硝子から雑誌頼まれてたの忘れてた」
映画館から駅に向かう途中、本屋を見つけて名前は足を止めた。すっかり忘れていた。
店頭に並べられたレディース雑誌から硝子に頼まれていたものを探す。タイトルが思い出せずに携帯を確認しようとした名前の後ろから、五条が一冊の雑誌を手に取った。
「これだろ」
「あーそれかも。ってかなんで知ってんの?」
「俺にも買ってこいってメールが来てた。お前はなんか読まないわけ?」
「ファッション雑誌はあんまり読まないなあ。どれ読んでいいかわからないし」
硝子が買ってきて欲しいと指定してきた雑誌は高校生向けではなく大学生向けのファッション雑誌だった。名前からして見ればすこし大人びすぎている。
「これとかじゃねーの」
五条が『JKに一推し!』とポップが貼られた雑誌を指差した。
確かに高校生向けのようだが、硝子の雑誌と比べれば子供っぽい。図らずしも硝子との差を突きつけられたようで名前はショックを受けた。
「私って、子供っぽい?」
「ん?まあ童顔だよな」
五条より半年は歳上ではあるはずなのに、ガキっぽいと鼻で笑われて再度ショックを受けた。
五条と夏油はその身長から大人びて見える。硝子も身長は並だが醸し出す雰囲気が大人っぽい。一方の、私はーー
「なんかショック。硝子の雑誌買ってくるからそこら辺で待ってて」
硝子に頼まれた雑誌だけを持ってレジに向かった。背伸びして買ったハイヒールは靴擦れするし、化粧をしても大人びては見えないようだ。
雑誌代600円を支払い、袋を受け取った名前は店の前で待つ五条の側に女性がいることに気がついた。
「お礼はお茶だけでもいいんで!この子一目惚れしちゃったみたいで」
「や、やめてよ!ごめんなさい本当に気にしないでください」
「あんたそんなんだから彼氏できないんでしょ。お兄さん、連絡先をお伺いしてもいいですか?」
逆ナンである。僅か数分離れただけなのに五条は綺麗なお姉さんから逆ナンされていた。
満更でもなさそうな五条は、2人を軽くいなしているようだったが、女性は引き下がらない。「せめてお名前だけでも!」と食い下がる様子は鬼気迫っており、見ていられなくなった名前は、もう一度店内に戻ろうとした。
「あっ、おい!どこ行くんだよ」
後退って店内に足を踏み入れた名前を目敏く見つけた五条は、その長い足を使って距離を詰めた。
何を思ったか、名前の腕を引き寄せ、後ろから抱き締めるように身体を密着してみせた。
「ごめんねオネーサン達。俺デート中だから勘弁して」
頬をくっつけてくるせいで、五条が喋るたびに振動が走る。
「なっ……!」
道ゆく人の視線が集まり恥ずかしいし、すごくなんだかモヤモヤする。
「バイバーイ」とがっくりと肩を落とした女性達に手を振る五条の胸を強く押して距離を取った名前はずかすがと早足で歩き始めた。
五条の頬のしっとりとした感触が未だ残っている。ファンデーションが崩れたらどうしてくれるのかとか、なんで逆ナンされてんのとか言いたいことはいっぱいあったが、まず何よりこの場から離れたかった。
「待てって」
「うるさい」
「なに怒ってんだよ」
「あっち行って」
「お前そんなに歩いたら、」
大股で歩いていた名前の踵にピリリとした痛みが走った。
思わず足を止めて、痛む踵を確認すると皮が擦りむけ少しだけ血が滲んでいた。
「ほらな、言っただろ」
名前の腕を掴んだ五条が、靴擦れを確認して呆れた声を出した。

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