06

いつ訪れても比較的整理整頓されていたはずの部屋は見る影もなく、机の上や椅子の上、ベッドの上に置ききれなかった衣類が溢れるように床にまで広がっていた。
ベッドの上に積まれた服をどかして座った硝子は、かれこれ30分近く鏡の前で唸り続ける名前に向かって呆れた声をかけた。
「立川で映画見るだけでしょ。なんなら制服のままでもいいじゃん」
「……まあそうなんだけど。なんというか、久しぶりに出掛けるからお洒落したくて?ねえ、このスカートの長さどう思う?露出多いと思われるかな?こっちのワンピースとどっちがいいと思う?地味すぎ?」
「短すぎってわけじゃないと思うけど。てか、お洒落して出掛けるなら黒以外の服にしたら。これとこれとか」
硝子はベッドの上にあった白い薄手のニットとグレーのスカートを名前に投げた。
名前の私服は暗色が多い。タグが着きっぱなしのそれらは珍しく淡い色合いだった。
「……どう?」
硝子から渡された服に着替えた名前はその場で一回転してみせた。
「そのニットかわいいじゃん」
「こないだ夏油君と買い物行った時に買ったんだけど、なんか落ち着かなくて……」
首周りが緩くだぼっとしたシルエットは可愛いが、名前がよく着ているのは動きやすい遊びのない服のため、落ち着かない。
落ちてくる袖を捲りながら名前はコートを羽織り「どう?」と再度硝子に感想を求めた。
「似合ってるよ。うん、可愛い可愛い」
「棒読み……まあいいや、硝子を信じてこれにする」
化粧を始めた名前を横目に硝子は携帯を弄り始めた。
先程からさりげなく撮っていた一生懸命お洒落をする名前の様子をメールに添付して、送った。相手の反応が楽しみだった。
「髪巻いたら気合い入りすぎって思われるかな?」
「いーんじゃない?デートなんでしょ?」
硝子からの相槌に名前は目を丸くした。どうして知っているのか。それよりも、
「デートじゃない」
「デートでしょ」
「ほんとに!デートじゃない!!!」
照れているにしては必死すぎるほどに否定をする名前に硝子は生温かい視線を送った。
「五条はデートだって言ってたけど」
「なっ、それはあいつが勝手に言ってるだけだから!どうせ夏油君とくだらないゲームでもしてるんでしょ」
罰ゲームで告白とか、付き合えるかどうかの賭けとか。あの2人ならやりかねないと思っている名前は唇を尖らせた。
「とにかく、デートじゃない!」
「そう。どっちでもいいけどそろそろ行ったほうがいいんじゃない?」
硝子が指差す時計は、現在時刻が待ち合わせの5分前であることを知らせていた。
「どうせ悟も時間通りに来ないからいいもん」
「それもそっか。あの遅刻癖どうにかなんないの?」
「ならないでしょ。本人悪いと思ってないし」
名前は呑気にヘアアイロンを暖め、毛先を緩く巻き始めた。別に悟と出かけるから可愛くしたのではない。あくまで、久しぶりの外出だから、ほんの少し気合いが入っているだけだ。
「ねえ五条から電話来てるよ」
「え、なんだろ。まさかキャンセル?」
「いや普通に待ち合わせ時間だからだろ。早く行きなよ」
時計を見ると確かに待ち合わせ時刻になっていた。

待ち合わせ場所の自販機の前に行くと、そこには既に五条の姿があった。
先程の着信を考えると、信じ難いことに待ち合わせ時刻前から待っていたらしい。
「おせーよ」
「ごめん」
いつもは微妙に遅れてくるくせに。まさか時間通りに来るとは思わなくてという言葉は飲み込んだ。
「まあいいけど」
ソファーにもたれ掛かっていたまま振り返った五条はサングラスを持ち上げ、上から下まで名前の姿を見た。
「なに?」
「別に。行くか」
足で反動をつけてソファーから起き上がった五条は、飲んでいたコーヒーの缶を潰してゴミ箱に投げ入れ、歩き出した。
「そういえば映画って何時から?」
「5時半から。お前どっか行きたいとこある?」
「強いて言うならマロンパフェ食べたいかも。さっきCMでファミレスもマロンフェアやってるって言ってたし」
「じゃあ駅前のケーキ屋行くか」
立川駅へはバスで行ったほうが早い。タイミング良く来たバスに乗った五条は、2人分の乗車賃を払った後、ステップの上から手を差し出した。
「え?一人で登れるんだけど」
「早くしろよ。後詰まってんぞ」
他人の迷惑にはなりたくない。慌てて五条の手を掴むと、引き上げるようにステップを登らされた。
五条はそのままバスの奥へと進み、最後部の座席の真ん中に座った。
手を引かれたままの名前もその隣に腰を下ろした。そして気が付いた。
「……後、つかえてるんじゃなかったっけ」
「お前がグズグズするのが悪い」
乗客の疎らな車内に、運転手の出発しまーすという間延びだ声が響いた。ドアの閉まる音がして、バスが動き出した。
「…………」
名前は握手をするかのように握られた手をゆっくりと引き抜こうとした。
「あっ、ちょっと!」
五条の手が緩まったと思ったら、次の瞬間には指と指を絡めるように握り直されていた。手先の器用な男であることは知っていたが、束の間の早技に名前は驚いた。
「デートなら手ぐらい繋ぐだろ」
「……まだそれ言ってんの?」
「俺がデートって言ってんだからデートだろ」
名前の指が握り込まれた。それでも痛くなく、ぎりぎりの手加減をされているようだった。
「照れんなよ」
「照れてないってば!」
「いや、照れてるだろ。耳赤いし」
思わず耳に手を当てた名前に五条はにんまりした。その仕草は、本人に思い当たる節があるということだ。間違いなく名前は照れている。
名前の体温を確かめるかのように五条はつながる左手に意識を集中させた。
「映画、楽しみだな」
「……それは、そう」
側から見れば初々しいカップルである2人にバスの乗客は微笑ましい視線を送った。



駅前のケーキ屋は夕方のためか学生で賑わっており、同年代と思わしき女学生達の笑い声が狭い店内で響いていた。
手持ち無沙汰にメニュー表を捲っていた名前は目の前の席から注がれる視線に訝しげな顔を上げた。
「さっきからなに?」
「別に?パフェ来たぞ」
トレーに乗せられたマロンパフェとパフェ用のスプーンが名前の前に置かれ、五条の前には紅茶が置かれた。
ご注文はお揃いでしょうか?の定形文に返事を返しながら、名前はスプーンを手に取った。
「いただきます」
モンブランを囲むように並べられた栗とクリームを掬い、口にいれる。想像通りの味に名前の口は緩んだ。
五条家で出される食べ物は和食が多く、デザートも和菓子が多かった反動か、高専に入ってからは洋菓子を好んで食べていた。その中でもモンブランは名前のお気に入りだった。
「うまい?」
「おいしい。悟も頼めばよかったのに」
「さっき傑とアイス食ってたから甘いもんの気分じゃなかった……けど、一口くれ」
五条が口を開ける。なんの違和感もなくスプーンでパフェを掬った名前は五条の口元にそれを届ける直前で手を止めた。
「なんだよ」
「いや、待って……ちょっと待って。これは良くない気がする」
スプーンを引っ込めようとした名前の手を五条は掴んだ。
「なにお前、俺のこと意識してんの?」
「してない」
「じゃあなんだよ」
五条の手と名前の手が引き合う中、パフェのアイスが溶けかける。
「あっ」
垂れちゃうと名前が慌て、力が緩むとスプーンは五条の口の中に収まった。
「あっ!」
「んだよ。美味いな」
名前は呆然とスプーンを見つめた。これは、あれだ。
「あーんってやつじゃん……」
「今更?お前の情緒が良くわかんねーんだけど」
「確かに今更ではある……けど……」
子供の頃から当たり前のように手を繋いでいたし、食べさせ合うのも今まで普通にしていた。
五条の言う通り今更ではある。今更ではあるが、無性に恥ずかしくなった。
「はい、スプーン。食べてもいいけど自分で取ってね」
「は?」
五条の手にテーブル備え付けのカトラリーケースから取り出したスプーンを握らせた名前は口の中に残る甘さ喉の奥に押し込んだ。

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