08

七海は一泊してから次の任務地に向かうという。明日の朝から任務のある五条に連れられて名前は深夜便で東京に戻ることになった。
往路と同じくファーストクラスを選んだため、五条の席と名前の席にはお互いの顔を隠すような分厚いパーテーションがある。
座席に深く腰掛けながら、五条は七海とジンギスカン屋で交わした会話を思い出した。
「五条さん、名字さんに対して近すぎます。セクハラで訴えられても知りませんよ。そもそも彼女には恋人がいるんですから、誤解のないよう大人として適切な距離を置くべきです」
その言葉が喉に刺さった魚の小骨のようにチクチクと存在を主張する。
五条にとって名前は伏黒と虎杖の付属物という印象が強かった。第一印象も、勝手な思い込みではあったが良くなかった。
それが今ではどうだろうか。
「……呪術界に染まりきらないところがイイのかな?」
「ン?なにか言いました?」
「なんでもない。独り言だから気にしなくていーよ」
五条は胸の中の蟠りを捏ねくりまわした。
ここ2ヶ月間、虎杖の世話を任した名前についでとばかりに自分の身の回りの事も任せていた。帰宅すると食事が用意されている生活は快適であり、思い返せば久しく自分のマンションに帰っていない。
虎杖の話を聞きながら、名前の作った夕飯を食べ、3人揃って同じ柔軟剤の匂いを纏って生活をする。たまには3人で映画を見ながら洗濯物を畳み、談笑する。
ホームドラマであるようなチープでありきたりな家族のワンカットのようで、五条はその穏やかな空間が好きだった。
「(……平和ボケだな)」
ウンウンと一人で納得した五条は、仮眠を取る為に目を閉じた。

飛行機が羽田空港に着いたのは、23時半だった。高専に着くのは日付を超える時刻になりそうだった。
「恵、怒ってた?」
「怒ってました。五条さんにも怒ってましたよ」
「そりゃそうだろうよ。僕が恵でも怒るもん」
「私が逆の立場でもいい気はしませんね」
高専に向かうタクシーの窓に頭を預けた名前はどうしたものかと唸った。喧嘩はしたくない。というか、伏黒は全く悪くないので喧嘩にはならないと思うが、謝って許してくれるのか不安だった。
「……名前も僕に怒ってる?」
「え?別にもう怒ってませんけど。そりゃ最初は何考えてるか分からなかったので怒ってましたけど、七海さんに悠仁を頼むためだって分かったので怒ってませんよ」
「なら良かった。罪滅ぼしにご馳走した甲斐があったよ」
「まあ、それも有難いんですけど、五条さんが忙しいのは知ってますから。その忙しい中、悠仁のために北海道まで行ってくれたんですから、感謝してます。本当に」
虎杖悠仁が呪術界でどう見られているのかは、疎い名前でも知っている。難しい立場にある虎杖の最大の後ろ盾が名実共に力のある五条であることは有り難かった。
五条は窓の外に向けていた視線を名前に向けた。
「僕も助かってるよ、名前がいて」
柄にもない五条からの言葉に名前は驚いた。
「私、謙遜でも何でもなく、本当に別に何もできてませんけど」
「僕も別に名前に何かしてもらってるわけじゃないんだけど」
五条は言葉を探すように視線を彷徨わせた。
「名前を見てると頑張るか〜って思えるんだよね」
「なんですかそれ」
意味がわからないと名前は笑った。
五条も人間であるから、肉体的に疲れることも、気分が落ち込むこともある。終わりの見えない呪霊の祓除任務に上層部との折衝、御三家のしがらみ、仲間の死。
日常に澱のように積もるストレスを感じても、何故か名前がいると気が楽になる。
「……やっぱりお前の平和ボケ空気に当てられてんのかも」
「悪かったですね。私、一般人なので」
窓の外に顔を向けた名前はむず痒い気持ちになった。
「…………」
「…………」
タクシーの中に不自然な沈黙が下りた。
車内にエンジン音とラジオの音が静かに流れる。
中央道を降りたタクシーは速度を下げて一般道を走った。
 
見慣れてしまった筵山麓の山間部を抜けると大きな山二つ分の敷地内に立ち並ぶ寺社仏閣が見えた。ゆっくり止まったタクシーから降りた名前は、真っ暗な辺りを見渡した。
ポツポツと明かりが見えるのが寮だろう。
「…………」
「どうした?」
「いや、伏黒くんが寮の前にいるのが『見えた』ので。待っててくれたみたいです」
寮の前で待つ伏黒の手には名前の鞄とジャケットが握られている。職員室に置きっぱなしであったものを持ってきてくれたようだった。
心配も迷惑もかけたことに今更ながら名前は罪悪感を感じた。
「すみません、五条さん。今日はごちそうさまでした」
「ん?ああ、いいよ。また明日から宜しく。僕、朝は高専に寄らないからご飯は要らないけど、夜は帰ってくる予定」
「分かりました。夕飯だけ作っておきますね」
虎杖の顔を見てから自分のマンションに戻るという五条と別れ、名前は寮の明かりを目指して歩き出した。

伏黒の元へと向かう名前の背中を見送った五条は虎杖が待つ部屋へと向かった。
0時を過ぎているにも関わらず、虎杖は映画を見ていた。画面には親指を立てて溶鉱炉に沈む男が映されている。シーンから察するに、映画は終盤のようだった。
「ただいま」
「お帰りなさい。あれ?なにそれ」
五条の声に振り返った虎杖は、五条が手に持つ紙袋に注目した。その紙袋には大きな北海道の絵が描いてある。わかりやすく、土産袋だった。
「今日、名前と北海道に行ってきてね。悠仁にお土産買ってきたよ」
「日帰りで行ってきたの?ハードスケジュールだね。でもなんで名前ちゃんと?名前ちゃんも任務だったの?」
「共通の知り合いに会いに行ったの。あ〜疲れた」
映画を止め、呪骸を脇に置いた虎杖は五条の差し出した紙袋の中身をテーブルに広げた。
一番大きな箱は白樺を模したバームクーヘンのようだ。ラングドシャクッキーにミルフィーユサンド、ジャガイモのお菓子数種類に生チョコレート、生キャラメル、そしてレーズンバターサンドが2箱とチーズタルトが3個。
「買いすぎじゃない?日持ちしないものも多いし」
「僕もそう思ったんだけど、名前がなかなか決めないから取り敢えず手当たり次第買ってきたんだよね。3人で食べればすぐ無くなるでしょ。あ、でもそのバターサンドは名前が食べたがってたから1箱残しといてよ」
五条はそう言いながらバームクーヘンの箱を開けた。数種類の味の中から無難にプレーンを選んで食べる。このバームクーヘンは五条の一番好きな北海道スイーツだった。
「うまっ」
五条に釣られるように虎杖もバームクーヘンに手を伸ばした。適当に取ったそれはメープル味だった。
「名前ちゃんは?」
「部屋に帰ったよ」
「ふーん……北海道楽しかった?」
「気分転換にはなったかな。写真見る?」
五条は写真フォルダを開いたスマートフォンを虎杖に渡した。
五条単独の自撮りも何枚かあったが、ほとんどは名前と五条のツーショット写真だった。中には名前が食事をしているだけの写真もある。誰かに撮ってもらったのか、毛色の違う写真もあった。
「ん?ああそれ?ジンギスカン屋の写真。おいしそうでしょ」
「名前ちゃん酔ってない?これ」
「酔ってるね」
サッポロビールのジョッキを片手に笑顔を見せる写真だが、これはジンギスカン屋で2杯目のビールである。顔色は変わらないためわかりにくかったが、ゆるゆるになった顔は酔ってることを示していた。
「もしかして、五条先生って名前ちゃんのこと好き?」
「もしそうなら応援してくれる?」
目を丸くする虎杖を横目に、五条は態とらしく鼻歌を歌いながらバターサンドの箱に手を伸ばした。

prev next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -