05

真希達の話を聞いた釘崎は呆れた様な表情を浮かべ、堪らずに隣に座っていた伏黒を肘で突いた。
「伏黒、あんた五条先生と付き合い長いんでしょ。恋人の話とか何か聞いてないの?」
「何も。そもそもあの人が特定の女性に誠実に接する姿が想像できない」
「そうよね。あの五条先生だもんね。でもさっきの話だとラブラブだし、彼女が作ったものをあげないとか独占欲爆発してるみたいじゃん。まさかの本命出現?」
伏黒は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。名前の恋人は自分のはずである。伏黒は名前と五条が2人で買い物に行ったことを知らなかったし、カレーを作っていたことも知らなかった。勿論、伏黒は名前からカレーを渡されていないので、真希達が話すそのカレーは五条のために作られたのだろう。
「名字さんが悟の教員室から出てくるところ見たことあるしマジで本命かも……恵、すごい顔してんぞ。どうした」
嫌いな食べ物を無理矢理口に押し込まれたかのような顔をしていた伏黒に真希は声をかけた。
「別に。なんでもないです」
伏黒の声は表情と同じく、険しい。
「あれだろ。悟は保護者みたいなもんだからその恋愛模様聞かされて複雑な気分になったんだろ。俺も正道のデートの様子とか知りたくないし」
パンダが顎を長い爪で掻いた。
「さて、そろそろ食堂行くか」
パンダの声かけにぞろぞろと立ち上がった。
食堂に向かう真希達とは別に、校舎に向かおうとする伏黒に釘崎は声をかけた。
「伏黒、あんたご飯食べないの?」
「カレーの気分じゃないからコンビニ行ってくる」
「あっ、そう」
手をヒラヒラと振って去っていく伏黒を見送った釘崎は、真希達を追った。
 
伏黒の機嫌は分かりやすく傾いていった。同級生や先輩の前では抑えていた苛立ちも、1人になると溢れ出す。なによりその苛立ちを加速させるのは、名前が電話に出ないことであった。
別に先程聞いた件を問い詰めるつもりはない。ただ、顔を見て、名前の特別は自分であり、そこに余所者が入り込む隙間はないことを確認したかっただけである。
名前がいるはずの職員室の扉を開け、名前を探すもその姿は見当たらなかった。
「…………」
伏黒は名前のデスクに近づいた。椅子にはスーツのジャケットがかけられている。デスクトップパソコンの前には名前の手帳が広げっぱなしになっており、彼女が愛用しているボールペンもその上に乗っていた。
パソコンの電源が付いていることに気が付きマウスを動かすと、デスクトップには入力しかけのエクセルファイルが表示されていた。
デスクの下には名前の鞄も置いてある。中には財布もスマートフォンも入っていた。
「どこ行った?」
疑問が伏黒の口から滑り落ちた。昼食を買いに行っているならば財布とスマートフォンは持っていくはずだ。なにより名前はこんな中途半端な状況で仕事の手を止めたりしない。必ずひと段落する迄片付けるはずだった。
緊急の要件で呼び出されたのか。
職員室の扉が開く音に反応した伏黒が顔を上げると、そこには伊知地がいた。
「あれ、伏黒くんどうかしましたか?」
「名前さんがどちらに行ってるか知りませんか?」
伊知地は伏黒と名前の関係を既に知っている。そのため伏黒もストレートに居場所を聞くことにした。
「名字さん?そういえば朝見かけたきり見ていませんね……お電話も繋がりませんか?」
「電話がここにあるんです」
伏黒は名前の鞄の中からスマートフォンを取り出して伊知地に見せた。
「そうですか。業務中のはずなので高専内にはいると思うんですけど。急用ですか?」
「いえ……別にそういうわけじゃないです。少し会いにきただけで」
伏黒の返答に伊知地はほっこりした。
「私も名字さんを見かけたら、伏黒くんが探していたと伝えておきますね」
「ありがとうございます……」
伏黒は丁寧にお辞儀をして職員室から出た。
しかし、放課後になっても夜になっても名前の姿は見当たらず、貴重品の入った鞄は職員室に置かれたままであった。
 
 
 
ポーンと頭上から音が鳴り、シートベルト着用のサインが消えた。名前は乗務員から手渡されたフルートグラスに震えながら口をつけた。
羽田空港から新千歳空港まで1時間半程度で着くというのに、名前の隣の男が手配した座席はファーストクラスであった。日本人離れした身長では、ファーストクラスでないと居心地が悪いのだという。
「名前、まだ怒ってんの?」
「とても怒ってます」
うりうりと名前の頬を指で押してくる五条の手をはたき落とした名前はシャンパンを一気に喉に流し込んだ。

今朝、名前は夜蛾に校舎の修理見積書を提出しに行く途中で五条に「ちょっと七海に会いに行こうよ」と声をかけられた。
繁忙期で忙しくしている七海に名前も久しく会えていなかったため、「いいですよ」と軽く返事をしてしまった。
高専に七海が来ているものだと思ったのだ。
「じゃあ、行こうか」
そう言って五条は名前を抱えあげた。
「エッ、ちょっと何してるんですか!下ろしてください!」
「まあまあまあ……早くしないと乗り遅れちゃうからさあ。11時発だから結構ギリギリなんだよね」
「発!?どこに行く気ですか!?」
五条は肩に担いだ名前を高専の敷地に呼んでいたタクシーに放り込み、自分も後から乗り込んだ。
ワアワア騒ぎながら降りようとする名前の口を手で抑え、タクシーを出発させた。ガチャリと後部座席の扉にロックが掛かる音がして、名前は青ざめた。
「ちょっと五条さん……どこに行く気なんですか……」
「七海に会いに行くんだよ」
「だからどこに!?私、仕事中ですし。てっきり高専に七海さんがいらっしゃってるもんだと思ってて……とにかく、誰にも何も言わずに仕事を放り出して出て行くのは流石に無責任です。私は帰ります。下ろしてください」
「はいはい、大丈夫だって。後で伊知地に連絡いれとくから」
伊知地に連絡を入れてくれるならば仕事の方は問題ないだろうと一先ず名前は大人しくなった。
タクシーが羽田空港に着いた時も、七海が11時発の飛行機で何処かに行くため、その前に見送りがてら会いに来たと思ったのだ。
再度違和感を覚えたのは、2階の出発エリアのファーストクラスカウンターに五条が真っ直ぐ向かった時であった。
「ストップ、五条さん。待って、待って!」
名前は慌てた。嫌な予感に冷や汗が止まらない。
「もうあと20分しかないよ?」
「七海さんはどこですか!?」
「会いに行くんでしょ。すみません、チェックインお願いします」
五条は戦慄く名前の腰を逃すまいとホールドした後、反対の手でスマートフォンを操作し、カウンターのグランドスタッフに見せた。
グランドスタッフが名前と航空機便名、行先を読み上げて確認する。名前の耳は『新千歳空港』の単語を逃さずに聞き取った。
「北海道!?北海道に行くんですか!?無理無理無理無理!!」
「ちょっと、恥ずかしいから騒がないで」
ピシャリと五条から叱られ、名前は咄嗟に口を閉じた。
理不尽に叱られているとは分かっているが、それよりも周囲の目が気になってしまった。案の定カウンターのスタッフは苦笑いを浮かべていた。
「私、手ぶらなのに……」
もはや呆然とする名前の背を押した五条は、部屋の奥の保安検査場に進んだ。

prev next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -