04

名前の恐怖心は、夏油のパーカーをお守り代わりに得たせいかすっかり拭い去られていた。墓地も気味悪くは感じたが、足がすくんでしまうようなことはなかった。
だって、夏油は「何もない」と言ったのだ。何もいない、何かが起こるわけもないと言う確信を得た名前は、数分前と打って変わって飄々と墓地を歩いた。

墓地を抜ければ直ぐに寺があった。
「あ、賽銭箱」
賽銭箱を指差した先輩に、名前は籠巾着から小銭入れを取り出した。
「寺のお参りってどうやるんだっけ?」
「2礼2拍手が神社だから1礼1拍手すればいいんじゃなかったでしたっけ」
「1礼して、お願いして、1礼じゃなかった?」
「えー知らん。てかお参りいるの?賽銭箱にお金入れるだけでいいんじゃね?」
誰も正しい参拝方法ががわからなかった。勿論名前も知らない。
「こういうのは気持ちがこもってればいいんですよ」
えいやっと名前は500円玉を賽銭箱に入れ、一礼してから胸の前で手を合わせた。目を閉じて願い事を……思い浮かばない。代わりに先程見てしまった、夏油と寄り添う後輩の姿が脳裏に過り、慌てて目を開けた。

あの子は告白したのだろうか。
夏油はあの子と付き合うことにしたのだろうか。

隙間風が吹いたかのように、寺の中からふわっと黴臭い風が吹き、蝋燭の明かりをかき消した。
「……まじか」
蝋燭の火が消えた名前達は顔を見合わせた。真っ暗闇の中、お互いがどんな表情をしているのかわからなかった。
「ここ風通しがいいから……夏油たちも蝋燭消えたって言ってたし……」
副主将の声も心なしが上ずっているように聞こえた。
「そ、そうですよね。早く帰りましょうか」
名前達は恐怖心に急かされるように来た道を降りた。

登り道よりも下り道の方が早く着く。追い立てられるように山道を降った4人は、本殿の灯りが見えたことに誰ともなく安堵の息を吐いた。
祭りの後片付けをしているのか、人の声と大型の物を動かすような賑やかな音が聞こえる。
見慣れた弓道部員の姿が見えるところまで降りた名前達は、ようやく足を緩めた。
「……みんなビビってんじゃん」
一番先頭を歩いていた副主将が3人を見比べて少し笑った。
「名字が一番ビビってるよ。半泣きだし」
「は?泣いてません」
先輩から向けられた指を叩き落とし、名前は乱れた息を整えるように深く呼吸をした。未だ落ち着かない名前は、安心を求めて夏油の姿を探した。
「!(いた……けど、なんかいい感じに話し込んでる……)」
部員達から少し離れた所で、夏油と例の後輩が2人で話し込んでいた。鈴のような愛らしい笑い声が名前の耳も擽る。
夏油と話す後輩からは幸せで堪らないという顔をしており、名前は一層近寄り難くなった。
「あっ!先輩おかえりなさい。あの子まだ告白できてないんですよ。信じられます?肝試し中も私達がすごい気を遣って2人きりにしてあけたのに、結局言えなかったみたいで」
夏油に話しかけるか迷っていた名前を見つけた後輩2人が話しかけてきた。
「そうなんだ……」
そもそも肝試し中の告白はムード的にどうなのかと名前は思った。
吊り橋効果を狙うにはいいと思うが、告白する雰囲気としてはあまり良くない気がする。それこそ花火に誘って告白した方が成功率は高そうな気がした。
だがそれを口に出す気は無かった。

名前達が夏油と後輩を見守る中、主将の号令が聞こえた。「集合ー!」の声が響く。23時近いと言うのにそんな大声を出しては近所迷惑だろう。
名前は呆れながらも夏油達から目を逸らし、主将の元に向かった。
主将の声の方向を見た夏油は名前が戻って来ていることに気がついた。
「名前、遅かったね。なかなか帰ってこないから心配したよ」
「遅かった?それより、パーカーありがとう」
名前の後ろから主将に気がつかれないよう声をかけた夏油に、名前は肩にかけていたパーカーを返した。
「皆さんお疲れ様でした!全員無事に戻ってこれて何よりです!明日は休みなので、明後日の朝練でまた会いましょう!解散!!!」
主将の歯切れのいい挨拶を機に、バラバラと部員が解散していく。
慣れない浴衣で肩が痛かったし、下駄で歩きすぎたせいか足の裏も痛い。寺で嗅いだ黴臭さが鼻の奥に残っている気がして、名前は鼻を啜った。
「寒い?早く帰ろうか」
「うん。疲れた。あと喉乾いた」
「神社に自販機あったっけ」
境内にあったかと夏油は首を捻った。見当たらなければコンビニに寄ればいい。
「あっ、ちょっと待って」
下駄と足の間に小石が入ったかのような違和感を感じた名前は、夏油の腕を支え代わりに左足の下駄を脱いで軽く振った。再度履き直した時には違和感は消えていた。
「ごめん、ありがとう」
「靴擦れした?」
「ううん。石が入っただ「夏油先輩!」
名前の声を掻き消すように、高い声が悲鳴の様な勢いを持って夏油の名を呼んだ。
夏油と名前が振り返った先には、あの後輩の姿があった。
僅かに残っていた数人の部員も何事かと2人に注目した。
「……傑、呼ばれてるよ」
名前は夏油の顔を見上げた。
夏油は困ったような満更でもないような表情を浮かべていた。
その表情を見てしまった名前の胸に、さざ波のような胸騒ぎが広がった。
「ちょっと行ってくる。ごめん」
夏油は名前にそう言って、顔を朱に染めた後輩の元に行ってしまった。あれだけ猛烈にアプローチされた後に呼び出されたとなると間違いなく告白だと夏油も察しているはずだ。
「……………………はぁ」
果たして自分は夏油を待っていていいのか、名前は分からなかった。
後輩と夏油は人目を避けるように御神木の裏に隠れてしまった。
名前は居心地の悪さを感じながら、2人に背を向けて、手持ち無沙汰に先ほど登った山道の入り口に近寄った。行きは気にならなかったが、やはり黴臭い。緑の青臭さとは異なる匂いに名前は袖で鼻を覆った。
「落としましたよ」
あの後輩の声が聞こえたような気がした名前は勢いよく振り返った。
だがそこには誰もいなかった。
「……私、気にしすぎでしょ」
ついに幻聴が聞こえたか。
夏油に声をかけて先に帰ってしまおうと決めた名前は、足元にお面が落ちていることに気が付いた。
屋台のお面が風で飛ばされてきたのだろうか。名前はそれを手に取った。
「……お香のいい香りがする」
その匂いは名前の心を落ち着かせた。
地面に埋まってるように見えた面は、埋まっているのではなく、半分に割られていた。
口の上下からキバが伸び、額からは角が生えている。目を見開いて眉間にシワを寄せた表情はまるで鬼のような面だった。

プラスチックでは無くしっかりとした木作りのお面に、屋台ではなく神社のものかと思った名前は、気まぐれにその半面を顔に当てた。

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