25

盲導犬代わりにと虎杖の腕を借り、高専に辿り着いた名前は、待ち受けていた階段の長さに息も絶え絶えになっていた。何も見えないと終わりが分からず一層辛い。
「スゲー山ん中だな。ここ本当に東京?」
「東京も郊外はこんなもんよ?」
隣を歩く五条と虎杖は息一つ切らせていない。自分の運動不足なのか、2人の体力が異常なのか。この階段を通勤路にするのだけは回避したいと名前は心から思った。
「伏黒は?」
虎杖は高専にいるはずの伏黒の姿を探した。
「術師の治療を受けて今はグッスリさ」
五条は含みのある視線を名前に送った。
「とりあえず悠仁はこれから学長と面談ね。名前は医務室で治療。伊知地、彼女を頼むよ」
「はい五条さん」
虎杖は名前の手とスーツケースを伊知地に預けた。
伊知地は恐る恐る名前の手を引きながら家入の待つ医務室へと向かった。何を話していいのか分からない2人は医務室に着くまでずっと無言であった。
「家入さん。名字さんをお連れしました」
「入っていいぞ」
名前の耳に落ち着いた女性の声が届いた。
伊知地に支えられるように椅子に座った名前はどんな治療をされるのかと戦々恐々としていた。痛いものは出来るだけ避けたいのである。
「そんな怯えなくていい。サングラスと呪符、とるからな」
名前に断りを入れた家入の手がサングラスを外し、呪符を剥がした。
固く目を閉じていた名前は恐る恐る目を開けた。目の前には泣き黒子がセクシーな女性がいた。
「初めまして。家入硝子だ。よろしく」
「あっ、名字名前です。宜しくお願いします」
名前は慌てて頭を下げた。
「早速診させてもらうよ」
家入はオートレフケラトメーターを引き寄せて名前の前に置いた。
眼科でよく見かける馴染みのある機械に名前はホッと安堵の息を吐いた。

屈折検査や眼圧検査を終えた家入は目薬を名前に渡した。
「瞳孔を散大させる点眼薬だ。眼底検査をしたいから、点眼して待っていてほしい」
「わかりました」
家入は机の中から検眼鏡を取り出した。
「じゃあ、薬が効く前に一度見たいから、こっち見てくれる?」
金槌のような形をした検眼鏡を名前の目に近づけた家入は、観察孔を覗き込んだ。
家入との顔の距離は15cmもなく、パーソナルスペースの広い自覚のある名前はほんの少し緊張した。
「あーあー、これは酷いね」
「えっ」
その緊張を煽るように家入は嘆息した。
「15分後にもう一度見るから」
「はい……」
不安を分かち合うように伊知地を見た名前だったが、伊知地は居心地が悪そうに下を向いて医務室の隅に立っており、名前の心は全く休まらなかった。
15分後の検査を終え、名前はベッドに横になるように指示された。
いよいよかと手に汗が滲む。外科的処置は苦手のため、内科的処置でどうにかしてほしかった。
「はじめるよ」
名前の目の上に硝子の手が当てられた。
硝子の手の柔らかさと暖かさが心地いい。じんわりと伝わる体温に絆され、名前は肩の力を抜いた。
「はい。おしまい」
「エッ」
名前は思わず声を上げて目を開けた。
名前の目の上から手を引いた家入は、ベッドサイドに置いていた手鏡を名前に差し出した。
「ほら、応急処置だけどな」
「……治ってる……何故……」
鏡に映る名前の目はどこからどう見ても健康な目であった。薬の影響で瞳孔が開いているが、出血して赤く染まっていた白目部分は元通りになっていた。
呪術ってすごいなと名前は小学生のような感想を抱いた。
「ありがとうございます」
名前は深々と家入に頭を下げた。
「名字さん、そろそろ会社にご連絡をした方がいいのでは?14時には会社に着けると思います」
伊知地に声をかけられ、名前はスマートフォンを手に取った。13時から出社予定だが、もう12時半を過ぎている。
名前は慌てて課長に電話をかけた。
案の定、責任感が無いと電話越しに叱責をされ、名前は見えないとは知りつつその場でぺこぺこと頭を下げ続けた。
「はい。14時には着きますので……はい。はい。申し訳ございません。はい。申し訳ございませんでした。失礼いたします」
電話越しの上司に向かって頭を下げる名前を伊知地は同情の心持ちで見守った。伊知地自身も五条と電話をする際に同じように見えない相手に向かって謝っている自覚はあった。
「名字さん、車で送っていきます」
「ありがとうございます。あっ、喜久福預かっていただけますか?悠仁の分もあるし流石に冷凍食品は持ち歩けなくて」
名前は喜久福の紙袋を指さした。
「ここの冷蔵庫で預かるから後で取りにくるといい」
「ありがとうございます」
医務室の端には業務用を思わせる大きな冷蔵庫があった。中に何が入っているのかが気になったが、時間がないためそこの詮索は控えることにした。

伊知地に連れられ車に乗り込んだ名前は、億劫な気持ちを隠せずにいた。
「五条さんからこれを預かっています。念のためご確認をお願いします」
「ん?退職願い?」
封筒の表には退職願いと書かれている。裏面を確認すると左下の署名には名前の名前が書かれていた。
封筒を破らないように中の書類を確認すると、一身上の理由により1ヶ月後の日付で退職をしたい旨と有給消化の希望が書かれていた。退職願いの日付から有給取得日数を引くと、最終出社日は来週末までであった。
「絶対、受取拒否されますよこれ」
「名字さんの会社の就業規則を確認しましたが、退職を希望する場合は1ヶ月前に申し出ることとなっていましたので問題はないはずです。自己都合の退職に関しても幸いなことに会社の承認を必要とするとは書かれていませんでしたので、この希望通りにいくと思いますよ」
「規則的には問題ないかもしれませんが、周囲からなんて言われるか……」
名前の部署はただでさえ人手不足であり、名前が抜ければ文字通り仕事が成り立たない可能性もある。名前は申し訳なさに胸が痛んだ。
「それは……頑張ってください……。引越しの準備も進めてください」
「え?引越しってどこにですか?」
「五条さんから聞いていませんか?高専内に教職員も居住可能な寮があるんです」
初耳だったが、現在住んでいるのは社員寮のため、退職にあたり住居を探すところから始めなければならないと思っていた名前にとっては幸運であった。
「着きました。では、宜しくお願いします」
「ありがとうございます」
車から降りた名前はビルを見上げ、無言で大きく息をついた。
片手には伊知地から渡された退職願が握られている。今日のミッションは、課長にこれを提出し、受け取ってもらうことだ。
名前は気合を入れるように両頬を叩き、ヒールを鳴らしながらエントランスへと向かった。

prev next
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -