22

虎杖に駆け寄ろうとする名前を伏黒は止めた。虎杖が飲み込み受肉させたのは、両面宿儺の指である。安易に名前を近づけるには、危険すぎる存在になっていた。
「名前さん、危ないから下がってください」
「危ないってなんでですか?伏黒さんも血だらけだし早く救急車呼ばないと……ってか校舎……悠仁は大丈夫なんですか?」
名前は目の前の事態が飲み込めずに混乱していた。
「説明は後でちゃんとしますから、お願いだから離れていてください」
名前が納得できないことはわかっている。しかし今、一から事情を説明している余裕は無かった。
「恵、これも持ってて」
虎杖と何かを話していた五条は先程名前に託そうとした紙袋を伏黒に投げ渡した。
「これは?」
「喜久福」
喜久福は仙台銘菓である。仙台駅で買ってきたのであろうそれは、自分が死にかけている時に五条が土産を購入していたことを示していた。
「土産じゃない。僕が帰りの新幹線で食べるんだ」
阿吽の呼吸というべきか、伏黒の心の中の疑念に対して五条は的確に的外れな主張をした。
「後ろ!」
伏黒は名前の腕を引き、喜久福の紙袋と一緒に抱えるようにして後ろに倒れ込んだ。
名前の目には、虎杖の顔に刺青紋様が浮かびあがっているのが見えた。
「……ッ」
何故突然、虎杖が五条に襲いかかっているのか。そして1番の疑問は声だ。間違いなく悠仁の口から発せられているのに、その声は聞き覚えのない男のものだった。
名前は震えを堪えるように強く強く目を閉じた。名前の本能が、虎杖悠仁の存在に恐怖していた。
「……9、そろそろかな」
近くで聞こえた五条の声に誘われるように、名前はゆっくり目を開けた。
「おっ。大丈夫だった?」
聞こえたのはいつもの悠仁の声だった。緊張が解けた名前はそのまま後ろにいる伏黒にもたれ掛かった。
「驚いた。本当に制御できてるよ」
「でもちょっとうるせーんだよな」
虎杖は頭の中の声を黙らせるように側頭部を叩いた。
「それで済んでるのが奇跡だよ」
五条の背中で虎杖の姿が見えない。無事を確かめようと名前が立ち上がった時、虎杖の身体は五条に向かって倒れていた。
「悠仁!」
悲鳴のような声をあげて今度こそ名前は虎杖に駆け寄った。
その名前の額を五条は人差し指と薬指で弾いた。
「なにしたんですか」
「気絶させたの。ほら、こっち持って。その人も早く処置しないと手遅れになるよ」
気絶した名前が地面にぶつからないよう支えた五条は、伏黒に持つのを代わるよう指示した。
 
 
 
嗅ぎ慣れた線香の匂いがする。久々の深い睡眠から浮上した名前の五感の中でまず情報を掴んだのは嗅覚だった。
目を開けて周囲を見渡そうとした名前だったが、目が開かない。瞼にテープでも貼られているかのような感覚があった。
目の上に手を当てた名前は包帯のような物が巻かれているのに気がついた。
「名前さん?気がつきました?」
「伏黒さん……?」
「外さないでください」
包帯を解こうとする名前の手を伏黒は止めた。
布団から起き上がろうとする名前の背中に手を添え、座らせた伏黒はストローの刺さったコップを名前の手に握らせた。
「お水です。ストローがあるんで口開けてください」
「えっ……んっ」
名前の開いた口にストローの飲み口を入れた。
反射的に口を閉じた名前は冷たい水を吸い、喉を鳴らした。
伏黒がいるということは、夢ではなかったのだろう。寝起きの重い頭がスッキリとしてきた名前はストローから口を離した。
「ここ、どこですか?」
「名前さんの実家です。あ、目は触らないでください。五条先生が応急の封印をしましたけど、まだ安定してないので」
油断すればすぐに目を抑えようとする名前に伏黒は忠告した。
「封印って……それより悠仁は大丈夫ですか?」
「五条先生がなんとかしてくれるから大丈夫だと思います。会いに行きますか?」
「行きます」
外に出るためには着替えなければならないことに気がついた。
「……準備するので母、呼んでもらえますか?」
「呼んできます」
床擦れの音がして、隣にいた気配が遠ざかっていくのを感じた。
どうして伏黒と五条が仙台にいるのか、学校で何をしていたのか、虎杖は何に巻き込まれたのか。知りたいことは山ほどあるが、名前にとっては虎杖の無事を確認するのが最優先だった。
「名前、入るわよ」
母親の声に名前は返事を返した。
「伏黒くんと出かけるの?目は大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。悠仁を迎えに行くだけだし」
「本当に?昨日の夜中、倒れたって聞いて肝が冷えたんだから。目も擦ったんだって?馬鹿ね、なるべく安静にするように先生から言われてたじゃない」
母親は名前の頭の横で結ばれていた包帯を解き、洗顔保湿シートで顔を拭いた。祖母の介護を長い間していたため、身体を清めるのも着替えさせるのも手慣れていた。
「彼のことも紹介してくれればよかったのに。東京で彼氏がいたなんてちっとも知らなかった。びっくりするほどかっこいいじゃない。見合いを断るのも納得したわ」
「……あはははは〜」
名前は雑に笑って誤魔化した。昨夜見た伏黒は学生服を着ていたし、五条のことを先生と呼んでいた。高校生だということは口が裂けても母親には言えなかった。
「はい、できた。化粧は口紅だけでいいでしょ」
再度包帯を巻いた母親は完成、と名前の肩を叩いた。アイメイクをしないでいいと楽である。
「伏黒さんに下でご飯食べてもらってるけど、あなたも何か食べる?」
「今はいいや」
「ゼリーかなにか持っていきなさい」
母親の手を借りて立ち上がった名前はおっかなびっくり階段を降りた。
「お待たせしました」
母親は、名前に肩掛けできる鞄をかけた。
「ご飯ありがとうございました。おいしかったです」
「簡単なものしかなくて申し訳ないです。足りましたか?」
「はい。 名前さん、そういう格好も似合いますね」
伏黒から振られた言葉に名前は戸惑った。母親が着せたため、前留めボタンがあるブラウスとスカートを履いていることくらいしかわからなかった。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「はい。夕方までにはお帰しします。名前さん、危ないのでちゃんと捕まっててください」
パンプスに足を入れた名前は伏黒の腕に慌てて捕まった。何も見えないというのは怖いものであった。
「虎杖のいる火葬場までタクシーで行きましょう」
「お任せします」
大通りに出てタクシーを呼び止めた伏黒は名前の頭がぶつからないように注意しながら名前をタクシーに乗せ、シートベルトを閉めた。
何から何まで世話をやかれ、名前は居た堪れなくなった。
「杉沢斎場までお願いします」
そんな名前を慰めるように握られた手を名前も緩く握り返した。
車内はラジオも流れておらず、ウインカーの点滅音がいつもより大きく聞こえた。
信号が変わったのか、車が動き出し、右折をする。
緩い遠心力で身体が傾いた名前の唇に柔らかい何かが触れた。
「……っえ」
口元に手を当てた名前を揶揄うように、伏黒は握っていた名前の手に再度、想いを込めるように口を寄せた。

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