20

本来、面会時間は20時までであるが患者の容態が思わしくないことから、名前達親子は特例で付き添い宿泊を許された。
眠る祖母からは呼吸をするたびに猫が喉を鳴らすようなようにゴロゴロと音がしていた。
名前はベッドサイドにあるコンセントを拝借し、業務メールの返信を行っていた。最近は目の疲れが酷いのでブルーライトカットの眼鏡を買ったのだが、オフィスのデスクに置いてきてしまった。
一旦休憩をしようと目頭を抑え、パソコンを閉じた名前はスマートフォンの画面に不在着信の通知が入っていることに気がついた。
「お母さん、私ちょっと電話してくる」
「わかった」
病棟の隅には、公衆電話が設置されており、通話可能区域とされている。
名前は不在着信履歴の一番上に表示されている『伏黒恵』の名前をタップした。
「はい、伏黒です」
間髪入れずに着信に出た伏黒の声に名前はやっぱり好きだと実感した。

名前との通話を終えた伏黒は、電話帳から伊知地潔高の名前を探した。この時間帯だと、誰かの任務に同行している可能性が高いが、ダメ元を承知で電話をかけた。
「はい、伊知地です」
「あ、伊知地さん。すみません、伏黒です。いま大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ。何かありましたか?」
「来週行く予定になっていた特級呪物の回収って、仙台でしたよね?」
「そうです」
「その任務、少し早められませんか?」
「スケジュール確認します。ちょっと待ってください」
伏黒からの想定外の相談に伊知地は少し戸惑った。
伏黒は学生のため任務がすし詰めになっていない。授業をずらせば任務に向かうことは可能だろう。問題は補助監督の方だった。
冬の終わりから春までの人間の陰気が初夏にドカッと呪いとなって現れる、所謂、呪術界の繁忙期に差し掛かっている現在、補助監督も多忙な日々を送っていた。
「伏黒くんのスケジュールは問題ないんですが、補助監督の方がですね……」
「呪物の回収だけなので、補助監督の方は不要です」
「いやでも君は一応まだ学生なので、規則として補助監督をつける必要があります」
伊知地の諭すような声は伏黒の良心を悖らせた。伏黒には、伊知地を私情の我儘で困らせている自覚があり、それに対して申し訳なく思う気持ちもあった。
「五条先生と連絡を取りながらやるので大丈夫です。確認をお願いします」
「……分かりました。明日中に確認します」
「ありがとうございます」
一先ず我儘を貫き通した伏黒は、伊地知にもストレス緩和のチョコレートを贈ることを決めた。
 
 
 
名前の祖母が息を引き取ったのは、名前が仙台に到着した翌々日の昼間だった。
祖母は兄弟とは縁が切れており、子供も娘1人、その孫にあたる子も名前1人であるため、静かな見送りになった。祖父は、名前が物心つく時にはもういなかった。
医師によって死亡確認が宣言されるのを名前は黙って聞いていた。モニターの心拍は停止しているし、祖母はぴくりとも動かない。それでも握り続けていた手は暖かかった。
「おばあちゃん」
名前の呼び声に反応はなかった。母親の嗚咽に釣られるように名前の目からも涙が溢れた。
病室に死亡診断書を持ってきた看護師は、母親と名前、どちらに渡したら良いのか戸惑っているようだったが、母親が先に立ち上がった。
「手続きしてくるから、あなたはここで待ってて」
「うん」
名前は祖母の手を自分の頬に当てて頷いた。もっと早く来るべきであったという後悔は消えない。
身体中の水分が流れ出るのではないかと疑うほどに涙が止まらなかった。鼻の奥が熱っぽくなり、奥歯が震える。
それでも何故か、ずっと頭を押さえつけられていたような力から解放されたような気がした。

病院の霊安室に運ばれた祖母を置いて、母親と名前は一時帰宅した。
病院と連携している葬儀社が葬儀の手配を整えてくれているそうで、明日の夜には自宅で告別式を行うらしい。家族だけで送るため、通夜を省略するという母親の言葉に名前は異議を唱えなかった。
「昨日も殆ど寝てないでしょ。少し休んだら?」
母親にそう声を掛けた名前もくたくたであった。
名前もシャワーを浴びて仮眠をとりたかったが、まず会社に一報を入れなければならない。充電の残り少ないスマートフォンから課長の電話番号を呼び出したところで名前の手は止まった。
今、電話で事情を伝えるのはしんどい。名前はメールへと切り替え、祖母が亡くなった旨と忌引き休暇を貰いたい旨、併せて有給休暇を追加したい旨を記載して送った。

隣家に住む虎杖が名字家を訪れたのは名前が仮眠から起きてすぐのことだった。日はとっくに沈んでいたが、母親はまだ寝ているようだった。
「うわっ!名前ちゃんの目……大丈夫?」
「え?」
「鏡、見てないの?ってかそれ前見えてる?」
散々泣いたため腫れぼったくなっているだろうとは思ったが、虎杖の慌て具合に名前は首を傾げた。
靴を脱いで玄関からあがった虎杖は、名前の手を引いて洗面所の鏡の前に連れて行った。
「エッ」
「すげえ痛そう……痛くない?物、見えにくかったりしない?」
鏡に写った名前の目は赤かった。充血というレベルではない。本来白目に走る赤い血管が見えなくなるほど、白目が赤く染まっていた。
「目、ゴロゴロするとは思ってたんだけど……どうしよう」
「病院行こう。俺、連れてくよ?」
今泣いたら文字通り血の涙が出そうな状態に名前は戸惑った。
夢かと疑い、目を擦ろうとする名前の手を虎杖が咄嗟に止めた。
「歩けないなら救急車呼ぶ?」
「いや、自分で行けると思う。お母さんがまだ寝てるから、書き置き残してから行かなきゃ」
「俺が書くから名前ちゃんは先に玄関行って、靴履いてて。……靴履ける?」
「見えてるから大丈夫」
勝手知ったる動作で引き出しからメモ帳を取り出し、リビングテーブルの上に書き置きを置いた虎杖は名前の待つ玄関に向かった。
スニーカーを履き終えていた名前と共に家を出て、杉沢病院へと向かって歩いた。
「名前ちゃん、目痛いなら閉じてていいよ。俺が手引くから」
「うーん。違和感はあるけどそこまでじゃないし、目を瞑って歩く方が怖いかも」
「そう?痛くなったらすぐ言ってね。俺担いで病院に走るから」
心配そうに名前を覗き込む虎杖は、その顔色の悪さも気になった。
「そういえば悠仁はなんの用だったの?」
「あー……病院でばあちゃんのこと聞いたから様子を見にきたのと、夕飯どうすんのかなって思って。必要ならお握りでも持っていこうと思ってたんだけど」
「……ありがと」
いつの間にか一人前に気が遣えるようになっていたのか。名前は虎杖の頭を乱暴に撫でた。
「私は大丈夫。お母さんはちょっと心配だけど」
「通夜の手伝いとかいる?」
名前にぐしゃぐしゃにされた髪の毛を直しながら虎杖は確認をした。
「通夜はしない。私とお母さんだけで告別式をすることになった」
「そっか」
「ありがとう」
もう一度虎杖の頭を掻き混ぜながら、名前は照れ隠し混じりにお礼を言った。

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