18

幸い顔の怪我は大したことなく、名前は翌日から出社をしていた。
数日間はマスクで怪我を誤魔化し、腫れが治ってからはコンシーラーとファンデーションで内出血の名残を隠した。
事情は怪我を隠せないランチタイムを共にする同僚にしか話していない。本当に、大事にしたくなかったのだ。
「名前、ランチどこ行く?」
「ベーカリーベーカリーのカスクートが食べたい気分」
公私共に平穏な1週間を噛み締めた名前はいつも通り財布とスマートフォンだけを持ってパン屋へと向かった。
 
 
 
相変わらず顔色の良くない伊知地から送られてきた名字名前の情報を手元のタブレットで確認した五条が抱いた感想は、『普通』であった。
添付されている写真を確認したが、身長も容姿も並である。
本籍、住所、勤務地から始まり、学歴や職歴、血縁関係と交友関係に加えて出勤時間や退勤時間などのルーティンスケジュールがまとめられた報告書は、伊知地の苦労の賜物であった。
しかし、そこに特筆するような情報は無かった。
「何も無いならそれでいいんだけどね」
名前の務める会社のオフィスが入ったビルの前の道路に車を停めさせ、五条は腕時計を確認した。
時刻は12時半である。伊地知の報告書によると、そろそろ名前がお昼ごはんを食べに行くため、ビルから出てくるはずであった。
「伊地知も一緒に行く?七海のお気に入り、見たくない?」
「私は遠慮しておきます……伏黒くんにも悪いので」
伊地知は心の中で七海と伏黒に謝罪した。
五条曰く伏黒の無断外泊の原因は名前らしい。
七海との二股疑惑がある上、未成年に手を出す大人はそもそも碌でもないと五条は零していたが、伊地知から見た名前は悪い大人には思えなかった。
むしろ仕事に追われ、残業ばかりで疲れ切っている姿にシンパシーを抱いていた。
「お、いたね」
後部座席の窓からビルのエントランスを伺っていた五条は、いつの間にか黒い目隠しを外し、サングラスをかけていた。
「じゃあ僕、ちょっと行ってくるからここで待ってて」
「30分以内でお願いしますよ」
五条はただでさえ多忙な身の上である。14時に東京駅発の新幹線で富山県に行ってもらわなければならないため、時間の猶予はあまり無かった。
「わかってるよ」
身体が2メートル近い五条は人混みの中でも頭二つ分抜けているため、目立つ。
同僚らしき女性と話しながら歩く名前に、五条が近寄っていく様子を伊知地はバックミラーから確認した。

「名字名前さん、であってる?」
名前は道を塞ぐように目の前に立ち、前触れもなく声をかけてきた大柄の男性に面食らった。
名前の知り合いに、白髪の高身長の男性はいない。突然声をかけられた理由も思い当たらない名前は、警戒心から同僚の腕を引いて距離をとった。
「どちら様ですか?」
「七海健人の同僚で、伏黒恵の担任教師の五条です」
「七海さん、えっ、伏黒さん?担任?え?」
予想していなかった名前と単語を並べられた名前は目を白黒とさせた。
そんな名前を観察するように五条はサングラスを外し、名前の顔を覗き込んだ。
サングラスを外した五条の顔を見た同僚は、「ウワッ!めっちゃイケメンじゃん」と呟いた。名前もそれには同感したが、五条の顔があまりにも近くて声を発することが出来なかった。
「ちょっと彼女と2人で話したいんだけど、いいかな?」
五条は名前の手首を握り、同僚に向かってウインクを飛ばした。
名前は1ミリたりとも良く無かったが、五条のウインクにより顔を赤くした同僚は、先にパン屋に行ってくることを名前に告げてその場を離れていった。置いていかないでくれという心の叫びは同僚には通じなかったようだった。
「……離してください。私になんの御用ですか?」
一向に離される気配のない五条の手を振り解いた名前は、一歩下がり、再度距離を取ってから疑問を口に出した。
七海と伏黒の知り合いらしいが、名前は五条という名前に聞き覚えはないし、その姿に見覚えもない。これだけ特徴的な容姿をしているのだから、一度会ったならば忘れることは無いだろうと思った。
「ふーん、なるほどね。大体わかったけど、」
名前を観察する五条の目は、テレビでしか見たことのないカリブの海のような色をしていた。五条が瞬きをする度に、エメラルドグリーンの水面が太陽光を浴びて波間を色づかせるように揺れていた。
白髪だと思っていた髪もよく見れば艶があり、どちらかというと銀色と表現するのが正しいようだった。
五条と名乗るこの男、名前は純日本人だが、銀髪に碧眼、整いすぎた顔に恥じないスタイルの良さは同じ日本人とは思えなかった。
「……もしかして僕に見惚れてる?七海と恵から僕に乗り換える?僕は全然君のことタイプじゃないんだけどね」
「は?」
五条の無遠慮な言葉に名前は顔を歪ませた。
「誤解されてることと、よく思われていないことはわかりました」
五条の言葉には棘がある。
五条の口調に釣られるように、名前の言葉にも棘が含まれた。
比較的、温厚な性格であると自負している名前だが、失礼な態度を取る相手に優しくするつもりは無かった。
明らかに気分を悪くした名前に構うことなく、五条は名前に確認をした。
「ちょっと聞きたいんだけど、君の視力ってどのくらい?」
「視力?いや、見ず知らずの人に教えませないけど。というか、なんでそんなこと聞くんですか」
「あっそ。じゃあ勝手に調べるからいいや」
名前は目の前の男を通報したくなった。一方的に振り回され、探られ、気分が悪い。その上、こちらの質問には答える気がないように見えた。
「まだ何かありますか?」
名前は五条を睨んだ。
名前に睨まれた五条は、おー怖いと大袈裟に肩をすくめ、揶揄うように口元を歪めた。
名字名前の呪力、術式についての確認は終わった。伏黒が呪力が『一般人並み』では無く、『無い』と言ったことに引っかかりを覚えていたが、その謎が解けたことにも五条は満足した。

しかし、五条にはもう一つやるべき事があった。
「あー、僕の用はもう終わったんだけど。ついでに一応、恵の担任教師かつ保護者として忠告はさせてもらうよ」
「恵?伏黒さん?」
「彼はまだ高校生だし、当然、未成年者だから」
五条は言葉を区切り、ぐっと声を顰め名前の耳に口を寄せた。
「淫行は困りますよ、オネーサン」
五条は固まる名前の肩を叩いて去って行った。

言いたいことだけ言って去っていった五条に怒りを感じるが、それよりも衝撃の方が大きかった。
「伏黒さんって……高校生……!?」
自分よりかは年下だろうと思っていたが、まさか高校生とは思っていなかった。精々、大学生か高校を卒業したばかりの新社会人かと思っていた。
愕然とした名前は、動悸を打つ胸を抑えた。ここが公道でなければ、頭を抱えて座り込んでいただろう。

名前の混乱を掻き立てるようにスマートフォンが震え、画面に伏黒恵の文字が表示された。
メッセージをタップしようとする指を止めるように名前のスマートフォンが再び震え、今度は着信を告げる画面に切り替わった。
「……もしもし?」
「名前!お婆ちゃんが危篤なの。今直ぐ帰って来て欲しいんだけど……」
混乱冷めきらない中、追い討ちをかけるような母親からの連絡を受け、名前は呆然と立ち尽くした。

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