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本当はエントランスで話を済ませたかったが、何せこのマンションは社員寮として使われている。誰かに鉢合わせて噂にされるのは今後の会社生活に間違いなく支障が出るだろうと判断した名前は、仕方なく自分の部屋に男を入れた。
先に靴を脱ぎ、振り返った名前はお茶を出す意思は無いと示すために立ったまま壁に背を預けた。
「話ってなに?縁談の件は正式に断ったはずだけど」
「僕は納得していない。そもそも縁談以前に別れることも納得してない」
「えっ、冗談キツイんだけど。私が東京に行く時に別れたでしょ」
確かに高校生の頃、彼と付き合ってはいたが、名前が地元を出たタイミングで喧嘩別れしたはずだった。少なくとも地元を出て5年、連絡は取っていないため、喧嘩がなかったとしても自然消滅と考えて間違いない。
「じゃあ仮に別れたとしても、名前、お前とやり直したい。結婚してもいいと思ってる」
自分勝手で上から目線の主張に名前は眉を顰めた。
「私にそのつもりはないから。帰って。それで、もう付き纏わないで。迷惑なの」
名前の頑なな言葉に気分を害したのか、頬のあたりが強ばり顔が赤くなるのが見えた。スーツケースを握ったままであった拳が白くなっている。
スーツケースを握る手に視線を取られている間に、反対側の手が名前の胸元に伸びていた。
「ちょっと!」
「なめてるだろ、お前。わざわざ、仕事を休んで、仙台から来たんだぞ?それを帰れだ?」
「痛ッ!いい加減にして!離してッ……」
名前の髪の毛ごと胸ぐらを掴んだ男は土足のまま部屋に上がり込んだ。
名前を壁に押し付け、首元を締め上げる男との体格差は大きく、つま先が辛うじて床を擦る状態で立っている名前は、呼吸もままならなかった。
「馬鹿にしやがって」
男が腕を外した。
名前は畳み掛けるように込み上げてくる咳に朦朧としながら床に蹲った。痛む喉を抑え、必死に空気を吸い込んだ。
その名前の腕を掴んだ男は、抵抗する名前を力尽くで引き摺り、ベッドの上へと投げた。
勢い余った名前の身体は壁にぶつかり、大きな音を立てた。
「本当に、いい加減にして……!」
咄嗟に頭を庇った名前の腕を頭上で抑え、馬乗りになった男に名前は冷や汗をかいた。
この状況で何をされるか知らないほど名前は無知ではない。必死に宥めようと口を開くが声が出なかった。
目の前の男が片手を上げるのが見えた。
「やめッ……」
パァンと静かな部屋に小気味良い破裂音が鳴り響いた。
「名前、痛いのはいやだろ?大人しく言うことを聞け」
「…………」
左頬に響いた衝撃と熱はジクジクと痛みを訴えた。脳が揺れたのか意識が弛緩している。
名前の抵抗を一発の平手で制した男は、名前のワイシャツのボタンを外し始めた。
「……やめて、これ以上するなら、本当に警察呼ぶから」
「呼べたらいいな」
名前のスマートフォンは玄関に転がっていた。
キャミソールの上から胸を揉みしだく男の手に爪をたて、煙草の匂いがする口元から必死に顔を背ける名前に痺れを切らしたのか、男が再び手を上げた。
「ァッ」
先程切れた場所とは別の場所が裂けたのか口いっぱいに血の味が広がった。
後頭部を掴まれ、男の舌が口の中に突っ込まれた。
「んん……んーんんっ!」
前歯を割って侵入してきた生暖かい舌からは苦い味がし、口腔内の出血と合わさって吐きそうになった。
男の胸を押しても、体重がかけられているせいでびくともしない。足をバタつかせて蹴り上げようと試みるものの、スーツのスカートが捲れ上がるだけだった。
「お願い、だから、止めて!」
首筋を這う舌に嫌悪感が背筋を駆け抜けた。太腿を撫で付けていた手が爪を立て、名前の皮膚ごとストッキングを破った。
身体を捩り、なんとかベッドから降りようともがく名前に男が3度目の手を振り上げた時、
「あ?」
非日常に水を差すように、ピンポーンと軽やかな呼び鈴の音がした。
咄嗟に助けを求めようとした名前の口を男は手で抑えた。
「よしよし、大人しくしろよ」
宥めるように男は額を名前の額に合わせた。距離の近い目に名前は焦点が合わせられずに目を強く瞑った。
「ん〜ッ!!!」
大人しくしてたまるものか。名前は、手探りで枕元にあったボディクリームの缶を掴み、玄関に向かって投げた。
扉までは届かなかったボディクリームは、床に落ちて音を立てた。
「馬鹿な奴だな」
助けを求めるのに失敗したと悟った名前は喉奥で悲鳴を上げた。

「お前、何してんだ」
その声に名前は頑なに下ろしていた瞼を開けた。同時に名前の身体を押さえつけていた重さが消えた。
鈍く痛む頭を揺らさないようしながら起き上がった名前が見たのは、先程まで名前を凌辱していた男の胸ぐらを掴み、その顔に拳を叩き込む伏黒の姿だった。
「ふ、伏黒さん……」
名前を呼ばれた伏黒は名前に一瞬だけ視線を走らせたが、すぐに元に戻し、男の腹を蹴り上げた。

終始、伏黒は無言であったし、殴られた男も声が出せなかったのか無言であった。
ただ伏黒が男に暴力を振るう音と名前の声にならない震えた呼吸音と男の呻き声だけが部屋に響いていた。

冷静さを取り戻したのか、大きく息を吐いた伏黒は、沈黙した男のスーツの後ろ首を掴むと荷物を運ぶかのようにずるずると引き摺りながら玄関の扉を開けて出て行った。
扉の閉まる音に、フリーズしていた名前の脳がようやく動き出し、慌てて後を追った。
自分が今どんな格好をしているかなど考えている余裕はなかった。

名前の部屋を出てすぐの廊下の柵は伏黒の胸の高さだった。男のシャツを掴み上げ、その柵から男の上半身を外に突き出した伏黒は近所迷惑にならないようにと声を落とした。
「言い残すことはあるか?」
「……ッハァ……お前ッ」
その平坦な伏黒の声は容赦と躊躇いのなさを表すようで、男を震え上がらせるのに十分だった。
「死んで詫びろ」
男の身体を支えていた手を離そうとした時、伏黒の背中に衝撃が走り、後ろから回された手が伏黒の手首を抑えた。
「…… 名前さん。なにしてるんですか、部屋に戻ってください」
背中に押しつけられた名前の頭が横に振られるのがわかった。
伏黒の優先順位はあくまでも名前の方が高い。仕方なく男を廊下側に引き寄せた伏黒は、後ろを振り返り、狼狽えた。
「あんた何て格好してるんですか。部屋に戻ってください。早く」
「い、嫌だ」
ワイシャツのボタンは下2つしか止められておらず、キャミソールは縒れてその下の下着が見えている。スカートはぐしゃぐじゃで靴も履かずに出てきたその姿に伏黒は目を抑えた。
「俺はこいつを警察に突き出すんで、あんたは部屋で待っていてください」
逃げ出そうとした男の手を踏みつけた伏黒は、出来るだけ優しい声を作って名前を説得しようとした。
その温度差に足が震えた名前だったが、ここで引くわけにはいかない首を振った。
「警察沙汰にはしたくない……それにもう十分だから、お願い」
伏黒は男を見、名前見た。
 

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