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名前の部屋は相変わらず柔軟剤のような甘い匂いがした。部屋の中央に広がっていたトランクは片付けられていたが、ローテーブルの上の書類は山を成しており、指で突けば倒れそうなそれは、名前の多忙さを想像させた。
伏黒の目が書類の山に向いているのに気がついた名前は、慌てて書類をかき集めてベッドの上に移動させた。
「ちゃんとした椅子がなくて申し訳ないんですけど、座っていてください」
名前は丸いクッションを伏黒に手渡し、冷えたお茶の入ったグラスをローテーブルの上に置いた。
「すぐ作りますから適当に待っていてください」
「ありがとうございます」
手持ち無沙汰だろうと名前はテレビをつけた。
日本テレビのチャンネルに合わせると丁度、金曜ロードシネマクラブが始まったところだった。今夜はクローン技術で蘇った恐竜が生息するテーマパークの映画だった。

名前は冷蔵庫から取り出した米を研ぎ、炊飯器を早炊きモードにセットした。
この炊飯器は昨年度の忘年会のビンゴ大会で手に入れたものだった。魔法瓶と象のマークで有名なメーカーのこの炊飯器は、定価で買うと3万円以上し、お米の硬さまで調整できるため重宝していた。
「伏黒さん、苦手な食べ物とかありますか?」
「……ないです」
冷蔵庫の中を覗きながら問いかけてくる名前の背中に、伏黒は返事を返した。
本当はパプリカや甘いおかずが苦手であったが、出されたものは全て完食する覚悟はできていた。
伏黒の返事を聞いて安心した名前は、冷蔵庫から豚バラ肉と玉ねぎ、ピーマンを取り出した。キッチンの収納棚から中華生姜焼きのレトルト調味料を手に取り、まな板と包丁を調理スペースに置いた。
玉ねぎは2cm幅の串切りにし、ピーマンは同じ幅の細切りにする。続けて豚バラ肉を6cm目安に切る名前の手元を、音もなく立ち上がっていた伏黒が後ろから覗き込んだ。
「……レトルト調味料でごめんなさい」
「生姜焼き、好きなので嬉しいです。なにか手伝います」
手伝ってもらうほどの作業でもなく、なにより狭い台所は2人で作業するには非効率だった。
「うーん……後でスープの味見をお願いします」
名前はワンタンスープを作ろうと思った。お米が炊きあがるまで20分はかかってしまう。その間待たせるのは申し訳ないので、すぐに出来るワンタンスープを作り、飲んでいてもらおうと決めた。
生姜焼きの具材をまな板から別皿に移した名前は、まな板と包丁を熱湯で洗い流し、冷蔵庫から長ネギを、冷凍庫からワンタンを取り出した。
狭いキッチンは大して動かずに済むので楽だった。
「よいしょっと」
シンクの下から小ぶりの鍋を取り出し、適当に水を入れ沸騰させた。換気扇の上に磁石で貼っていたキッチンタイマーを3分に設定した後、ワンタンを鍋に入れて茹でた。
長ネギを千切りにする名前の様子を隣でじっと見つめる伏黒の視線が、名前は気になって仕方が無かった。
茹で上がったワンタンを箸で押さえ、湯を捨てると、ごま油小さじ1と、ケトルで沸かした150mlの水、鶏ガラスープの素小さじ1を鍋に入れて混ぜた。
ふつふつと再沸騰しかけたところで一旦火を止め、胡椒を振った名前は、隣に立つ伏黒に声をかけた。
「味見していただけますか?」
「します」
名前はお玉でスープを少しだけ掬い、味見皿の代わりに醤油用の小皿に入れて伏黒に差し出した。シンプルな調理過程のため、失敗はしないと信じたいが、濃薄などの味の好みが合うか不安であった。
白い皿に口を付ける伏黒の表情を名前はじっと見つめた。
「おいしいです」
「ありがとうございます」
伏黒の感想に思わず名前はお礼を言ってしまった。
名前の家にはスープ用の皿など洒落たものはない。代用として、味噌汁用の木のお椀に鍋のワンタンスープを注ぎ、白髪ねぎを乗せて伏黒に渡した。
「熱いので気をつけてください。ご飯が炊きあがるまでもう少しかかるので、その間に食べていてください。今お箸出しますから」
伏黒がスープをローテーブルに運ぶ間に名前は来客用の箸を探した。
「いただきます」
手を合わせる伏黒に箸を渡した名前は、生姜焼きの続きを作るべくキッチンに戻った。
食べたリアクションが気になるが、スープだけでは空腹は紛らせないだろうから、早くメイン料理を作らなければならない。

大きめのフライパンに胡麻油を引き、玉ねぎとピーマンを炒めた名前は換気扇の強さを弱から中に変えた。
炒め終わった野菜を別皿に取り、今度は豚バラ肉をフライパンに投入した。赤みが消えたところで火を止め、レトルトパウチのソースを入れ、肉に絡ませた。
再び火をつけ、玉ねぎとピーマンをフライパンに戻したところで、伏黒が甘辛い匂いに釣られたように名前の背後に立った。
「……いい匂いがします」
「味見しますか?」
味見も何も、味付けはレトルトパウチに入れられたソースに丸投げしているため名前に調節の必要はなかったし、調整方法もわからなかったが、なんとなしに聞いてみた。
「はい」
名前の肩口からフライパンを覗き込んでいた伏黒は頷いた。先程のワンタンスープで空腹は落ち着いたが、食欲が満たされるには程遠かった。
名前が箸で差し出す生姜焼きを口で迎えた伏黒は、予想通りの味に口元を綻ばせた。ご飯が進みそうな味であった。

炊飯器からご飯が炊き上がったことを知らせる音がした。
名前はキッチンの吊り戸棚からお茶碗としゃもじを取り出し、伏黒に渡した。
「お好きな量をよそってください」
伏黒がご飯を盛っている間に、名前も生姜焼きを大皿に盛った。
レトルトパウチの調味料が4人前だっため1人しか食べないわりに量が多いが、余った分は明日の朝食にするつもりだった。
取り皿と共に大皿をローテーブルに並べた名前は伏黒の前に腰を落とした。
「いただきます」
再度、伏黒は箸を持ち手を合わせた。
伏黒が黙々と箸を進める様子を名前は頬杖を付きながら観察をした。
伏黒は、食べ方も綺麗であるが、やはり顔も綺麗である。
 
テレビに映る芸能人を眺めるように伏黒を見つめていた名前のスマートフォンがメッセージを受信した。
木のテーブルに乗せられていたスマートフォンが通知のバイブレーションにより鈍い音を立て、伏黒と名前の視線を集めた。
「あっ、先輩からです」
ロック画面にメッセージの途中までは表示されるよう設定をしていたため、名前に送られてきたメッセージは伏黒にも読めた。
「すごい数のハートですね」
文章に乱舞するハートマークに伏黒は少し笑った。
メッセージを確認した名前も先輩のテンションの高さに苦笑いを浮かべた。
「火曜日もそうでしたけど、その先輩はどうして……」
自分と名前の仲を取り持とうとするのか、と聞きかけて止めた。
スマートフォンを手元に寄せ、メッセージの確認をしていた名前は言葉に詰まった伏黒の様子を伺うために顔を上げた。
「先輩がどうしました?」
「なんでもないです。ご飯のお代わり貰ってもいいですか」
「勿論です」
伏黒から空になったお茶碗を受け取った名前は、炊飯器からご飯を装った。念のためにと多めにお米を炊いておいてよかったと思った。
湯気の立つそれを伏黒の前に置くと、また黙々と食べはじめた。みるみる消えていく白米と生姜焼きに口にあったのだと安心した。

生姜焼き4人前とご飯1合弱を完食した伏黒は、終電で帰って行った。

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