12

2日間の有給を消化した名前は木曜日から仕事に復帰していた。
未だ本調子とは言えない体調であったが、これ以上休むことで他の同僚に迷惑をかけるわけにはいかない上、休んでいた分の仕事は大半が未処理で残っていることは簡単に予想できた。
「名前ちゃん、明日の飲み会の出欠なんだけど、出席で出しておいたよ」
「えっ、明日ですか?」
「部長がやるって聞かなくてさ……俺の面子もあるから頼むよ」
タイミングは悪いもので、翌日の金曜日の夜に部長からのリクエストで経理部全体の懇親会が開かれることになっていると課長から告げられた。
確定申告で部内の仕事が落ち着かない中ではあるが、繁忙期も終盤に差し掛かってるからこそ気合をいれるために飲み会をするのだと部長は豪語しているという。
雑務が尽きない名前達からしてみればいい迷惑であった。

新宿駅西口側の居酒屋チェーン店の一室にて行われた懇親会で、名前は体調が優れないからと奥の席で静かに烏龍茶を飲んでいた。
上座の席では部長と課長を中心に話が盛り上がっているが、名前にはその元気に着いていく気力も体力もなかった。
「絶対に一次会で終わらないよね。名前、大丈夫?」
名前の右隣にはビールジョッキを握る先輩が座った。
鳥料理がメインの店であるため、お通しとして出されたのは唐揚げの盛り合わせであった。
病み上がりの身体に揚げ物は受け付けない。箸が進まない名前は項垂れた。
「この会もできれば遠慮しようと思ったんですけど、課長の許可が下りなかったんです」
「まあ部長が主催者だからね……」
上座をチラリとみた先輩は同情の視線を名前に移した。
隣の席から回ってきたセルフオーダー用のタブレットから比較的、胃に優しそうな枝豆と鳥雑炊を頼んだ名前はスマートフォンを手に取った。
画面を確認した名前は、メッセージと共に送られてきた可愛らしい犬のスタンプにほっこりと顔の筋肉を緩めた。
「顔、緩みまくってるよ。もしかして相手は伏黒さん?」
「えっ」
「わかりやすいね〜」
顔に手を当てた名前の行動は答えを言っているようなものだった。身体を寄せた先輩は名前の画面を覗き込み、2人の会話を確認して溜息を吐いた。
「なにこの色気のない会話は。飲み会なんですって言って、伏黒さんに迎えに来て貰えば?」
「いや、どう考えても迷惑でしょ……」
「金曜日の夜なのに?」
悪魔のように囁いた先輩は名前の脇腹を小突いた。明日の仕事を気にせずゆっくり話ができるのは金曜日か土曜日しかない。
大皿の唐揚げを自身の皿に移し、レモンをかけた先輩はそういえばと声を潜めた。
「一昨々日はどうだったの?伏黒さん、終電無かったでしょ。上手くいった?」
「あのですね、言ってくれればいいものの先輩のサプライズのせいで、部屋は散らかり放題だったし、私の服装も酷かったし……すっぴんだったし……」
「はいはい。結局お泊まりはしたのー?」
2つ目の唐揚げを口に入れた先輩の足を名前は平手で叩いた。
仕事は几帳面な癖に、デリカシーに欠けているのが勿体無い人だと名前は思っている。
お泊まりという単語に反応したのか、名前の左隣に座っていた同僚が興味深げに口を挟んだ。
「そういえば名前、お見合いはどうなったの?ゴールデンウィークに実家に帰ったんでしょ」
「お見合い?なにそれ、私は聞いてないんだけど」
「高校の同級生とのお見合い話が来たらしいですよ」
名前はその話はしたくないと眉間に皺を寄せ、腕でバツマークを作った。
「お見合いはしましたけど、断りましたよ」
「詳しく教えてよ。実家、仙台だっけ?」
仙台銘菓の『萩の月』が名前からのお土産として給湯室に置かれていたのを2人は思い出した。
両隣からの突かれ、名前は仕方なく重い口を開いた。
「田舎なんで、同級生はもう結婚して子供もいたりするんです。なので母親が焦っちゃって……元々、東京に行くのも反対してて、早く結婚して地元に戻ってきてほしいみたいなんですよね。それでお見合いを組まれました」
ふーんと2人は頷いた。
「高校の同級生ねー。断ったって言ってたけど、知り合いならお互い気まずくない?」
「気まずいですよ。本当は受けずに断わりたかったんですけど、話を貰った母親が私に確認せずに受けちゃって……」
「お母さんはノリノリだったんだ」
「地元で有名な酒蔵の次男坊だったんで、母親的には大賛成だったみたいですね。あと、私が卒業式でその人から第2ボタン貰ったって話が耳に入ったらしくて」
「いいね、青春って感じ」
両隣からのチャチャを受け流しながら名前は運ばれてきた枝豆に手を伸ばした。
「美しい記憶で終われば良かったんですけど、お見合い後の交際を私が断ったのが癪に触ったらしくて、相手怒ってるんですよね」
名前はメッセージアプリを開き、見合い相手とのやりとりを見せた。
「えっ……めっちゃ怒ってるじゃん」
「直接話し合いがしたいって、これ東京まで来るつもりなんじゃないの?」
トーク履歴を遡った2人は、今日の昼にも不在着信が入っているのを見つけて心配になった。名前が言うような怒ってもいるが、どちらかというとしつこく付き纏っているようにも見えた。
「田舎は色々と面倒くさいんですよ。東京の過干渉のない環境が私には丁度いいです」
名前は高校を卒業してすぐに就職し、上京した。上京してもう5年になるが、実家に帰りたいとは思わなかった。
「お手洗い行ってきます」
隣席から流れてくる煙草の匂いが気になった名前は外の空気を吸うために席を立った。

名前が席に戻ると左隣にいたはずの同僚の姿は見えず、代わりに課長が座っていた。
「名前ちゃん、飲んでるかーい?」
「はあ、いただいてます」
「ウーロンハイ?いつものレモンサワーは飲まないの?注文するよ」
課長はレモンサワーのオーダーをタブレットに打ち込んだ。
「あ、ありがとうございます……」
「ほら食べて食べて」
テーブルに置いてあった焼き鳥の盛り合わせを名前の前に寄せた課長に、名前は渋々と手を伸ばした。先程注文したはずの鳥雑炊は何故か席の離れた男性社員が食べていた。
「名前ちゃんがいないと仕事がなかなか進まないんだよね。復帰してくれて助かったよ」
「はあ」
「ほらレモンサワーが来たよ。はい、かんぱーい」
課長に急かされ、名前はレモンサワーに口をつけた。なんだか焼酎の味が濃い気がしたが、さっぱりとした味は今の体調でも飲みやすく、ビールよりかはマシだったかと思った。
焼き鳥を齧った名前は先月、七海と行った店を思い出した。あの店とチェーン店を比べるのは烏滸がましいが、あの店の焼き鳥は、火の通り過ぎたこの焼き鳥の何倍も美味しかった。
「課長、部長の所に行かなくていいんですか?こんな末席に来てもいいことないですよ」
酔っているのか椅子を寄せてくる課長からさり気無く逃げつつ、名前は上座に戻る事を提案した。
「部長には挨拶したから。名前ちゃんちゃんと食べてる?追加で何か頼む?」
「私は大丈夫です……先輩なにか頼みますか?」
空気に耐えきれず、反対側に座る先輩に話を振った。急に話を振られた先輩は慌てたように名前からセルフオーダーのデバイスを受け取った。
課長の腕が椅子の背中に回っている事を確認した名前は、本格的にヘルプを求めようと自分のスマートフォンを探した。
先程席に置いたまま出てきたのに見当たらない。
「(あ、れ?)」
メニューを選ぶ先輩の手元に見覚えのあるピンク色のスマートフォンがあった。
名前の視線に気がついた先輩は、任せろとばかりに親指を立て、スマートフォンを名前の手の届かない所に置いた。

2時間食べ飲み放題コースが終了した時には、名前の体感時間では4時間以上が経過していた。
2次会に行くぞ!という部長の声と店を出てすぐ腰に回された課長の腕に名前は泣きたくなった。
ようやく返されたスマートフォンも、拘束され、エスケープできない状況では何の役にもたたなかった。
せめて課長からは離れたいと距離を開けようとするが、逆効果だったようで、腰に回された腕の力が痛いくらいに強まった。
「か、課「名字さん」
名前の声に重なるように聞こえた声に、名前は息を呑んだ。
後ろから腕を引かれ、課長の腕から引き剥がされる。そのままの勢いで抱き寄せられた名前の視界はワイシャツで白く染まった。
「え、伏黒さん……?」
「迎えにきました。やっぱり顔色が良くないですね、帰りましょう」
どうしているのかと目を白黒とさせる名前を腕の中に閉じ込めたまま、伏黒は目の前の男を睨んだ。
「まだ病み上がりなので、彼女はここで失礼します」
「あ、ああ……お大事に」
名前の肩を抱いて去っていく伏黒を課長は呆然と見送った。

prev next
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -