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名前も愛用するそのメッセンジャーアプリには、電話帳に登録されている相手をアプリ内でも連絡先として追加するシステムがあった。
『知り合いかも?』と表示された通知欄に、伏黒恵の文字を見つけた名前は画面を二度見した。慎重に『追加する』ボタンを押そうと指を近づけた時、そのメッセージアプリが新規メッセージの受信を知らせた。
「…………」
それは昨夜、名前に見舞いに行くと告げたにも関わらず、結局来なかった先輩からのメッセージだった。先輩の代わりに伏黒が訪問してきた事である程度の背景を察していたが、予想通りであったかと名前は唸った。
「すごい誤解されてる気がする」
自身を恋のキューピットと称すことから始まったそのメッセージは、交際祝いの言葉を挟み、寿退社は許さないの言葉で締められていた。
確かに名前は、雑談がてら最近気になっている存在として伏黒の話をしたが、お節介を焼いて欲しいとのお願いはしていない。
残念ながら伏黒と名前は先輩の考えるような熱い夜は迎えていないし、恋人どころかようやく連絡先を知った程度なので、知り合いと称するのが無難な関係性だった。
「伏黒さん、追加リクエストきたら引くかな……」
犬のアイコンをじっと眺め、友達追加するかしないか悩み、名前は枕に顔を埋めた。
そういえば下着をベッドの下に押し込んだままだったと思い出した名前は、スマートフォンの懐中電灯機能を使い、ベッドの下を照らした。
案の定、下着以外にもボールペンや髪の毛を束ねるクリップが落ちていた。
「……なにこれ?」
懐中電灯の光を反射してチカリと瞬くものに手を伸ばした。丸く小さいそれは、鈍金色の渦巻き模様のボタンのようだった。
「こんなボタンあったっけ?」
名前は首を傾げた。

 
 
 
任務の事後報告のため高専に訪れていた七海は、ソファースペースに先客の姿を見つけて足を止めた。
ソファースペースは広い。学生や同僚が休憩や打ち合わせに使用しているならば、その場所を避けて使用すればいい。だが、ソファースペースにいるのが五条の場合は別だ。
近づくことさえ遠慮したいと踵を返そうとした七海は、五条と向き合うように座る伊地知と目が合ってしまった。 
「(助けてください……!)」
後輩からの切実な助けを求める視線を無碍にできるほど、七海は非情な人間にはなれなかった。
伊地知の視線に引っ張られるように仕方なく、七海は2人が座るソファーに近寄った。
七海は猪野と待ち合わせをしていた。数分後には猪野もソファースペースに来るだろうし、そのタイミングで自分も席を立てばいいと目算しての妥協だった。
「なにしているんですか、五条さん。伊地知君が泣きそうになっているじゃないですか」
「あ、七海じゃん。丁度よかった。お前からも言ってやってよ。僕がこーんなに頼んでるのに伊地知が了承してくれないんだ。ちょっとしたお願いだっていうのに」
五条はテーブルに長い足を載せ、両腕をソファーの背もたれに置いていた。その横柄で威圧的な態度はとても頼み事をしているとは思えなかった。
「伊地知君はただでさえ仕事が多いんですから、無理を言うもんじゃありませんよ。彼が過労で倒れて困るのは私たちです」
「七海さん……!」
助け船に全力でしがみついた伊知地は七海の優しさにじぃんっと涙を滲ませた。
「えー僕が過労で倒れても伊地知は困るよね?」
任務の割り振りも伊地知の仕事の一つである。ただでさえ数の少ない特級呪術師が倒れたら困る所の騒ぎではない。五条が過労で倒れるとは思えないが、想像しただけで伊知地の胃は捻れるような痛みを訴えた。
「……そんなに何が知りたいんですか」
伊知地の隣に座った七海の問いに対して、五条は深い溜息を吐いた。その物々しい様子に七海は何事かと眉を上げた。
「僕が担任をしてる一年生に最近彼女ができたらしいんだよ。で、こないだ無断外泊したらしくて、まあそれは別にいいんだけど……」
傾聴の姿勢をとっていた七海は、五条のこの出だしの言葉だけで続きを聞く気が失せた。ちょうど猪野が歩いてくるのが見えたため、早々に立ち去ろうと腰を上げた七海のシャツを必死に伊知地は掴んだ。
「五条さんの生徒の恋人について調べろって迫られてるんです」
「そんな馬鹿な仕事は放っておいていいですよ。生徒とはいえ他人の恋愛には口を出すもんじゃありません」
ぴしゃりと七海は言い切った。五条より七海の方がよほど教師らしいと伊地知は思った。
「だって恵は会わせてくれないんだもん。伊地知に頼むしかないじゃん」
「伊地知君に頼むのがそもそもお門違いでしょうに。ああ猪野くん、待たせてすみません。すぐ行きますから」
「いや、猪野くんも座って、座って」
七海を見つけ、ソファーの側まで来ていた猪野は五条に腕を引っ張られ、その隣に腰を下ろした。
「名前と職場の大体の場所は分かってるんだから、1日もあれば特定くらいできるでしょ。僕もね、先生として生徒の彼女にご挨拶しなきゃ」
「生徒の彼女?職場ってことは相手は年上なんですか?」
嬉々として会話に参戦してきた猪野に七海は目を覆いたくなった。
ようやくまともに取り合ってくれる存在が現れ、五条も高らかに話し始めた。
「名字名前っていう女性なんだけど、この人……」
「名字名前?」
猪野はその名前に聞き覚えがあるような気がした。猪野が記憶の糸を手繰り寄せようとするのを遮るように、七海は咳払いをした。
「あっ!七海さんの彼女!」
猪野は自分の拳を掌で打ち、思い出したと大きく頷いた。
その一方で七海は顔を片手で覆い、直ぐに否定した。
「猪野君、違います。仮に同姓同名だとしても、あなたの知っている名字さんは私の恋人ではありません」
「えーっ、まだ付き合ってなかったんですか?」
七海から、もう何も喋るなと刺すような視線を向けられているのにも気づかず、猪野の口はぺらぺらと回った。
「だってサラリーマン時代からの知り合いで、退社してからも月1でデート行くって!もう、恋人じゃないですか。そう思いませんか、五条さん」
どうして付き合わないんですか?とはしゃぐ猪野は、七海の手元に鉈がないことに感謝をするべきであった。
七海は心からソファースペースに残ったことを後悔していた。こんなことになるなら伊知地を見捨てて校門で猪野を待つべきであった。
「七海グルメだもんねー。女の喜びそうな店いっぱい知ってるって思ってたけどそう言うことだったんだ。ふーん。それで?それで?写真ないの?僕も七海のイイヒト見たいなあ」
五条も猪野に便乗して七海のプライベートを詮索する体勢に入った。
「流石に写真は持ってないですけど、七海さんなら持ってるんじゃないですか?」
七海に話を振った猪野はそこで初めて氷柱のような視線に気がついた。
「……猪野君、君には後で大切な話があります」
「げっ」
話を切り上げるべく立ち上がった七海を見た猪野は、ソファーから転げ落ちるようにしながらも後を追った。

ソファーに残された伊知地は不気味に笑う五条に泣きたくなった。
「僕の教え子だけじゃなくて後輩にまで手を出してたなんて、とんだ性悪女だと思わない、伊知地?」
「そ、そうですね……」
伊知地に反論は許されていなかった。
「だから、直接会いに行ってくる。来週中に名字名前について調べて、送って」
机から足を下ろし、立ち上がった五条は上から座る伊知地を見下ろした。
「はい……わかりました……」
その圧に耐え切れる訳もなく、伊知地は赤べこのように頷いた。

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