10

喉の痛みで目が覚めた名前は、起床時の習慣で枕元のスマートフォンを確認した。画面に表示される時刻は朝4時を過ぎたことを教えてくれた。画面が暗転するとマスクと冷えピタを貼った自分の顔が映る。寝癖で前髪が割れていた。
「ひっどい顔」
痛む頭を抑えながらゆっくり起き上がると部屋の壁に凭れ掛かるように寝ている伏黒の姿が目に入り驚愕した。
「び……っくりした」
昨夜、先輩の代わりに伏黒が見舞いに来てくれたことを思い出した。
マスクをそっと降ろし、サイドテーブルに乗せられたペットボトルの水を開けて飲んだ。解熱剤が効いたのか昨日より頭ははっきりしていた。
頭がはっきりするとともに部屋の惨状を認識し、頭を抱えたくなった。
 
ゴールデンウィークに帰省した際に使用したスーツケースは床に拡げられたままであり、衣類を中心とした中身がケース外に溢れている。
部屋の中心にあるローテーブルには開けっ放しのパソコンと書類が散乱しており、書類の上には市販の風邪薬が置きっぱなしになっていた。
昨日、締め付けられて苦しいからと外したはずの下着を床に見つけ、慌てて手を伸ばし、掴んだそれをベッドの下の隙間に押し込んだ。

ただでさえ狭い上に荷物により足の踏み場も少ない部屋で伏黒は冷蔵庫と壁に凭れ掛かるようにして寝ていた。
「(申し訳無さすぎる〜)」
心のなかで叫んだ名前は一先ず顔を洗うことにした。洗面所に向かう一挙一動に細心の注意を払い、決して大きな音を立てないようにする。
洗顔ついでに前髪の割れもできるだけ直し、改めて新しいマスクを着けた。
「(伏黒さんになにか掛けてあげなきゃ……)」
名前の家には一人暮らしのため予備の布団などない。洗面所のバスタオル入れの奥に薄手のタオルケットがあったはずだと思い出した名前は棚の上を静かに捜索した。去年の夏に使っていたそれはバスタオルの底にしまわれていた。

タオルケットを持ち、抜き足差し足で伏黒に近づいた名前は、寝息を立てる伏黒にそっとタオルケットをかけた。
心配なのは硬い床と壁に接している腰と背中だが、それはどうしようもできなかった。
 
再びベッドへ戻った名前はサイドチェストの中から体温計を手にとった。腋窩に挟むタイプのそれは計測が終わると音を鳴らして知らせてくれるタイプのものであったが、名前はその音を立てないようにするためにチラチラと温度を確認しながら計測結果を待った。
「37.2度……だいぶ下がったな」
昨夜は39度近く発熱していた。帰省の疲れが溜まっていたのだろう。明日には出社できそうだと名前は欠伸を噛み殺した。
 
 
 
伏黒の意識は、腿の上に置いたスマートフォンのバイブレーションによって覚醒した。昨夜、寝る前に始発の時刻に合わせて設定しておいたアラームだった。
部屋の電気は消されているが、白っぽい薄明かりの空のせいで完全な暗闇ではなかった。
いつの間にか掛けられていたタオルケットを剥ぎ、床で寝たせいか強ばる関節をゆっくり伸ばしながら立ち上がった。
名前の様子を確かめるためにベッドに近づいた伏黒は、穏やかな寝息を立てる名前を確認し、安堵の息を吐いた。
名前は相変わらずマスクをしていたが、額からは冷却シートは外されていた。
壁に背を向けるように横向きに寝る名前の手は投げ出されるようにベッドからはみ出ていた。
悪戯心で名前の掌に指を添えると、幼児の把握反射のように握られた。
「(かわいい……)」
熱のせいか名前の手は熱い。もう片方の手で名前の手を包み込むと伏黒の手に熱が伝わり暖かくなった。
名残惜しいが、シャワーを浴びて着替えてから授業に出るためには、そろそろ名前の家を出なければいけない。
名前の手を掛け布団の中に戻し、自分に掛けられていたタオルケットを畳んでベッドのサイドテーブルに置いた伏黒は書き置きを残すことにした。
ローテーブルの上では書類に紛れてしまうため、冷蔵庫のマグネットを使って書き置きを貼った。
 
 
 
6時前には高専に着いた伏黒は人目につかないよう気を配りながら自室に戻った。一晩中着ていた制服を脱ぎ、スウェットのズボンを履き、替えの下着と新しいワイシャツを持って浴場へと向かった。
この時間ならば毎朝のトレーニングをしている先輩達とも顔を合わせないだろうと計算してのことだった。
案の定、誰もいない浴室で思う存分汗を流すことができた。
「ツナマヨ」
「恵くーん、おーはーよー」
シャワーを浴び終え、ドライヤーは部屋で掛けようと濡れた髪を拭きながら歩く伏黒の道を塞いだのはパンダと狗巻だった。
「朝からなんですか」
両手で道を塞いだ2人はニヤつく顔を隠そうともせずに伏黒に迫った。
「朝から?いや、俺たち昨日の夜からお前を探してたんだけどなあ」
「しゃけしゃけ」
スマブラしようと思ってとパンダはファイティングポーズを構えた。
「恵、昨日は任務じゃなかったよな。朝帰りだって悟にチクっちゃおっかなあ〜」
「めんたいこ」
よりによって一番気付かれたくない2人に無断外泊が発覚するとはと伏黒は大きな溜息を吐いた。
突然の任務が入った等、適当に誤魔化そうと口を開いた伏黒だったが、スウェットのポケットに入れていたスマートフォンの電話着信を告げるバイブレーションに思わず息を呑んだ。
「ちょっと待ってください」
伏黒は、パンダと狗巻に手のひらを向け、停戦の合図を送った。
伏黒のスマートフォンの画面には、未登録の電話番号が表示されていた。
「もしもし」
「あっ……伏黒さんですか?名字です。ごめんなさい私、寝てしまったみたいで、見送りもできなくて……」
寝起きなのか風邪のせいなのか、掠れ気味の名前の声が聞こえた。
「いいえ、気にしないでください…… 俺の方こそ、ぐっすり眠ってたので起こすのが忍びなくて……身体は大丈夫ですか?」
「おかげさまで大分楽になりました。本当にありがとうございます」
「ゆっくり休んでください。また、連絡します」
電話を終えた伏黒は、通話の切れた画面をぼうっと見つめた。労わりを込めた声は甘く、心なしか表情は柔らかい。
伏黒の通話の様子を伺っていたパンダと狗巻は、無言で顔を見合わせた。
「で、なんでしたっけ?」
先程の表情から一転、険しい顔で伏黒はパンダと狗巻に向き合った。名前からの電話を目の前で取った以上、もう誤魔化すつもりはなかった。
「おかか」
「なんでもないです」
そんな伏黒に対して先輩である2人は興が醒めた。2人は先程の電話の声の甘さだけで胸いっぱいであった。

伏黒に道を譲ったパンダと狗巻は再び顔を見合わせた。お互い言いたいことは同じだった。
「身体は大丈夫ですか?って言ってたよな」
パンダの問いに対し、狗巻は肯定の返事を返した。
「ぐっすり寝てたから起こさなかったって言ってたよな
再度のパンダの問いに対しても、狗巻は肯定の返事を返した。
「つまり、そういうことだよな」
「……しゃけ、ツナマヨ」
狗巻は頷き、真希に連絡だと電話マークを指で作った。

prev next
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -