09

名前と最後に会ったのは2週間も前になる。先週はゴールデンウィークであり、名前の会社自体が休みだったため会えていなかった。
 
立川駅までの最終電車が0時過ぎに発車することを確認した伏黒は、名前が勤務するビルを見上げた。
13階の窓にはまだ明かりが灯っている部屋が数カ所あった。23時を過ぎても姿を見せない名前に不安と心配が募った。
 
エントランスが正面に見えるセーフティフェンスに腰掛けながら、ビルから出てくる人影を確認しては肩を落とすという動作を繰り返していた伏黒に、ビルから出てきた1人の女性が遠慮がちに声を掛けた。
「もしかして、伏黒さんですか」
「はい」
声を掛けてきた女性に見覚えがなかった伏黒は、怪訝な表情で返事をした。
「ああ、やっぱり。名字なら出社していませんよ」
ポニーテールが特徴的なその人は伏黒の顔をまじまじと見た。
名前が言っていた通り、顔の綺麗な男性だと思った。透けるように白い肌は夜だからこそ目立ち、伏し目がちな眼を陰る睫毛は恐ろしく長かった。
「名字さんになにかあったんですか?」
「体調不良です。明日の出社も厳しいかもしれないって言ってました」
昼間に様子伺いの電話をしたという彼女は名前の同僚のようだった。
「……どうして俺のこと知ってたんですか?」
「えっ、名字から聞きましたよ」
名前の同僚は人差し指の代わりに小指を口の前で立て内緒話のポーズをした。その意味深な仕草の意図が汲み取れなかった伏黒は首を傾げた。
「……今からお見舞いに行こうと思ってたんですけど、ちょうどよかった。代わりに行ってくれませんか?名字がいないと仕事が終わらなくて私ももう限界で、倒れそう」
言い訳のように付け足された言葉からは疲労の色が滲み出ていた。
「今からですか?」
終電まであと20分もない。スマートフォンを確認した伏黒は少しだけ考え、頷いた。
「行きます」
「良かった。じゃあ案内します。もう歩く元気もないのでタクシーで帰りましょう」
終電間近ということもあってタクシーはすぐに捕まった。伏黒を押し込むようにタクシーに乗せた女性は、会社からさほど離れていない住所を告げた。
「社員寮なんです。古いし狭いし会社まで歩いて30分近くかかるし最悪だって名字から聞いていませんか?」
「聞いてません」
「伏黒さんも会社、新宿なんですか?」
「違います」
名前についての話は名前の口から聞きたかったし、自分のことを他人経由で教えるつもりは伏黒にはなかった。
話しかけてくるその人を適当にいなしているとタクシーは10分程度で目的地に到着した。

その社員寮はどこにでもあるような5階建てのマンションだった。
「先にスーパーでお粥とか買いましょう」
「あ、はい」
マンションの前には24時間営業の都市型小型食品スーパーがあった。コンビニとスーパーマーケットのちょうど間をとった形態のその店で、お粥やゼリー、アイスクリームを買った2人は再びマンションへと戻った。

1階のロビーのオートロックを解除してもらった伏黒は、到着した今更になって、名前が起きているのか心配になった。体調が悪い中深夜に訪問して、起こしてしまっては申し訳ない。
「名字さん、起きてますかね」
「会社出る時にこれから行くって伝えてあるので起きているはずです」
名前の部屋は502ですからと付け加えて同僚の女性は伏黒に手を振った。
「ありがとうございます」
「いえ、名字をお願いします。あっ……このマンションの壁、薄いんで気をつけてください」
したり顔で名前の同僚は付け加えた。
夜も遅いし騒ぐなということだろうと伏黒は頷いた。

郵便受けを確認するという名前の同僚と別れ、伏黒はマンションの階段を上った。今時エレベーターが併設されていないマンションは逆に珍しい。
最上階である5階まで息も切らさず上りきった伏黒は、少し指先を躊躇いさせながらも502の部屋のドアフォンを押した。
呼び鈴の音が響いて直ぐに、扉の鍵が家の中から開けられる音がした。
「先輩、すみませ…………!」
2週間ぶりに見る名前は口元を覆うマスクと額に貼り付けた熱冷却シートのせいで顔の殆どが隠されていた。唯一はっきり見える目元は熱のせいか腫れており、しょぼしょぼとしていた。
扉の前に立つ伏黒を見て絶句する名前の様子に、どうやら伏黒が来ることは伝わってなかったようだと察した。
「多分その人の代理で来ました。これ、どうぞ」
「アッ……ありがとうございます。あっ、すみません。今日もしかしてずっと待たせてましたか……?」
隣のスーパーで買った食料品と、伏黒が元々持ってきていた栄養ドリンクを渡そうとすると名前は額に手を当てた。
連絡先を知らなかったとはいえ失礼なことをしてしまったと名前は猛省した。
「体調どうですか。必要なものが有れば今から買ってきます」
「そんな……大丈夫です。本当にごめんなさい。私こんな格好だし、部屋今ぐちゃぐちゃで……」
名前の言葉が途切れたかと思うとその身体がふらつき、伏黒の方へ倒れ込んできた。
咄嗟に名前の身体を支えた伏黒は、部屋着の薄さと肌に触れる柔らかい感触に思考を止めた。
伏黒の手首に掛けられていた2つのビニール袋が大きく揺れ、胸をざわつかせるような擦れた音を立てた。
「……名字さん、大丈夫ですか?」
「……ご、ごめんなさい」
「意識はありますね。動かないでください」
力が抜けてしまった名前の腕を自身の肩に回し、次いで、膝の下に自分の腕を差し入れた伏黒はそのまま名前を持ち上げ、玄関を上がった。
ワンルームの部屋は寝室を探す必要はない。床に落ちているものを踏まないように気をつけながら進み、伏黒はゆっくりとベッドの上に名前の身体を降ろした。
「アイス、溶けるんでしまいますね」
名前は頷いた。名前の心臓は肋骨を持ち上げるのではないかと疑うほど膨張したかと思うと、潰れる勢いで収縮する。早鐘を打つ胸と真っ赤になっているだろう顔を隠すために、名前は薄手の掛け布団を頭の上まで引き寄せた。

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