08

カラネス区の流行病は一先ず小休息の様子を見せていた。感染源は井戸水のようだと報告が上がってきてから街では煮沸消毒が徹底された。その成果だろうと看護師の報告にはあった。

「名前の病状は軽快しているみたいだね」
「リヴァイと喧嘩できるぐらいには回復したようだな」
「湿疹も薄くなっているみたいだし、あとは熱だけって言っていたよ。リヴァイに伝染ってないことからもやはり対人感染はないという結論に至ったみたいだ」

ハンジとエルヴィンは名前とリヴァイがなにやら口論している部屋の様子をガラスの向こうから眺めた。名前の口の動きから内容を察するに、リヴァイの剥いた林檎に芯が残っていたことに対して名前が文句を言っているようだ。子供の喧嘩じゃあるまいし、とハンジは呆れたように首を振った。

「名前も明後日から仮本部に戻すんだろう?」
「ああ。もう十分動けるようだしな」
「明日の昼間、ちょっとあの子を借りていい?」
「本人と看護婦の了承がとれたら構わない」

ハンジはガラス窓をコンコンと叩いて中の二人の注意を引いた。なにやらジェスチャーするとリヴァイが名前に問いかけた。彼女は首を捻りながら曖昧に頷く。それを確認したリヴァイもハンジに頷いてみせた。

「何をするつもりなんだい?」
「久しぶりに美味しい食事にでも連れて行ってあげるだけだよ。名前もいい加減動きたいだろうし」
「それは私も同行していいものかい?」
「……ああ、もちろんだよ」

ベッドの横の引き出しからハサミを取り出したリヴァイが名前の前髪を切ろうとしている。膝の上にタオルを敷き、切った髪が目に入らないよう目を閉じた名前を見てリヴァイが口布を下げた。エルヴィンとハンジはアイコンタクトでその場を離れた。



翌朝、見舞いに来たエルヴィンが見たのは空っぽのベッドだった。この時間はまだ部屋にいるはずである。近くを通った看護師に名前の居場所を聞くと朝はやく、リヴァイが肩に抱えて出て行ったという。リヴァイから何も聞いていないエルヴィンは首をひねる。一応止めたのですが……すみません口止めもされていて、と項垂れる看護婦に謝罪をし、エルヴィンはハンジの元へ行くことにした。ハンジならば何か知っているだろう。

「名前とリヴァイ?あー、多分名前の服買いに行ったんじゃない?」
「服?」
「次の夜会に着ていくドレスが欲しいとか言っていたらしいから」

ハンジの目が泳ぐ。エルヴィンは少し眉を寄せたが何も言わなかった。ハンジの後ろに控えるモブリットに視線を投げるとまたも下を向かれる。怪しい。

「ハンジ、何を企んでいるんだい?」
「なにも企んでいないさ。ただ、調査兵団で頑張っている友人達のささやかな願いを叶えてあげたいと思ってね。」
「ささやかなデートかい?」
「あのさ、エルヴィン」

ハンジがメガネの弦をいじりながらエルヴィンに問いかける。なんだい、と穏やかに返すエルヴィンの目を見ながらハンジは言葉を選ぶようにゆっくり問いかけた。

「私、ずっと名前がエルヴィンに未練があると思っていたんだけど、最近は逆なんじゃないかと考えていてね」
「私が名前に未練があると思っているのかい?」
「リヴァイはそう思っているみたいだよ。まあ、私もなんだけど」

エルヴィンの目が細められた。モブリットはこの気まずい空気に逃げ出したくなる。なによりも違和感があるのが恋をかたるハンジの姿だ。はっきり言ってエルヴィンよりハンジの方が怖い。分隊長にも恋をした時があったのか、なんて考えこむモブリットはエルヴィンの次の言葉にむせた。

「そうだね。似たような感情は彼女に抱いていることは否定しないさ。名前の幸せを祈る一方で、リヴァイと肩を寄せ合うのはいただけないと思ってしまう」
「あなたにも人間らしいところはあったんだね」
「酷いな、ハンジ。私も人間の男だ。嫉妬くらいはする。だが、私には名前を選べない。もうそういった感情を出すつもりもないよ」
「名前より巨人を選ぶなんて変わっているね、エルヴィン」
「君に言われたくないよ」

穏やかに笑うエルヴィンは窓から壁を見た。あの向こうの世界にしか自分は心を割くことを許されないのだ。昼時を告げる鐘がカラネス区に鳴り響く。町の住人が昼飯を食べるために出てきていた。街の屋台からは食欲をそそる匂いが四方から漂っていた。

「行こうか、エルヴィン」
「どこにだい?」
「大切な仲間が新しい一歩を踏み出すのを見送りにだよ」

ハンジはエルヴィンの手を引いて部屋から出た。ほらほらみんなおいで、とホテル内にいる調査兵団の兵士に声をかけた。

ハンジが足を止めたのは壁のまえの広間だった。もう一度大きな鐘がなる。兵士たちを物珍しそうに眺めていた住人の視線は壁の上へと向いた。リヴァイ兵長と名前補佐官だ、と言った声がだんだん広がっていった。

「オイ、名前、いい加減起きろ」
「え……うわっ、ここどこなの」

気を失っていた名前はリヴァイの声で目を覚ました。急に太陽の光を当てられて目眩がする。ふらついた彼女をそっと支えたリヴァイは眼下からの視線に目を細めた。ハンジが余計な真似をしたらしい。名前は自分が壁の上にいるらしいということと、やけに豪華なドレスをまとっていることに気がついた。目の前のリヴァイはいつもどおりの兵団服だというのに。

「説明はなにもしない」
「……あなたっていつも急だよね。あっエルヴィンがいる」

名前のその言葉にリヴァイが名前の腰を引き寄せた。白いウエディングドレスが風になびき、青い空に浮かぶ。まるで自由の翼だ、と誰かがつぶやいた。しんと静まり返った町で壁の上の二人は見つめ合っている。上級な化粧を施され、純白の花嫁衣装を纏った目の前の女はとても美しかった。リヴァイは何も言わなかった。

名前の視線はリヴァイから壁外に向けられた。眼下には巨人がいる。リヴァイも名前の視線を追った。リヴァイの腰の剣が風に煽られてと音を立てた。この壁の外こそが、二人の戦場だった。

「……私、きっとリヴァイより早く死ぬと思う」
「どうだろうな」
「それでもいいの?」

リヴァイの言葉に名前は笑った。そして一歩離れて左手を差し出す。驚いたリヴァイに名前は笑ってみせた。
リヴァイは片膝をついて彼女の薬指にキスをした。下からの歓声に二人共頬を染め、見せつけるように誓いのキスをした。ハネムーンは壁外調査かなと笑うハンジに習い、エルヴィンも祝福の拍手を送った。

END

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