番外編
リヴァイと名前はエルヴィンに連れられてウォールシーナでの会食へ行っていた。会食といっても各兵団支援者との立食パーティーのようなものらしく、リヴァイも名前もスーツにドレスと着飾っていた。兵団服しか着ているところの見ない二人が違った格好をしていると、受ける印象も随分違う。特にきちんと化粧を施した名前は華やかさも増し、エレンは思わず見惚れた。リヴァイすらも「悪くない」と呟いたほどだ。馬車に乗り内地に向かう二人を送り届けたのが五時間前だった。
「エレン、なんとかしろ」
「いや……俺には無理ですよ。どう考えても無理じゃないですか」
「先輩命令だ。なんとかしろ」
現在、何故か名前だけが旧調査兵団本部に戻ってきている。イライラとした様子で冷えた水をひたすら飲む彼女の異様な姿にリヴァイ班のメンバーは戸惑っていた。まずは事情を聞くべきだと言ったペトラのせいでエレンは犠牲者として選ばれてしまった。食堂の入り口から突き飛ばされるように押され、たたらを踏みながら名前に近付く。
「名前さん……?」
「なに?」
「えっと……えっと……」
「ああ、そうだエレン。お願いがあるんだけれども」
「なんでも聞きます!」
名前の横に立ったはいいが何を聞いていいのかわからないエレンは助け舟とばかりに名前から振られた話題に食いついた。敬礼のポーズを取ったエレンに名前は唇を綺麗に三日月型に歪めた。
「私が前に使っていた部屋、あるでしょう?わかる?」
「ええ、二階の西ですよね」
「そう。その部屋に私の私物を運んでおいてくれる?」
「………え?」
「はい、鍵」
「……いやいやいやいや。そんな勝手な事したら兵長が……」
「兵長?誰かしら?」
あ、だめだなこれ。エレンは勢い良くドアを振り返った。彼の尊敬する先輩達にも名前とエレンの会話は聞こえていたわけで、四人共に顔を引き攣らせている。どうやら二人は夫婦喧嘩をしてきたらしい。助けてくださいと口パクでグンタにメッセージを送ったエレンの胸ぐらを名前は掴んだ。名前が腕に力を込めると自然と胸筋にも力が入り、エレンの目線は一層強調される胸に言ってしまった。名前はにっこりと笑う。
「エレン」
「はい!」
「そうね。こんな夜に大仕事は可愛そうね」
「…はい」
「なら、私の部屋のベッドだけメイキングしておいて頂戴。今日はそこで寝るから……エレン?返事は?」
「……はい」
ぱっと名前は手を離し、また水を飲み始めた。どうやら酔ってもいるらしい。これ以上抵抗しても無駄だと悟ったエレンはふらふらと食堂を出た。そんなエレンをペトラが支える。無言で首を振った後輩に先輩である彼らは目を合わせた。
「とりあえず、補佐官の言うとおりにしましょう」
リヴァイと名前が正式に婚姻を結んでから名前はリヴァイの部屋で寝起きをするようになっていた。そのため、名前の私物のほとんどはリヴァイの部屋にある。別居という言葉がリヴァイ班の脳裏に浮かんだが、それはリヴァイが許さないだろう。久しく使われていなかった名前のベッドマットを軽く叩き、清潔なシーツを広げ、メイキングをする。
「喧嘩の原因はなんだろう?」
「さあな……でも、補佐官一人で帰ってくるってなかなかだぞ」
「そうよね。エレン、できましたって補佐官を呼んできて。もう今日は寝かせちゃいましょう」
ペトラに言われ、エレンは名前を呼びに行った。名前は素早く立ち上がり、自室に向かう。香水をつけているのか甘い匂いがエレンの鼻孔をくすぐった。彼女の白い項を見ているだけでおかしな気分になりそうだ。名前とエレンが二階への階段を登り切ったとき、玄関のベルが鳴った。恐らく、リヴァイだろう。玄関のベルが鳴ったらドアを開けに行くのが下っ端の役目である。だが、目の前には名前がいる。どうするべきかと固まるエレンは泣きたくなった。
「エレン、開けてらっしゃい」
「はい」
喜ばしいことに許可が出たのでエレンは扉を開けた。名前は一人で自室に戻ったようだ。玄関にいたのはリヴァイで、彼も彼で機嫌が悪いようである。とんだ貧乏くじだとエレンは泣きたくなった。リヴァイのコートを預かる。彼からは名前のとは違う香水の匂いがした。アルコールの匂いもする。
「名前は?」
「先ほどお部屋に……あ、でも……えーっと」
「はっきり言え」
「自分の私室にお戻りになられました…今日はそこでお休みになるようです」
リヴァイは無言で階段を登った。方角的に名前の部屋を訪問するらしい。今から修羅場か、とエレンは時計を確認した。もうゼロ時を回りそうだ。自分に何ができるわけでもないが、一応何かあった時のためにとエレンもリヴァイの後を追った。名前の部屋の前にはペトラがいた。
「あ、兵長。お疲れ様です」
「名前に用がある。どけ」
「それが……補佐官が絶対に入れるなと」
「ペトラ……どけ」
板挟みになったペトラにエレンは心底同情した。硬直したものの、動こうとはしないペトラにリヴァイはいい度胸だと褒めてやりたくなった。扉の前に立ちふさがるペトラの横にリヴァイは蹴るように足を置いた。鈍い音とペトラの小さな悲鳴が響く。かちゃり、と扉が開いた。
「見下げた……部下に暴力をふるうなんて最低」
「ああ、そうだな」
「ペトラ、ごめんなさい。もう休んで大丈夫よ」
化粧は落としたものの、未だドレスを着ている名前が嫌悪を全面に顔を出した。ペトラは一礼をして足早にその場を去る。エレンも名前に促されてその場を離れた。廊下の角で二人の足は止まる。ポケットから手鏡を取り出して二人の様子を伺うペトラにエレンはなんと用意周到なことかと呆れた。
「名前、俺はきちんと帰ってきた。そう目くじらを立てることはないだろう?」
リヴァイは名前の部屋の扉の横の壁に凭れ掛かりながら諭すように言う。その声は普段のリヴァイから想像もつかないほど甘く優しいもので、ペトラとエレンは思わず顔を見合わせた。
「あれはあの女が仕掛けてきたことだ。それでも俺は不義理をおかしていない」
「……」
「なにが気に食わない?お前の話を聞こう」
部屋から出てきた名前はリヴァイと向き合うように壁に凭れ掛かり腕を組む。その目には確かに怒りが浮かんでいた。リヴァイは名前の頬に手を伸ばし、拒否されないのを確認してからその頬を包んだ。リヴァイは名前の耳の側で機嫌をとるように囁いた。
「名前、何が気に食わない?」
「なにもかもよ。お貴族様のご遊戯はどう?楽しかった?さぞかし駆け引きもお上手だったんでしょうね?」
「体調を崩したときに偶々俺が近くにいて部屋まで送っただけだ。そのあとそいつの付き人を探すのに手間取っただけで、何もしていない」
リヴァイは名前としっかりと目を合わせる。名前の目はリヴァイの目から下に下り、彼の首筋をじっと見た。リヴァイはシャツについた口紅の跡をちらりと見る。
「……抱えた時についたものだ。香水も、口紅も」
「………」
「俺が見境なく女を抱くと思っているのか?俺はお前の旦那だ。言っておくが、一度お前と別れた後も、お前以外と関係を持ったことはない。持とうともおもわなかった」
「………」
「不快な想いをさせて悪かった。許せ。俺が悪い」
リヴァイが名前を抱き寄せる。名前も拒否はしなかった。そこで空気を読んだペトラが鏡を引っ込めると、ちゅっと可愛らしい音が聞こえてきた。
ペトラとエレンはひたすら気まずい空気に耐えた。足音を殺し、そっと階段を降りる。食堂で待機していたオルオとグンタとエルドは彼らの報告を心待ちにしているようだった。
「解決したわ……ただの痴話喧嘩ね。リヴァイ兵長が貴族の女性を介抱したらしいんだけど、まあ名前さんはその人と兵長とで何かあったんじゃないかと勘ぐっていたらしいわ」
「なんだ嫉妬か」
「まあ、一言でいえばそうね」
なんと迷惑な夫婦だと一同はため息をつく。今ごろ上は盛り上がっているのだとおもうとどっと疲れが増した気がした。以前の嫌悪具合が嘘のようにあの二人は距離が近くなっている。無意識にいちゃつき出す二人に耐性のない班員のメンタルダメージは増えるばかりだった。
翌朝、食事を取る二人の首に赤い痣を見つけたエレンの顔は沸騰しそうな程に赤く染まり上がった。