02

リヴァイの執務室として宛てがわれた部屋に、本部から書類を持っていくよう言われた名前は足を踏み入れた。埃一つ無い部屋は締め切られており、こもった空気はないものの息苦しさを感じる。リヴァイの机から見て右側を横にするように置かれたデスクに荷物を置き、窓を少しだけ開けた。入り込んだ風が名前の髪の毛を巻き上げた。

「エルヴィンからの書類、持ってきたんだけれど」
「ああ。お前、実験データは持っていったのか」
「まだだけど。ちゃんとした結果が出ない限り持って行っても意味がないでしょ」
「それを判断するのはお前ではなくエルヴィンだ」
「エルヴィンがまだいいと言ってた」

名前は技術班から上げられた巨人を捕獲するための器具についての書類に目を通した。改正案とある。試作品が出来上がりそうだと言っていたが本番までちゃんとした実験はできない。エレンを使いたいが、そうすると作戦に支障がでてしまう。ワイヤーの射出速度が書かれた計算式に目を細め、紅茶が飲みたくなった。

「俺のも頼む」
「潔癖症なら自分で淹れたほうがいいんじゃない」
「やれ」

名前が席を立つと間髪入れずにリヴァイがそう言った。空になったカップを受け取り給湯室で湯を沸かす。干したレモンの瓶を見つけ名前の目が輝いた。自分の紅茶にレモンを浮かべ、甘酸っぱい紅茶にほっとため息をつく。シュガーを少しだけ入れた紅茶をリヴァイの席においた。

「前回の調査の報告書は」
「トロスト区の報告書と一緒に出してくる班と別々に出してくる班があったから今まとめ直しているところ」
「明日までに提出しろ」
「分かっていますとも」

捕獲器具に対しての疑問点を付箋で貼り、リヴァイへ回した。次に名前は前回の壁外調査の報告書を取り出した。トロスト区内の戦闘記録と壁外での記録が混ざっているのを見てため息をつきたくなった。ハンジもミケも目を通すだけで上げてくるから困る。長距離索敵陣形とトロスト区の地図を引き出しから出し、どの班がどこの戦闘を担当していたのか確認した。今回の壁外調査の犠牲は少ないほうである。途中で撤退したことも大きいが、リヴァイ班の活躍も大きい。オルオの討伐数がまた伸びているのを見て名前は小さく星マークを付けた。

「チッ」
「……」
「チッ」
「うるさい」
「うっせーな」
「なにがよ」
「……」

地図を区分けし、戦闘記録をつける。奇行種は別データで纏め、過去のデータと照らしあわせて新しい情報に下線を引いた。ハンジの書きなぐったような文字を必死で解読する。モブリットの絵に顔を緩ませる名前は舌打ちを繰り返すリヴァイに顔を上げた。ついでに纏め終わった報告書をリヴァイの机の箱の中に入れた。

「なあ、名前よ」
「なに」
「お前今月末どうするんだ」
「……次回の壁外調査は今までとはわけが違うし……だから、そんな場合じゃないと、思う」
「そうか」

ズン、と重くなった空気を叩くようにリヴァイの執務室がノックされた。入れ、とリヴァイが許可を出すとグンタとエルドがリヴァイを呼びにきたらしく、忘れていたのかリヴァイは直ぐに行くと告げた。

「名前」
「……」

名前は立ち上がり、書類を片付けるリヴァイに彼の立体機動装置を渡した。また席に戻る名前の腕を掴んだリヴァイに、彼女は何事かと眉を顰める。ぴりっとした空気にエルドとグンタがつばを飲み込んだ。

「もう一度よく考えとけ」
「……」

ツン、と視線を逸らした名前にリヴァイは彼女の腕を乱暴に振り払う。機嫌の悪いリヴァイに冷や汗をかきながらグンタは名前を見た。彼女は掴まれた左腕を右手でさすっている。人類最強の握力で握られたら其れは痛いだろう。グンタが部屋を出て直ぐにハンジが廊下の反対側から歩いてくる。リヴァイを見つけたハンジは右手を上げた。

「リヴァイ。名前は?」
「お前の汚ェ報告書を読み取ろうと唸ってるだろうよ」
「君の執務室か。じゃあおじゃまさせてもらうよ」
「あいつに何の用だ」
「次回の壁外調査、一時的に名前が団長班に戻るでしょ?私の班も中央だから打ち合わせしておこうと思って」
「……オイ。お前そりゃ、俺は初耳だぞ」
「うっそやべ……」

あのアバズレめ、とリヴァイが低い声で唸る。急降下した機嫌で怒り狂う兵士長に、彼の優秀な班員達は刺激しないよう一歩距離をとった。ハンジも余計なことを口走ったと口を抑え、後ずさる。とても困った。だが、言わない名前も悪い。

「行くぞ」

怒り冷めやらぬリヴァイと訓練はしたくない。だが、逃げ出すわけにもいかない。腹をくくった二人は互いに決意を秘めた目でアイコンタクトを取り、敬愛する上司の後に続いた。その日の訓練で全身が傷だらけになったのは言うまでもなかった。



その日、食堂でエルドと朝食の準備をしていたエレンは用意された食器の数が一枚少ないことに首を傾げた。そうだ、今日は名前が本部に戻っているのだ。彼女は朝一番に出て行ったらしい。今日は兵長の機嫌がいいと良いなと思いながら焼きあがったパンをバケットに詰めていく。エルドから渡されたジャムを片手にエレンはエルドの様子を伺った。

「なんだ?」
「あの、聞いていいことかどうかわからないんですけど」
「答えられることなら答えるぞ」
「名前さんと団長が昔恋仲だったって噂本当ですか?」

エレンの質問にエルドは驚いたように目を見張った。思春期の少年にしてはそういった話題を出さない少年だと思っていたのだ。何かあれば駆逐、駆逐。彼の立場と経験からそれはおかしいことではないと思っていたが、歳相応に興味はあるらしい。

「まあ誰も恐ろしくて本人に聞けないから本当かどうかは分からないが、そういった噂があるのは確かだな。誰から聞いたんだ?」
「オルオさんから……」
「そうか」
「団長と名前さんが付き合っていたらしいとかしか聞いてないんですけどね」
「俺が聞いた話だと、エルヴィン団長が分隊長から団長になった時に破局したらしい。それはちょうどリヴァイ兵長が兵士長に任命されて、名前さんが団長班から兵士長補佐官に任命された頃と同じだから、まあ一悶着あったんじゃないか?俺の入団前の話だから知らん」
「……」
「ほら、さっさと準備しないと兵長の機嫌が悪くなるぞ」

コーンスープを皿に注ぎ終わったエルドがエプロンを外す。その皿をテーブルに運び終わったエレンは先輩方を呼ぶために食堂から出て行った。続々とリヴァイ班のメンバーが食堂に入り、席につく。疲れた顔のリヴァイが席についたところでみな食器に手を伸ばした。隈の一層酷いリヴァイは無言で食事をする。ペトラとオルオが寝ぐせがどうのこうのと騒ぐのをグンタがたしなめた。

「おい」
「は、はい」
「講義室のガラスが割れた。掃除しとけ」
「はい……」

あ、やっぱり割ったんだとエレンは思った。昨夜、いつも以上に名前とリヴァイの言い争いはひどかった。本部に戻る準備をする名前とリヴァイが怒鳴り合いの喧嘩を繰り広げるのをリヴァイ班とハンジ班がそっと見守る。いつも仲裁にはいるハンジは仮眠中だという。

「この喧嘩、ハンジさんが原因っていうか火種なんだけどなあ」
「え」
「名前さんが団長班に戻ることを兵長に隠していたらしい。それをつい言ってしまったらしくてな」
「まあ、ハンジさんが話したらこうなるよね」

リヴァイの存在が鬱陶しくなったらしい名前が無視を始めるとその態度に対して我慢のならないリヴァイがついに手を出した。手を出すと言っても殴るようなものでもなく、名前の注意をひくために彼女の腕を握っただけだ。怒りのままに握る彼の握力は名前の筋肉を潰す勢いで食い込む。振り払おうにも振り払えない名前が取ったのが、兵士長の身体に蹴りを入れるという暴行だった。蹴られたリヴァイが引き下がるわけもない。名前ごと机を蹴り飛ばすと床に書類が散乱した。

「……」
「もう無理だな」
「もともと止められるわけがないと思っていたけれどね」
「おい撤退だ」

目を剥くエレンとは対称に彼の先輩方は撤退を始める。ペトラに腕を引かれてその場を離れたエレンは心配そうに二人が火花を散らす部屋を振り返った。やっていることは子供の喧嘩だ。だが、鍛えあげられた二人の戦闘力でその喧嘩を行われると周りの被害は尋常ではなくなる。ガラスが割れるような音と名前の悲鳴が聞こえた気がしたエレンは顔を青ざめさせた。

「大丈夫なんですかね」
「大丈夫じゃないだろうねえ」
「そんな呑気な!」
「あのな、エレン。名前補佐官はエルヴィン団長至上主義だ。その彼女が団長に何度たしなめられても叱られても、兵長にはあの態度なんだ。俺達がどうにかできるわけないだろう」
「でも放っておくのはちょっと……」
「慣れるのが一番手っ取り早い。あの二人の相性は最悪なんだ。壁が壊される前からあれならば、改善は不可能だろう」

先輩方の言い分にエレンは解せぬと眉を八の字にした。どちらも尊敬する兵士だ。だからこそ円滑な関係でいてほしかった。エレンの言葉にペトラが笑う。

「調査前で二人共ストレスが溜まっているのよ。お互いでストレスを発散してるんだと思うわ」
「……ストレスの原因がお互いだという可能性は」
「プラスマイナスゼロじゃない」

何かがおかしいと思ったが、どうせエレンが何を提案した所で二人の関係は変わらないのだろう。未だ聞こえてくる怒声に耳を塞ぎ、各自が各自の部屋へと帰っていく。地下室の鍵はリヴァイが持っていることを思い出したエレンは憂鬱な気分で時間を潰すため食堂に向かい、朝餉の下拵えをした。



昨夜必要以上に丁寧に下拵えをした朝食は心なしかおいしい。皆の食べ終わった食器を片すと、割れた講義室のガラスを片付けるため箒と塵取を持ち部屋に向かう。廊下の壁に昨日までにはなかった穴を見つけて溜息をついた。

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