03

名前が旧本部に戻ってきたのは彼女が旧本部を出て四日目の夜だった。正面玄関のベルがなり、エレンやペトラ達が慌てて開けに行く。戻ってきた名前はいつものように淡々と礼をいい、厩に馬を置きにいきましょうか、というエレンからの申し出を退け、自分でやると言って行ってしまった。少し落ち込むエレンの肩にペトラは手を乗せた。

「名前さんの馬は、乗り手にしか懐かないから仕方ないわ。蹴っ飛ばされるのは嫌でしょう?名前さんもエレンに怪我をさせたくないから断ったのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。特に気性の荒い馬だしね」

名前といるときの彼女の馬はとても従順だ。それが暴れ馬になるなど想像できないエレンだったが、ペトラがそう言うならそうなのだろう。壁外調査では馬が命だ。馬なしでは巨人から逃げられない。だからこそ馬との信頼関係がなによりも大事なのだと訓練兵時代に習った。

「エレン、問題よ。壁外調査での移動中、戦闘を必要とするのは何に対してでしょうか」
「えっと、奇行種です」
「そう。名前さんは平地での立体機動に長けているから、前線に配置されて奇行種とよく交戦していらっしゃるんだけど、平地での立体機動は本来の性能を発揮しづらいうえ、馬から離れるし、隊列から孤立する可能性が高い。巨人を倒せたとしても馬が戻ってこなければ死んでしまうの」
「だからああやって愛情を注いでいるんですね」
「そうそう。名前さんの馬を見る目ってすごく優しいよね。初めてみたときびっくりしちゃった」

ペトラが苦笑いを浮かべてそういう。名前の目は冷たい印象をあたえやすい。けれども愛馬の世話をしている時だけは慈愛に満ち溢れているのだ。それに応えるように馬も名前には敬愛を示す。エレンとペトラの会話にオルオが参加した。

「その慈愛を一割でもいいから兵長に回してもらいたいもんだ」
「「……」」
「あ」

オルオの今の言葉は遠回しに、名前にとって馬のほうがリヴァイより価値が高いと行っているようなものだ。自らの失言に気がついたオルオは口をつぐむ。ペトラが呆れと怒りを混ぜたような瞳でオルオを睨んだ。だが、口には出さないものの思いは一緒だ。リヴァイと名前がもう少しだけでもいいから円滑に接せるようになって欲しい。

「エレン、そろそろ部屋に戻ったほうがいいぞ」
「はい、そうします」

兵長が探していた、とやってきたエルドが伝える。エレンは慌てて地下室に向かった。名前が来てただでさえ機嫌が悪くなっている可能性が高いのだ。なるべくすべてを穏便に済ませたい。案の定機嫌が悪そうに見えるリヴァイはエレンを部屋に追い立てて施錠した。地下から自分の部屋に戻ると軽装に着替えた名前が彼の部屋の前にいた。何事かと思ったがその手に持たれた書類を見て納得する。

「別にいま渡す必要もないんだけど」
「どうせ寝るにはまだ早い。貸せ」
「明後日までに判子を頂戴。最終確認でエルヴィンに渡すから」
「お前の判子は?」
「もう押してある」

名前はあくびをこらえた。それをリヴァイは見逃さない。シャワーを浴びて早く部屋で休むよう言った。だが、そこで一言多く言ってしまうのが、彼女に対してのリヴァイの欠点だ。汗まみれの身体で寝るような真似をするなと釘を差してしまう。眉を寄せる名前の目つきは嫌悪を含んでいた。

「あ、そうだ。明後日の昼ごろ、エルヴィンが来るって。エレンの様子を見たいそうよ」
「ああ」
「じゃあ、これで」

名前は義務的な礼をしてリヴァイの部屋を出て行った。彼女の足音が遠ざかる。ベッドに腰掛けたリヴァイは名前が持ってきた書類に目を通し始めた。次回の壁外調査の計画書だ。極秘資料だというそれをリヴァイは眉を寄せながら読む。リヴァイ班と名前は別行動のようだ。彼女はエルヴィンの班に入る。それが仮決定されたことを目の前の書類は示していた。名前の印もある。

「本当に女々しいやつだ」

リヴァイの独り言に反応する人物はいなかった。リヴァイは読み終えた書類をアタッシュケースの中に入れ、施錠する。寝付きが悪い夜になりそうだ。



平地で巨人を模した標的の項を刈り取る訓練をしながらエレンは前を飛ぶ名前の動きに翻弄されていた。リヴァイ班の前を飛ぶ彼女は模型の足をどんどん破壊していく。今までの訓練では回転はあるものの左右にしか動かなかった模型が下方面に沈んでいく。しかも名前が足を削った後に蹴り飛ばすせいでワイヤーを射出するタイミングが掴めないエレンはまだ討伐数が零だった。結局一体の項も削ぐことができずに午前の訓練は終了した。

「エレン、腰だけ捻ってワイヤーを出す練習をしなさい」
「上半身は前を向いたままってことですか?」
「そう。あなたの飛び方は直線的すぎる」

馬に水を飲ませながら名前はエレンにそう言う。鬣を撫でられた馬は名前の手をぺろぺろと舐めて甘く噛む。名前も馬の額をぐりぐりと押してじゃれる。それをみてエレンも自分の馬の首を撫でた。

「少し走ろうか」
「え?」
「エレンに言ったんじゃないから気にしないで」

名前は自分の馬に跨がり走って行ってしまった。残されたエレンはぽかんと口を開ける。午後の訓練までには戻ってくると思うが、監視対象の自分を放置していいのだろうか。案の定1人で突っ立っているエレンの元にリヴァイが来、名前はどうしたと聞かれてしまった。

「馬と一緒に走るそうです」
「あいつ……」

盛大な舌打ちをしたリヴァイにエレンの肩が跳ねる。エレンの怯えを感じ取ったらしい馬が耳をたれさせた。翌日、旧調査兵団本部にエルヴィンが訪ねてきたこと安心したエレンだったが、彼の先輩方は苦笑いを浮かべるだけだった。



エルヴィンが旧調査兵団本部に来ることになり、名前の機嫌は傍目からでも分かるほど上昇していた。リヴァイと一緒にいる時のような冷徹さも和らぎ、心からエルヴィンを信頼し、敬愛しているのが分かる。エルヴィンに宛てがわれた部屋で紅茶を飲む名前にハンジはにやにやと話しかけた。

「次回から正式に団長班らしいじゃないか。よかったね」
「ええ。リヴァイの小言から離れられるってだけでも有頂天って感じ。まあ、前とは違って団長班といっても待機だけど。黒い煙弾が上がってもそっちには行かないよ」
「あなたもリヴァイ班も前線にでないとなると不安がりそうだね」
「かもしれないけど、前線はベテランを並べるから大丈夫でしょう。今回は特に何が起こるかわからないからね……まあ、私は何があろうとエルヴィンの指示に従うだけよ」

廊下から足音が聞こえてくる。その足音はエルヴィンの執務室の前で止まった。扉が開き、エルヴィンとリヴァイ、ミケが入室する。名前の姿を見てリヴァイが眉を上げた。だがいつもの様なニヒルな態度はお互いにとらない。

「相変わらず仲が良さそうでなによりだよ」
「ええ。エルヴィン、全くあなたのお陰でね」
「名前。待たせてしまったようですまないね。リヴァイも来たことだし、始めようか」

エレンの実験の結果と次回の壁外調査の目的から確認を始め、ウォールマリアのなかの巨大樹に印をつけていく。恐らく、カラネス区から出発し、二つの街を超えたあたりの森がヒットポイントになるだろう。荷馬車の数の調整、班員の調整を確認したのち、敵が出た場合どうやっておびき寄せるか、が議題となった。

「森まで陣全体でおびき寄せて、中列だけ、リヴァイ班だけが進むようにしてポイントまで導くのが妥当だろうね。奴らの目的はエレンだ」
「応戦は?」
「リヴァイ班の護衛班を組もう」
「承知した。最低でも四班は用意してくれ。班員のセレクトは名前に任せる」

リヴァイに一任された名前は小さく頷いた。敵は巨人の体をまとった人間だと思われる。ならば、奇行種として判断されるだろう。普段、中央初列に配置される名前は黒い煙弾が上がるとそちらにむかっていた。だが、今回は何があっても待機、だ。敵は中にいるかもしれない。そう考えた時、エルヴィンを絶対に裏切らず、自由に動ける名前が側にいるのが最善だった。名前が心配そうにエルヴィンを見る。

「そう心配しなくても大丈夫だ。身内に命を狙われることを警戒するのは初めてじゃないよ」
「そうだね」

名前の言葉の冷たさが増した。リヴァイがふい、と顔を背ける。エルヴィンに悪気はないのだろうが、それは名前にとってもリヴァイにとっても地雷だった。ハンジとミケは互いに目配せをする。その後の会議が終了し、ミケと名前は彼女の部屋でリヴァイ護衛班の人員を考えることになった。

「リヴァイ班の後ろに三班欲しいわね」
「俺の分隊で、新兵がいない班は五班しかないぞ」
「本当はハンジの分隊からも欲しいのだけれど、彼らは捕獲機に回されてしまったから」

名前はミケの分隊のリストとにらめっこをする。彼女の戸棚からクッキーを拝借したミケはソファーに腰掛けてそれを口に入れた。甘い。

「名前、リヴァイの匂いがするな」
「……」

名前は顔を上げなかった。付箋をぺたぺたと貼り、候補を絞っていく。班の新編成をしたいところだが、今から変えるのは不安が大きいだろう。ミケがクッキーを噛み砕く音と名前がペンを回す音が小さな空間で響いていた。

「名前」
「今度はなに?」
「まだエルヴィンのことが好きなのか?」

名前が回していたペンが止まった。名前が顔を上げるとミケが真面目な顔で答えを待っている。てっきり茶化しているのかと思ったのだ。だが、ミケは真剣だった。名前が団長班に戻るということは、リヴァイの補佐官から外れるということだ。五年前から、いくら名前が団長班への復帰を願っても却下していたエルヴィンが、主体的にそれを進めた。ミケにはそれが引っかかっている。

「私とエルヴィンはもう終わったの。確かに彼のことは尊敬しているし、信頼もしているけど、あなたが疑っているようなことは一切ない」
「そうか」
「あと、もう一つ誤解しているようだから言っておくけれど、私がリヴァイを毛嫌いしている理由はエルヴィンの命を狙っていたからでも、プライドが許さなかったからでもない。もちろん最初はそれが原因で厭忌していたけれど、今は違う」
「ほう。ならば何故だ?」
「嫌いってわけじゃないの。馬が合わないの。あの人と私じゃね。お互い分かり合ったと思った上で信じられないのだから仕方ないでしょ」

名前は少しさびしそうにそう言った。エルヴィンに引きぬかれて調査兵団に入団したリヴァイは、確かにエルヴィンの命を狙っていた。それに気がついていた名前はリヴァイを毛嫌いし、エルヴィンに近づけようとしなかった。そこから二人の仲の悪さが始まったと言ってもいい。エルヴィンとリヴァイが和解してもなお、名前はリヴァイを認めようとしなかった。だからこそ、当時の団長であったキースは名前をリヴァイの補佐官にしたのだ。調査兵団で一番リヴァイを認めていなかった名前が折れれば、他のものも納得するだろう、と。

「あまりエルヴィンを困らせるなよ」
「わかっている」

再びペンを回し、班を決める名前にミケはそっと息を吐いた。名前が泣きながらミケにすがったあの日からもう五年。リヴァイの視点に立たなくても、名前はまだエルヴィンが好きなのだろうと思ってしまう。彼の心境を考え、重い気分になった。

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