01

歌舞伎町は欲望が渦巻く街と呼ばれている。銀時は自らの欲望と賭けに負け、下着一枚で街に放り出されていた。
幸いなことに今夜は比較的暑い。熱帯夜とまではいかないが、それなりの温度のため銀時が身体的に寒さを感じることはなかった。身体的には、寒くないが、心理的には寒い。強いて言えば財布の中身も寒かった。
助けを求めるように周囲を見渡すも、待ちゆく人は関わりたくないとばかりに目を合わせない。
このまま下着姿だと通報されかねないと危機感をつのらせた銀時の視界に、街に溶け込むような黒いワンピースを着た女が映った。
彼女の姿を見つけた銀時の口角は自然と釣り上がり、足早にその女に近づいた。
「名前ちゃーん」
後ろから声をかけ、肩を叩く。振り向いた名前は下着一枚の銀時の姿に眉をしかめた。
「いつから変質者にジョブチェンジしたの、銀時」
「好きでこんな格好してるんじゃねー。見て察してくれ、また負けたんだよ」
「引き際をわきまえないから痛い目をみるんでしょ。学習しないね」
「いつもボロ負けしているお前に言われたくないよ。つか、金貸してくれね?」
名前も賭場負け組の常連である。銀時は奇妙な連帯感を持っていたが、名前からしてみれば一括りにされるのは御免だった。
「嫌よ。あなたに貸したお金が返ってきた試しはないじゃない」
「お前稼いでいるだろ。社会貢献だと思って恵まれない者に分け与えてくれよ」
「なんで私が稼いだお金を他人にあげなきゃいけないの。負け組は汗を垂らして働きなさい」
名前は袖に縋り付く銀時の手を払った。
それでも諦めない銀時は名前の肩に腕を回し、顔を寄せた。
「噂になっているぜ名前ちゃん。最近輪にかけて羽振りがいいって……少しでいいからさ、ラーメン一杯でいいからさ。ほら銀さん寒いんだよ。身体の中から温まりたいの。ね?一杯だけでいいからさ」
銀時の執念に辟易したのか、名前は諦めたように頷いた。
「まずその格好をなんとかしてくれない?隣歩きたくないんだけど」
「じゃあ事務所に寄ってくれ」
銀時は名前の肩に回していた腕をほどき、代わりに彼女の腰に手を回した。
名前からは洗剤の香りがする。坂田家の安い柔軟剤の香りより、よっぽどいい匂いだった。

坂田探偵事務所は歩いて十分ほどの所にあった。そろそろ日付も変わる頃だというのに道沿いのビルの窓からは明かりが漏れている。
坂田探偵事務所の入っているビルも一階はスナックのため、ネオンに彩られた看板が存在感を放っていた。
「私ここで待っているわ」
ビルの前で名前は言った。銀時の手を腰から払い、ビルを見上げた。
「あ、そう?逃げるなよ?」
念押しをする銀時を追い払い、名前は電柱に背をもたらせた。
ビルの二階の窓には坂田探偵事務所とカッティングシートが貼られている。カーテンをしていないため、事務所に入った銀時が室内を歩き回る姿が外から丸見えだった。
電気をつけないのは寝ている神楽に配慮してのことだろう。

数分と立たずに銀時は階段を降りてきた。珍しいスーツ姿であるが、手ぶらである。ポケットも膨らんでいる様子がないことから財布は置いてきたようだった。
「なんでスーツ?」
「私服、洗濯してなかったんだよ……ったく新八のやつ仕事サボりやがって……」
糊のきいたシャツは新品のものを出してきたらしい。生活能力の著しく低い男はアルバイトの新八に家事のほとんどを任せていた。
ビルの二台しか置けない駐輪場に止めてあった原チャリに鍵を刺した銀時は、ハンドルにかけっぱなしだったヘルメットを名前に投げ渡した。
「幾松んとこ行くぞ」
素直にヘルメットをかぶった名前は原チャリの荷台に跨がり、銀時の腰に腕を回した。
「しっかり捕まっとけよー」
ゴーグルをした銀時の活気のない声に答えるように名前は腕に力を込めた。日頃の恨みも込めて内蔵を絞り出すように力を入れる。
銀時にとっては女の細腕ごとき大した痛みはないのか知らぬ顔で新宿の夜道を走り出した。

幾松の営む北斗心軒は新宿の外れにあるラーメン屋である。数年前からある男の悲願が叶い、そのメニューにそばが増えた。
銀時の運転する原チャリから降りた名前は、ヘルメットを脇に抱えたまま暖簾をくぐった。
「いらっしゃい!」
「二人で」
名前は人差し指と薬指を立ててみせた。
名前の後ろから姿を見せた銀時に、幾松はカウンター席を示した。
「いやー銀さんお腹ペコペコだわ」
壁にはられたメニューを流し読みし、銀時は何を食べようかと思案する。どうせ名前の奢りだ。遠慮するつもりは甚だなかった。
「ラーメン半チャーハンセットと、あとビール大で……お前も飲む?」
「いらない。私ラーメン一つ」
「俺はそばで」
いるはずのない人物の声に名前と銀時は後方を振り向いた。
二人の後ろに立っていたのは長髪を項で結んだ桂だった。店に入った桂は勝手に暖簾を下げ、扉を閉めた。
「ちょっと何しているんだい」
ビールを銀時の前に置いた幾松は桂に文句を言った。
「幾松殿、俺に熱燗をくれ」
銀時の反対側、名前の隣に腰をおろした桂は幾松に指を一本立てた。
「……はいよ」
幾松の返答に満足そうにうなずいた桂は、自身の座る椅子を引きずって名前に寄せた。縮まる距離をなお埋めようと顔を近づける桂を胡乱な目で見つめる名前と銀時に、小声の桂は内緒話を始めた。
「千束の噂話を知っているか?」
千束三丁目と千束四丁目はかつて吉原と呼ばれた遊郭があった一帯だ。現在もその名残を受けて巨大な風俗街となっている。
「なんだヅラ。お前千束の常連だったのか」
ビールの泡をつけた銀時の口元が弧を描き、桂を誂うように歪んだ。千束はソープの町だ。特定の恋人をもっていない桂ならば誰に遠慮することもないだろうと笑う銀時に桂の拳が飛んだ。
その手をはたき落としたのは名前だった。
「私を挟んで喧嘩するのはやめてくれない?」
「そもそも店で喧嘩はやめてほしいね」
名前と銀時の前に湯気が立つラーメンが置かれた。名前は遠慮することなく、割り箸を手に取り、器に手を付けた。
「で、千束がどうしたって……」
銀時の言葉は店の扉が乱暴に蹴り倒された音で遮られた。
何事かと振り返る三人は入り口を埋める男たちの姿に、反射的に固まった。
箸を持ったまま固まる名前の目は、黒光りする銃器に釘付けになった。ゆっくりとその銃口が名前を捉え、引き金に指がかかった。
「伏せろ……ッ!」
複数のマシンガンによる銃声が鼓膜を叩くかのように響き渡る。薬莢が床に落ちる甲高い音が悲鳴のように尾をひいた。
とっさに名前の襟首を掴んだ銀時は近くにあった机を蹴り倒し、その隙間に二人分の体を滑り込ませた。視界の隅ではカウンターを乗り越えた桂が幾松を銃弾から庇う姿が見えた。
桂は床に落ちていた箸入れの箱を壁に投げつけ、照明のスイッチを落とした。
銃声が止み、沈黙が降りる。
煙と埃で薄暗い店内の中、動く影を見つけた銀時は折れた椅子を片手にその影に殴りかかった。
「……ッ!?」
同時にカウンターの奥から姿を表した桂が熱湯をふりかける。
「熱ッツ!!ヅラお前ふざけんなよ!」
聞きお覚えのない男たちの悲鳴に混じり、飛沫がかかったらしい銀時の悲鳴が聞こえた。

開け放たれた扉から入る空気によって埃が晴れていく。
物音が聞こえなくなったことを確認した名前がテーブルの影から顔をだすと、男たちを足蹴りにする銀時と桂の無事が確認できた。
「「「「…………」」」」
散々たる店の現状に誰もが青褪めた。

prev next
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -