うわさのあの人


一刻ほど経って胡蝶が屋敷に訪れた頃には、名前は苦しそうにしながらも俺の腕の中で眠ることが出来ていた。起こさないように起き上がって出迎えるために上がり口まで向かえば、笑みをたたえながらもどこか心配げな表情を浮かべる胡蝶の姿。それと、その後ろには呼んでもいない面倒な男が何故か我が物顔で立っていたのだが、触れるのも面倒なので見ないふりをした。

「悪ィな、胡蝶」
「名前さんの様子はいかがですか?」
「今は寝てるが、熱は全然下がってねェ」
「そうですか。では一度見させてくださいね」
「おー、奥の部屋だァ。……てめぇは待て、冨岡ァ」

胡蝶を招き入れれば、何を考えているのか自然な流れで冨岡まで一緒に上がろうとしやがるので腕を掴んで引き留める。
こいつはなにしにきやがった。そもそもなんでここにいる。なんだとでも言いたげな冨岡に無用な苛立ちが募るが、一瞬の思案の後冨岡は何かに気づいた様子で頷いた。

「すまない、不死川。邪魔をする」
「待て待て邪魔すんじゃねェ!」

俺が言ってんのは挨拶の有り無しじゃねェ!!怒りのあまりぶん殴りたい衝動に駆られ、こめかみにびきびきと青筋が浮き立つのがわかったが、騒がしくして名前を起こすわけにはいかない。ぐっと奥歯を噛み締め堪えるが、冨岡はそんなことも何処吹く風で訳が分からないといった表情を浮かべている。ついに腹の底から地を這うような溜め息が零れた。

「てめぇはなんでここにいる……」
「蝶屋敷にたまたま居合わせてな。不死川の伴侶が重篤と聞いて、いてもたってもいられず胡蝶に同行させてもらった」
「っ、まだ伴侶じゃねェし、縁起でもねェこと言ってんじゃねェ!!」

なんなんだこいつは。人を苛立たせる天賦の才でもあるのか。なにかまずかったか、と首を傾げる冨岡に酷い頭痛に見舞われる。

「いいから帰れやァ…」
「だが不死川の伴侶に挨拶を、」

未だにごちゃごちゃと世迷言を垂れる冨岡の隊服の襟ぐりを引っ掴んで、上がり口の外へ放り投げた。これ以上関われば乱闘騒ぎを起こしそうな気がしてならなかった。ぽかんと固まる冨岡をそのままに踵を返して胡蝶が待つ名前の部屋へ急ぐ。
挨拶だなんだと言う冨岡に、名前を会わせられるわけがなかった。ただでさえ可愛らしく愛嬌がある名前が、今や熱のせいで壮絶なまでの色香を放っているのだ。いくらそういったことに疎そうな冨岡でも、目に毒であることは確かだし万が一名前に対して変な気を起こされでもすれば、俺は今度こそ同僚に真剣を抜いてしまうかもしれない。
どうにも腹の虫がおさまらないまま襖を開けると、こちらはこちらで怒りを含みながらにっこり笑う胡蝶が俺を見据えた。

「不死川さん、騒がしいです。名前さんが起きてしまいますよ」
「胡蝶てめぇ…、ここに冨岡を連れてくるたァどういう了見だァ?」
「連れてきたわけじゃありません。着いてきたんです、勝手に」
「ハァァ………。それで、名前は?」

もういい。冨岡のことはこの際忘れよう。流石に冨岡でも追い返されて尚勝手に踏み込んでくるような無粋な真似はしないだろう。幾分か顔色も良くなった名前を目に留めて、僅かに安堵しながら胡蝶の横に胡座をかく。

「風病でしょう。ここ数日で一気に寒くなりましたし、慣れない生活で心労もあったでしょうしね。解熱薬を飲ませましたので、数日安静にしていれば時期に良くなると思いますよ」
「…そうかィ。悪かったな、呼びつけて」
「名前さんの様子は私も気になっていましたので。不死川さん、今日も任務がおありですよね?」
「あ?あァ…」
「きよを後ほど寄越します。名前さんが目を覚ました時ひとりでは心細いでしょうし、不死川さんも気が気じゃないかと思いますので」
「おう、頼むわァ」

胡蝶の言うとおりだった。本当なら名前の具合が良くなるまではつきっきりでいたいのだが、鬼殺の任務は今日も明日もある。心苦しいが致し方の無いことではあるので、そんな時に歳の近い女が傍にいれば名前も多少は安心するだろう。無論、俺としても鬼を早々に斬り捨てて一刻も早く飛んで帰ってくる心づもりではあるのだが。

「それでは、名前さんが良くなりましたらまた改めて顔を見に寄ります」
「あァ、すまねぇなァ、胡蝶」
「…一応言っておきますが、不死川さん?くれぐれも名前さんの身体に負荷をかけるような真似はしないでくださいね」
「………わかってらァ…」

釘を刺され苦虫を噛み潰したような顔になってしまった俺を、胡蝶は面白そうに笑いながら屋敷を後にしていった。言われずともそんなことは百も承知で、病人に手を出すつもりは毛頭ない。
また胡蝶が訪れる前と同じようにごろりと畳に横になって、汗で張り付いた髪を避けてやれば、名前は薄らと目を開けた。

「さねみさん…?」
「悪ィ、起こしたか。具合はどうだァ?」
「ちょっと、寒気がします…」
「薬が効けば楽になる。もうちょっとの辛抱だなァ」
「はい……、っえ、実弥さん…?」

布団を捲って身体を滑り込ませ、直接熱を持った身体を抱き込めば、名前はあまり自由が効かない中で小さく抵抗を見せる。

「ん?こっちのがあったけェだろォ?」
「で、でも…汗、かいてるので…っ」
「んなもん気にしねェよ」
「う、私が気にしますよぉ…!」
「いいから大人しくしとけェ」

ぽんぽんと背中を軽く叩いてやれば、やっぱり身体が辛いのか名前は抵抗を止めた。けれど少しでも距離を開けようと背を仰け反らせるので、微笑を漏らしながら細い腰に腕を回してぐっと引き寄せる。途端に名前の甘い香りが濃くなって、これは失敗したなと頭の片隅で思いながらも離れる気は微塵も起きなかった。

「実弥さん……あったかい…」
「そりゃよかったなァ」
「…あの、さっきの…治ったら、またしてくれますか…?」
「ん?」
「その、…えっと、…口の中、ぺろって、…する、の…を…」
「は……?…ッ、〜〜〜!」

思わず天を仰ぎ見たくなった。いやこいつマジか、と呆然とさえしてしまう。
つか言い方!!!クッソ可愛いなァ!!!?ぺろってなんだ、てめ、んな可愛い音じゃ済まねえことしてやろうかァ!!?病人で良かったなァ!!!クソ、覚えてろォ!治ったら咥内どころか全身余すことなく舐めまわしてやるからなァ!!!!!
とまあ脳内は荒れに荒れ狂って、名前のクソ可愛さに悶えまくる始末で。そんな興奮のあまり憤死寸前の俺なんざ知る由もない名前は、うるうると熱で蕩けた目で見るものだから、それ以上直視できず目元を手で覆った。

「だ、だめ……ですか…?」
「ハァ…、駄目じゃねェ…。駄目じゃねェが、そういうのあんま言うなァ…」
「えっ…」
「可愛すぎて我慢が効かなくなるだろォが」
「がまん…?」
「あー、こっちの話だ、気にすんなァ…。……ちゃんと治ったら、な」
「えへへ、はやく、なおさなきゃ」
「ン゛ン゛……そうだなァ」

あー可愛い、クソ可愛すぎる。ぎゅうっと抱き締める腕に力を込めれば、名前は嬉しそうに笑って暫くすると再び眠りについた。むらむらと欲が膨らんでいくのをなんとか抑えながら寝顔を眺めているうちに、俺もいつの間にやらしあわせな微睡みに落ちていったのだった。


***


日が傾き始めた頃、胡蝶の言いつけによって風柱邸に辿り着いたきよは、上がり口の前でおろおろと所在なく辺りを見渡していた。それもそのはず、到着してすぐに何度か中に呼びかけてみたものの、なんの反応も返ってこないのだ。もう既に風柱様は任務に出かけてしまったのだろうかと、ほっとするような困ってしまうような、そんな複雑な心境でうろうろとその場を彷徨う。胡蝶からは万が一返事がなければそのまま上がらせてもらえばいいと言われてはいるものの、きよとしてはあの泣く子も黙るそれはそれは怖い風柱の屋敷に許可なく上がるのは恐怖でしかなく躊躇うのも致し方のないことだった。しかしながらこのまま帰るわけにもいかないので、意を決して再び声をかけながら中へ入らせてもらう。
そうして広い屋敷内を迷いながらも漸く名前の自室に辿り着いたきよの目に飛び込んできた光景は、まるで信じ難いものだった。隊内で散々な噂が流れる風柱が、見目麗しい女性をそれはもう心底大事そうに抱き寄せて、とてもしあわせそうな顔ですやすやと眠りこけていたのだ。きよは目を疑った。これは本当にあの風柱なのかと。見ているこちらまでしあわせな気持ちになってしまうような、そんな光景だった。思わずそれに見入ってしまっていたきよは、不死川が気配に気付いて目を開けたことによって顔をさっと青くした。

「あっ、す、すすすみません風柱様…!蝶屋敷のきよと申します。お返事がなかったので勝手に上がってしまいました!」
「あァ…悪かったな、出迎えもしねェで。寝ちまってたのかァ…」

可哀想なほどに萎縮し震えるきよを一瞥した不死川は、ふっと息を漏らして慈愛に満ちた表情ですやすや眠る名前を撫でた。きよはと言えば、まるで噂とは違う不死川に戸惑うばかりで、おろおろと視線を忙しなく動かしている。

「そろそろ出るわァ。きよ、だったか?」
「はっ、はい!」
「すまねェが、名前を頼む。なるべく早く戻るようにはするが、こいつが起きたら世話焼いてやってくれェ」
「も、もちろんです…!」

不死川は目を細めて穏やかに笑って、すれ違いざまにきよの小さな頭にぽんと手を置いた。それにぱちぱちと瞬きを繰り返したのはきよで、けれども不死川はすぐに羽織りを纏い日輪刀を腰に差すと、そのまま屋敷を出ていってしまった。本当に今のは一体誰だったのかと、きよは暫く呆けたままその場を動けずにいた。

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