揺蕩う面影を追って


ぽかぽかと暖かな陽気に包まれる昼下がり、私はひとり久方ぶりに吉原の大門をくぐった。実弥さんは非番だけれど宇髄様に呼ばれているとかで、朝餉を食べるなりげんなりしながら屋敷を出られたので、それを見送るや否や、これ幸いと私も素早く外行きの着物に着替えてこうしてこっそり吉原に出向いてきた。なんだか隠し事をしているようで胸がどきどきとするけれど、それもこれも実弥さんに新しくできた甘味処のおはぎをご馳走するためなのだ。
数日前にさねまるさんが届けてくれた鯉夏姐さんからの文。そこには最近吉原の大門通りに新しい甘味処が開かれたと綴られており、それが大層美味しいと吉原中で有名になったのだとか。なかでもふっくらもっちりとした餅米に、自家製のつぶ餡をたっぷりまぶしたおはぎがそれはそれは頬が落ちるほど絶品らしい。おはぎに目がない実弥さんもきっと喜んでくれるに違いない。実弥さんの幼く綻ぶ顔が早く見たい、なんて思いながら弾む足で噂の甘味処に急いだ。

「わ、すごい人…!」

昼中だと言うのに大門通りは大賑わいで、それもある一角に特に人集りができている。甘味ののぼりがでているから、そこが噂の甘味処なのだろう。これはおはぎを手に入れるまでかなり時間がかかりそうだと思いながらも列に並ぶ。実弥さんのためだもの、なんのこれしき!そんな謎の気合いを入れて、ゆっくりと進む列に身を任せた。


***


それから暫くして漸く店の暖簾をくぐることができた私は、硝子棚に並ぶ和菓子に目を奪われた。どれも細かい細工がされていて、見ているだけでも心が躍る。食べるのがもったいなくなってしまうほど、並んでいる和菓子は煌びやかに映った。けれど今日の目的はこの店一押しのおはぎであるので、財布を握り締めながら店主に声をかける。

「あの、おはぎを、」
「すんません、おはぎを、」

それはほぼ同時だった。私の声とぴったり重なった低めで少し棘のある声の主は、すぐ隣で同じく目をまるくして固まっていた。はっとして慌ててかぶりを振り、手のひらを上に向けて先を促す。

「すみません!お、お先どうぞ!」
「え、あ……あー、すんません、ありがとうございます」
「いえいえ」

ぺこりと小さく頭を下げた男性が、店主におはぎを五つ頼んだ。上背があって、横を刈り上げている不思議な髪型のその人は一見強面だけれど、五つも頼むくらいなのだから相当おはぎ好きなんだろう。なんだか実弥さんみたいだな、なんて思っていれば、店主から受け取った包を片手に再び会釈をしながら店を出ていった。見かけによらずとても律儀な方のようで、心がほんのりぽかぽかとした。

「店主さん、おはぎを三つ包んでいただけますか?」
「悪いね、お嬢ちゃん。二つしか残ってないんだ、二つでいいかい?」
「あら、そうなのですね。大丈夫です、では二つお願いします」

実弥さんに二つ、私は一つ戴こうかと思っていたけれど無いものは仕方がない。さすが評判なだけあって、すぐに売り切れになってしまうらしいし、二つだけでも買えて良かった。せっかくだし実弥さんに二つとも食べてもらおうと、お代を渡して引き換えにおはぎの包を受け取った。るんるんと浮き足立つような気分で店を出て、ぴたりと足を止めた。店の軒先、行列から少し外れたところに先ほどの男性が立っていて、しっかり目が合ってしまったのだ。

「…ちゃんと、買えました?」
「えっ?」
「いや、俺が五つも頼んじまったから、もしかしてあんたが買えなかったんじゃねぇかって…」

ほんのり顔を赤らめながら、ぼそぼそと言い淀むその方に、思わずぶんぶんと首を振る。

「いえ、二つも買えましたので充分です!お気になさらないでください!」
「…そう、か?……あー、良かったら、二つ、持って帰ってください。五つあってもひとりじゃ食いきれねぇし…」
「えっ!?そんな…!せっかくあなたが買われたんですから、受け取れません!」

包の中から個包装されたおはぎを二つ取り出して、ずいと目の前に突き出されるものだから、それこそもげるほどに首を横に振るけれど、その人も負けじとなかなか手を引っ込めない。結局根負けしたのは私で、おずおずと二つのおはぎを受け取ってしまって、代わりにお金だけでも払おうと財布を取り出したけれど見事にそれさえ拒否されてしまった。

「あんた、家族がいるんだろ?」
「……え?」
「なんとなくそんな気がした」
「っすごい、当たりです…!大切な人が、おはぎが大好きなので、こっそり買いにきちゃいました」

そう言えば、彼は少し目をまるくして、それから嬉しそうに笑った。その笑顔はどこか実弥さんに似ていて、目がなくなって幼さが強調される、そんな優しい笑顔だった。そう言えばと改めて向き合って気付く。大きな三白眼と、右耳の付け根から頬を横切る傷痕。見れば見るほど実弥さんによく似ていて、そんなことを思っていれば彼は頭をかきながらぽつりと話し出した。

「俺の大事な人も、おはぎが昔っから好きなんだ」
「それは奇遇ですね!それじゃああなたも?」
「俺はそこまですげぇ好きってわけじゃねぇけど、見かけたら懐かしくてつい多めに買っちまってた」
「ふふ、とても大切な方なんですね」
「へへっ、まぁ、な…。けど暫く会えてねぇんだ。今も探してる…」

切なく下げられた短い眉に、私まで心臓がきゅうっと締め付けられた。それだけこの方にとってその人はとても大切なんだろう。けれどどんな事情があるにしろ会えないのはやっぱり寂しいものだ。私ももし実弥さんと突然離れ離れになってしまったら、見つ出すまでいつまでも探し続けるだろうから。

「はやく、会えるといいですね…」
「……ん、そうだな」
「でもきっと会えます」

そうして気休めのような言葉を無責任にかけてしまったことに気付いてはっと口を噤めば、彼は困ったように破顔した。けれど彼は必ず尋ね人に会える、なんだかそんな気がしたので、つい口に出してしまったのだ。慌てて取り繕うように言葉を並べる。どうしてかこの人を悲しませたくなかった。実弥さんによく似た、あの笑顔でいて欲しかった。

「えぇっと…、私の勘、当たるんです!」
「は?」
「今日はなんとなく八百屋さんで大安売りしていそうな気がする!そう思って行くと本当に当たってたりするんです!」
「お、おう…?」
「あとは、えーっと、……」
「………っはは!」

あ、笑った。とってもおかしそうに声を出して笑う目の前の人に、堪らなく嬉しくなってしまう。やっぱりその笑顔は実弥さんにそっくりなのだ。ああ、早く実弥さんに会いたい。そんな気持ちが芽生えて、ほんの少し胸が切なくなった。

「あんた、変な奴だな」
「そ、そうでしょうか…?」
「久しぶりにこんな笑っちまった。じゃ、俺はそろそろ行かねーと」
「あっ、はい!お気を付けて。おはぎ、ありがとうございました!」

ぺこりとお互い軽く頭を下げて、そうしてその方は大門通りの人混みの中へ消えていった。
あ、お名前だけでもお伺いしておくべきだったわ。もう私ったら、気が回らないんだから。そんな心残りを覚えながら、けれど穏やかで暖かい気持ちで、おはぎの包を抱え帰路へと着いたのだった。


***


「名前……てめぇ……」

それほど時間が経っていないから実弥さんはまだ戻られていないでしょう。なんて考えていた私は、上がり口で般若のようなとても恐ろしい表情を浮かべた実弥さんを目に入れた途端、口から小さく悲鳴を上げて飛び上がった。まさか実弥さんのほうが先に戻られているとは。言い訳もなにも考えていなかったので、その場でぴしりと固まって蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。

「あっ、えっと……その、」
「勝手にどこ行ってやがったァ……」
「ひぇ、……よ、吉原に…」
「吉原ァ?」
「おはぎを、買いに…」

怖い、もの凄く怖いです。相当怒っているらしい実弥さんの顔を直視できず、刹那にゅっと伸びてきた手に思わずぎゅうっと目を瞑れば。

「っ、あ、…え…?」

ふわりと実弥さんの香りと温かさに包まれ、次いでぎゅうぎゅうと苦しいくらいに抱き竦められて、てっきりお説教をされると思っていた私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。肩口には実弥さんの顔が埋められていて、安堵したように長く深い息が吐き出される。

「ハァァ………。屋敷を出るなとは言ってねェ。昼時なら町に下りても構わねェ。けど…、勝手にいなくなんなァ…」
「実弥、さん…」

いつもよりも僅かに弱々しい実弥さんの声に、私は大切なことを見落としていたと気付かされた。実弥さんのため、実弥さんに喜んでもらうため、それだけを考えるばかりに、余計な心配をかけてしまったのだ。ずきずきと胸の奥が痛んで、広く逞しい背中にそっと腕を回す。

「実弥さん、ごめんなさい。ご心配をおかけしました。次からは実弥さんに伝えてからにしますね」
「あァ…。これ、俺のためかァ?」
「はい、美味しいおはぎの噂を鯉夏姐さんに聞いたもので。実弥さんの驚く顔が見たかったんですけど、だめですね…失敗しちゃいました…」
「ふ、失敗はしてねぇだろォ。おまえがいなくてクソ驚いたわァ」
「っう、うぅ……すみません……」

もう気にすんな。おまえがちゃんと帰ってきたからそれでいい。
そんなことを私が大好きな笑顔で言われてしまえば、心臓がきゅうきゅうと音を立てて堪らなくなる。なんだか甘えている大きな犬のようにも思えて、実弥さんの存外ふわふわな紫水晶のような髪を、実弥さんがして下さるようにぽんぽんと撫ぜてみた。

「、あァ…?」
「あ、なんだか実弥さんが可愛らしくて…」
「ってめ、…ハァ………。好きにしろォ…」

呆れたように、けれどちっとも嫌じゃない顔をしてされるがままになる実弥さんを一頻り撫でてみると、痺れを切らした実弥さんに口吸いをされて撫でる手は中断させられた。何度も啄まれて頭の中がとろんとした頃、実弥さんは穏やかな笑顔で言う。

「ほら、せっかくならおはぎ食おうぜェ」
「…はい、そうですね!」
「ん、四つも買えたのかァ」
「あ、そうでした…!甘味処でおはぎを二つ譲ってくださった方がいたんです。買いすぎてしまったとかで…。笑顔が実弥さんに似ている方でした」
「……へェ、そりゃァよかったなァ」
「お名前をお伺いし忘れてしまったんですけど、また会えたらお礼をしたいなぁって………、実弥さん?」

ふと会話が不自然に途切れたことに首を傾げる。実弥さんを窺えば、おはぎを見つめてなにか考え込んでいるようで。呼び掛けにはっとして、いつもの表情に戻った実弥さんはぱくりとおはぎにかぶりついた。

「……うめェ」
「ほんとうですか?わー、よかったです!」
「ありがとなァ、名前」
「いえ、私も食べようっと。あ、そうだ、お茶を淹れてきますね!」
「おう」

ぱたぱたと厨へ急ぐ。その後ろで実弥さんが物憂げに空を眺めていたことなんて、私はちっとも知らなかった───。

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