縫製係の受難


「ご、ごめんくださいぃ…」

それは昼中、不要になった手拭いで木張りの廊下を拭き掃除していた時だった。上がり口の方から声が聞こえてきて、慌てて手拭いを木桶の中に入れて駆け足で出迎えに行く。
実弥さんは遠方での任務からまだ戻って来ていないけれど、昼中には戻れそうだとさねまるさんが文を咥えて来たからそろそろ戻る頃だろう。ぱたぱたと上がり口まで向かえば、立っていたのは鬼殺隊の隠の方だった。初めてお会いする眼鏡が特徴的な男性で、何故かがたがたと小刻みに震えている。目元しか見えない肌も心做しか青白い。

「あ、あの…大丈夫ですか?えぇっと、具合が悪いとか…?」
「あっ!いえ、すみません!も、もしかして風柱様は不在ですか…?」
「はい、まだ任務から戻られてません。私でわかることであれば代わりにお受けします」
「っはぁぁ〜〜〜!良かった、あぁ良かった…」

突然心底安堵したかのように大きく息を吐いて身体の力を抜いたその方は、はっとして居住まいを正すと手に持っていた風呂敷を私に差し出した。

「あぁ、すみません。僕は前田と申します。風柱様の替えの隊服をお持ちしました」
「そうだったのですね、それはわざわざありがとうございます!」
「良かった、あの人いなくて…」
「え?」
「あ、いえこちらの話です」

差し出された風呂敷包みを受け取ると、前田さんはぼそりと何か呟いたけれど、その声は小さくて私の耳には内容まで届かなかった。聞き返しても顔の前で手を振るだけなのであまり気にしないことにする。そんな時に、なんだかじぃっと見つめられている、というよりはむしろ物色されているような視線を前田さんから感じて首を傾げる。

「えっと、どうかされましたか…?」
「藪から棒ですが、我々鬼殺隊のために少しご協力いただけないでしょうか」
「……え?」

本当に藪から棒である。唐突なお話にきょとんと目をまるくして固まる私を余所に、前田さんは如何にも真剣な面持ちで熱く語り始めた。

「実は僕、縫製係をしておりまして。隊士が鬼との争いで怪我をしないよう日々隊服の改良を試みているんです」
「は、はい…」
「中には少ないですが女性の隊士もおりまして、特に女性の隊服に改良が必要だと思っています。そこであなたに僕が試作した隊服を試していただきたいのです!」
「え、えぇっ?」

きりっと効果音が付きそうなほど、それはそれは良い顔をして眼鏡をくいと上げる前田さんに、私はただただ困惑するばかりで。だって私は隊士でもなんでもない、ただの一般人なのだ。そんな私が隊服を試させてもらったところで、有益な情報を与えられるとは微塵も思わない。そんなことを前田さんに伝えれば、彼は首を横に振ってぐっと親指を立てて見せた。

「採寸のためだけですので心配はいりません!僕としても可能なら実際に隊士に着てもらいたいんですけどね、何分皆さん忙しいので…」
「それは…確かにお忙しいですよね…」
「そうなんです!でも僕は皆さんに怪我をして欲しくない。戦えない分、少しでもこうして隊服を良くすることで力になりたいんです」
「前田さん…」

なんて熱くお優しい方なのでしょう。思わず心を打たれてしまって、私は前田さんの手をぎゅうっと握って強く頷いた。私も実弥さんのお仲間の方々が無事でいられるよう、少しでも協力したい。

「前田さん…!是非、私でよければ協力させてください…!」
「ありがとうございます!」

そうしてぎゅうっと熱い握手を交わした私は、前田さんが眼鏡の奥でほくそ笑んでいることなど気付きもしなかった。


***


不死川が任務を終えて自邸に辿り着いた頃には、陽が一番高いところに登っていた。上がり口から廊下へと上がり、ふと違和感を覚える。いつもであればこの時点で物音に気付いた名前が、ぱたぱたと小走りで嬉しそうに出迎えてくれるのだが、その気配がまったくないのだ。不死川が首を傾げながら廊下を進むと、庭先から微かに話し声が聞こえてきた。

「来客かァ…?」

胡蝶か、はたまた隠の誰かだろうか。それならば出迎えがないことも頷ける。そうして不死川は自室に寄ることもなく、そのまま縁側を下りて声がする方へ足を向け、ふたつの人影を目に入れたところで彼の三白眼が大きく見開かれた。なんだ、何が起きてる、こりゃ一体どういうことだ。不死川の心うちは大層混乱している。

「あっ、実弥さん!おかえりなさい!」
「げ、……!」

不死川に気付いて笑顔で駆け寄ってくる名前に、不死川の頭にはかっと血が登った。何がって、勿論その格好にだ。まるで甘露寺のような胸元が大きく開いた隊服に丈の短いスカートを、何故か名前が着ているのだから。開いた襟から生じろい胸の谷間が覗いているし、短すぎるスカートからはほっそりと形の良い足が曝け出されている。刹那不死川のこめかみにはびきびきと無数の青筋が浮き、握り締めた拳の中で爪が食い込む。名前の背後で抜き足で身を隠そうとしている男に、不死川は腹の底から冷え切った声を絞り出した。それはもう、身も凍るような冷たく低い声で。

「……前田ァァァ」
「ひぃっ!」
「さ、実弥さん?」
「名前、向こうに行ってろォ…」

不死川は慌てる名前の横をすり抜け、真っ青になってぶるぶると震える隠の元へゆっくりと近付く。彼が左腰に携えた日輪刀の柄に手をかければ、前田はまるで小動物のように小さく丸くなって、すかさず地べたに額を擦り付け土下座の体勢を取った。

「すっ、すすすすみませんでしたぁぁー!!!」
「詫びはいらねェ……。説明しろォ……」
「ひいぃっ!た、隊服の採寸に…協力して頂いていただけで…」
「採寸だァ……?名前は隊士でもなんでもねェんだがなァ……」
「ご、ごもっともです…!!」

ぐりぐりと砂利に額を擦り付け、可哀想なほどに震える前田を見下ろす不死川の目は血走っていて、前田はこの瞬間死を覚悟した。ああ、もう終わりだとそう確信して神に己の不幸を嘆いた。全ては自業自得であるのだが。

「待ってください、実弥さんっ!」
「あァ……?……ッ、!」

不死川から放たれるどす黒い空気に焦った名前が、ぎゅうっと彼の腕に抱き着いて制止する。不死川が名前を見下ろせば、腕に抱き着いていることによって豊満な胸がぐっと寄せられて、開いた隊服からふるんと主張している様が目に飛び込んで、彼はぐっと息を詰めた。それはあまりにも目に毒だった。その刹那ぶちりと不死川の血管が切れ、未だに土下座をして震える前田の襟ぐりをむんずと掴むと、竹垣の外へ渾身の力を振り絞ってぶん投げた。文字通り、本当にぶん投げたのだ。

「こんの、ゲスメガネがァァァ!!!!」
「ぎゃあぁぁッ!」
「ま、前田さーんっ!?」

遥か彼方でどすんと鈍い音が聞こえたが、不死川は何事もなかったかのようにすんと表情を消し、ゆっくりと名前を見下ろして、そうして妖しく口元を歪めた。

「……なァ」
「っあ、ええっと、…ゆ、床掃除の途中でした!いってきま、」
「待てコラァ」
「わわ、!」

名前はどうしてか身の危険を覚え、だらだらと冷や汗をかきながらくるりと踵を返したが、不死川がそれを許すはずもなく薄い腹に腕を回し動きを封じる。

「さ、実弥さん…?あの、これ、脱いで前田さんにお返ししないと…っ」
「あァ?どうせその隊服は焼却処分だァ」
「え!?」

そもそもこれは前田が独断と偏見で、彼の欲を満たすためだけに作られた隊服であるのでそれは当たり前のことであるのだが、勿論そんな事情を名前が知るはずもなく。彼女は物の見事に前田に上手く言いくるめられただけなのである。不死川としてはそんな名前の危機感の無さに苛立っているのであって、これはしっかり言い聞かせなければと心に決めた。その方法は、恐らく名前の体力を根こそぎ奪うものになるのだろうが。

「覚悟はできてんだろうなァ…?」
「な、なんのですかぁ…っ!」

不死川は回した腕にぎゅうぎゅうと力を込めて、にやりと形の良い唇を上げる。困惑しながら不死川を見上げた名前が、顔を赤らめて見蕩れるくらいには、それはそれは良い顔をしていた。
こうして名前はそのまま否が応なく抱き上げられ、不死川の自室へと連れ込まれることとなった。廊下にぽつんと残された木桶が、晴れやかな顔をした不死川によって片付けられたのは日が暮れてからだったとか。

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