朽ちるまえに願うこと


蝶屋敷での一件から数日後、名前は晴れて不死川名前となり、ふたりの夫婦としての生活が始まっていた。名前には身内がなく、不死川にもひとり弟はいるのだがそれ以外には身内がいないため、大々的な祝言は執り行われず、自邸でふたりきりのとても簡易的な祝言を挙げたのみだった。けれども名前はとにかく不死川と添い遂げられることに喜びを感じているし、不死川も不死川で可愛い名前をかねてからの望みどおり娶ることができてとにかく安心していたため、不満などはなにひとつなかった。もちろん祝言の前には産屋敷邸に初めて名前を連れていって、耀哉をはじめとする産屋敷一族、また柱の面々に顔見せをしたりという非日常的な出来事はあったりしたのだが。

「実弥さん、あそこの和菓子屋さんから餡子のいい香りがします!」

名前が嬉しそうな笑顔で不死川を見上げる。この日ふたりは町に下りてきていた。食材の調達が目的で、既に不死川の片手は大きな荷で塞がっている。

「そうだなァ、寄ってくか」
「はい、おはぎがあれば買って帰りましょう!」
「甘味処にもなってるらしいぜェ。どうせなら座って食ってきゃいいだろォ」
「え、でも…」

名前としては不死川に荷を持たせてしまっている手前、手早く買って帰ったほうがいいだろうと思っていた矢先だったので、不死川の申し出に思案を巡らせ僅かに眉を下げた。

「これのことなら気にすんなァ。重くもなんともねェ」
「う……、実弥さんにはどうしてかいつも心を読まれてしまいます…」
「おまえがわかりやすすぎるんだろォが。全部顔に書いてんだよ」
「えぇっ?」

目をまるくしてぺたぺたと顔中を触る名前に、不死川はくつくつと笑いながらも、ほんと馬鹿でクソ可愛いな!!?などと内心気が気ではなかった。空いている手で、贈った簪を刺した頭をぽんぽんと撫ぜていれば、背後から響いたのは聞き慣れた声。

「よもや!そこにいるのは不死川とお下げ少女ではないか?」

明朗快活で外だというのに凛と通る大声。ふたりが振り返ると、そこにいたのは案の定、向日葵色の髪が映える煉獄杏寿郎であった。名前はぱっと顔を明るくし、片や不死川は面倒な奴に会ったと顔を曇らせた。

「煉獄様、先日ぶりです!」
「うむ、息災なようだな!夫婦で買い物か?」
「はい、食材を買いに。煉獄様は任務帰りですか?」
「そんなところだ!」
「なら早く帰れやァ」

夫婦水入らずを邪魔してくれるなと、不死川の顔にはありありと書いてある。けれども煉獄はそれに気付いているのかいないのか、捌ける気配はまったくなく名前と楽しそうに会話を繰り広げているので、不死川はびきびきとこめかみに青筋を浮き立てた。そんなことに疎い名前は気付くはずもなく、次の瞬間とんでもないことを口にしたので、不死川の奥歯が危うく砕け散るところだった。

「煉獄様、良ければご一緒に甘味処へ行きませんか?」
「はァ!?」
「是非ともそうさせていただこう!」
「あ゛ァ!?煉獄、てめ、」
「わぁ、嬉しいです!実弥さん、行きましょう!」
「……ッ、クソがァ…!」

ぱっと顔を輝かせて満面の笑みを浮かべる名前がそれはそれは嬉しそうなので、不死川もそれ以上何も言えず、小さく恨み言を吐き出して重い足を鼓舞し甘味処へ向かう他なかった。


***


「近々長期の任務に?」
「うむ、調査を兼ねてだがな!」

名前と煉獄のやり取りを、茶を啜りながら片耳で聞く。鬼だなんだと大声で話す煉獄に、何度か声を抑えろと忠告はしたものの結局効果は無かったのでもはや諦めた。煉獄の話を興味深く聞く名前に、面白くないとは感じつつ、己の嫉妬深さに内心自嘲もしてしまう。

「列車に巣食う鬼、ねェ…」
「なかなか尻尾を出さないようでな。何人も隊士が消息を立っているらしい!」
「それは…怖いですね…」
「心配には及ばない!俺が必ず解決してみせよう!」
「あんま気張んなよォ」

気の抜けた声色でそうは言ったものの、煉獄なら心配など不要であるとは俺も確信していた。誰よりも正義感が強く、面倒なほど暑苦しい男だが柱として不足は無い。高らかに笑う煉獄を一瞥すれば、突然隣に座っていた名前が立ち上がった。

「すみません、少し御手洗に行ってきますね」
「おー」
「うむ!ここの厠は店の外だったはずだ!」
「ありがとうございます、行ってきます」

店から出ていく名前を視線で見送り、うまいうまいと大声を張り上げながら甘味をかき込む煉獄に溜め息を漏らす。今日が非番で本当に良かった。せっかくの名前との時間を煉獄に邪魔されてしまって、ただでさえ苛立っていたのだ。その上夜半に任務が入っていたら、俺は恐らく鬼より鬼らしく目を血走らせ、同行する隊士たちに恐れられていただろう。帰ったら心ゆくまでたっぷりと名前を甘やかし、可愛がってやろうと強く強く心に決め、目の前の甘味に匙を伸ばした。


───厠というのはそれほど遠いところなのか。

「なァ…、あまりにも遅くねぇか」
「む、確かにおかしいな」

煉獄と顔を見合わせる。煉獄の表情は怪訝なものになっていて、恐らく自分も同じような顔をしているのだろう。
暫く経っても名前が戻ってこないのだ。もう四半刻が過ぎようとしていた。煉獄によれば厠は店の裏手すぐのところにあるというから、いくら女だと言えど流石にこれほど時間を要しているとは思えない。そうなれば心うちに浮かぶのは、沸沸とした不安と焦燥感。

「悪ィ、煉獄。見てくらァ」
「俺も行こう!」

すぐさま店を飛び出し裏手に回るが、ぽつんと佇む厠には人の気配など微塵も感じられなかった。思わず奥歯をぎしりと噛み締め、同時に握り締めた拳の中では手のひらに爪が食い込む。礼儀正しい名前が、何の言伝もなしに勝手にひとりどこかへ向かったとは考えられない。それならば、一体どこへ。まさか、と頭に過ぎる当たってほしくはない悪い予感。

「ックソ…!」

焦りや苛立ちから吐き出した声は、思いの外大きく忌々しげな色を孕んでいた。昼中なので鬼の仕業ではないだろう。それならば考えられるのはひとつ、人攫いだ。女子供を攫って売り飛ばすのを生業としている下衆な輩がまだいる時世なのだ。

「不死川!こうしている場合ではないだろう!探すぞ!」
「…あァ……!」

煉獄の言葉に弾かれるように大通りへ飛び出す。クソ、俺としたことが、名前を何故ひとりにした。町娘と変わらない装いをしていても、名前はかつて大見世の出世頭の元遊女だ。目を引く容姿であることはよく分かっていたはずだし、それからもしこれが人攫いの仕業ではないとしたら。鬼殺隊というのは感謝されることも多いが、その反面恨みを買うことも少なくない。身内が鬼と化したとなればそれも一入で、斬らざるを得ないというのを理解しようとせず、行き場のない仄暗い思いを俺たちにぶつける人間もいる。もしも俺に恨みを持った人間が名前を攫ったとすれば、名前の身に危険が及ぶ。
町中を駆け抜けながら、ぐつぐつと怒りで煮え滾る腹の中をなんとか鎮める。冷静になれ、さもなくば手がかりを見落としかねない。名前、どうか無事でいてくれ。おまえに何かあれば、俺は俺を死んでも赦せない。ほとんど神頼みにも似た願いばかりが、心うちで渦巻いていた。


***


「不死川!いたぞ、町はずれだ!」

甘味処を飛び出してからそれほど時間が経たず、俺とは真逆を探し回っていた煉獄が叫んだ。風の如く声の方向へ走り、そうして目に飛び込んできたのは短刀を首元に突き付けられじっと押し黙る名前と、顔面蒼白な痩せこけた男。腹の底がこれまでになく冷え、目の前が真っ赤に染まり無意識のうちに右手が腰に携えた日輪刀に伸びかけた。

「不死川。外道に成り下がる気か」
「………うるせェ」

ぱしりと腕を掴んだのは煉獄だった。それをぎろりと睨み付けるが、骨が軋むほどの力で押さえ付けられやむを得ず柄から手を離す。それと同時に男が俺を見据えて、まるで生気の欠けた声を放った。

「よくも…、よくも俺の女房を殺したな…。あんたも女房を失う気持ちを思い知れ…!」
「あァ……?」

そんな言葉に改めて男を見れば、微かに見覚えのある男だと気付く。 記憶が正しければ、一月ほど前に不運にも鬼となった女を斬った際、その傍で泣き崩れていた男だ。予想は正しかったようで、女房を殺したとして俺に恨みを抱いての愚行らしい。苛立ちや怒りを抑え、ずいと男の方へ足を踏み出せば、男は狂ったように叫ぶ。

「く、来るな人殺し!来ればこの女を殺すぞ!」
「それで本当にテメェの気が済むのか」
「うるさい…!あんたに俺の気持ちがわかるのか…!?」
「わかんねぇなァ。ならテメェは、嫁さんの気持ちがわかってたのか?」
「な、なに…?」

明らかに顔色が変わる男に、俺は侮蔑の視線を浴びせる。隣に立つ煉獄は黙って事の成り行きを見ていた。不安そうな名前に焦りが生まれるが、ここで間違えてはいけない。再び口を開いた時、それよりも早く名前が言葉を発した。

「あ、あなたの奥様は、どんな方だったのですか…?」
「俺の…女房…?」
「っ名前…!」

余計な刺激を与えるなと名前の名前を呼ぶが、名前はふるふる首を振って、そして大丈夫だとでも言うように僅かに微笑んだ。同時に俺の肩に煉獄の手が置かれる。任せてみようとその瞳が語っていた。また握り締めた拳に爪が食い込む。すぐそこに名前がいるというのに、男を斬り捨てるわけにもいかず歯痒さだけが募った。

「俺の、女房は…。気前がよくて、穏やかで、誰よりも優しい女だった。誰からも好かれる自慢の女房で…、なのに、なのにあいつが…!」
「お優しい奥様だったんですね。鬼になってしまって、きっと無念だったでしょう」
「鬼になろうが、生きてさえいてくれれば俺はそれでよかった!」
「…本当に、そうでしょうか?」
「……なに…?」
「人を襲わなければ、鬼は生きられません。優しい奥様が、本当にそれを望んだのでしょうか?」

名前の言葉で、男はぶるぶると震え出す。潮時かと俺がさらに距離を詰めても、もう男は何も言わなかった。

「テメェの嫁さんが、最後に俺に願った言葉を知ってるかァ?」
「願った……?」
「"あの人を喰らう前に、殺して欲しい。あの人にはしあわせに生きて欲しい"。…そう言ったんだよ」
「っ、うそ、だ…!うそだうそだ!」
「嘘じゃねェ!テメェの女房の言葉を、テメェが否定するんじゃねェ!」

その刹那、男の双眸からぼろぼろと大粒の涙が零れた。からんと音を立てて、手から短刀が零れ落ちる。それをすぐさま蹴り飛ばし、俺は名前をぐっと抱き寄せた。

「この男の言う通りだ。恐らく貴方の伴侶は、最後に残った人の意思で、貴方だけでも生かしたかったのだろう!愛する人間を手にかけたくはなかったのだ」
「っう、うあぁぁ…!」

煉獄が男の元へしゃがみ込み、肩に手を置いた。その場に泣き崩れた男を見下げて、彼の伴侶が生前に、鬼と人の狭間で俺に乞うた姿を思い返す。母も同じ気持ちだったのだろうかと、その姿に心を酷く揺さぶられたのを覚えている。思わず視線を逸らせば、俺の手を小さな温もりが包み込んだ。

「実弥さん、大丈夫です」
「……ふ、…またそれかァ」

穏やかに、そして綺麗に微笑む名前の手をぎゅうっと握り返し小さく笑う。読心術でも使えるのかと末恐ろしくなるが、俺が例え小さな不安でも抱えようものなら、名前はこうして大丈夫だと微笑むのだ。それに救われているのもまた事実であるが。

「煉獄、あとは任せていいかァ?」
「うむ!お下げ少女、帰ってゆっくり休むといい。息災でな!」
「はい、煉獄様も。助けていただき、本当にありがとうございました」

そうして煉獄とはその場で別れ、名前もあんなことがあって疲弊しているだろうと足早に帰路へとつき、日が暮れる前に漸く屋敷へと戻って来た。
すぐに荷を解こうとする名前を強引に引っ張って自室へと押し込む。襖を閉めると同時に華奢な身体をぎゅっと強く腕の中へ閉じ込めた。

「さ、実弥さん…?」
「ハァ………」

名前の温もりに幾分か心が安らぐ。本当に、寿命が縮む思いだった。もしもこいつに何かあればと思うと、頭に血が登り冷静さなど無いに等しくなって。こうして無事でいてくれて良かったと思う反面、もうひと時も目を離したくないと異常なまでの執着が湧くのがわかった。

「実弥さん、ご心配をおかけしました」
「もうご免だぜェ…」
「うぅ、はい、気をつけます」
「……怖かったろォ、悪かったなァ」

名前の髪に刺さる簪をするりと抜いて下ろしてやり、小さな頭を抱き抱えるようにゆっくりと撫ぜる。胸元に頬擦りされるので擽ったいが、咎めずにされるがままになってやった。

「実弥さんがきっと助けにきてくださると思っていました。それに、あの方がずっと哀しそうな目をしていたから…」
「あァ、おまえのお陰で少しは気が晴れたかもな」
「それならいいのですが…。きっと私も、あの方の奥様と同じことを思うはずです。大好きな人を傷付けたくないですから」
「……名前を鬼にはさせねェ。鬼どもは一匹残らず俺が斬ってやらァ」

だから冗談でもそんなこと言うな。
抱き竦めながらそう言えば、名前は俺の背に細い腕を回して小さく謝った。

「夕餉は俺が拵える。…少しだけ、おまえに触れてもいいかァ…?」
「っふふ。はい、いくらでも」
「…へェ?なら遠慮はいらねぇなァ?」
「えっ、あ、そういう意味じゃなくて…!少しって、きゃぁっ!」

乾いた己の唇をぺろりと舐めて、名前を畳に押し倒せば、大きな瞳を零れ落ちんばかりに見開いてふるふると頭を振る。言質は取ったからなァ、なんてにやりと笑いながら、俺の元へ無事に帰ってきてくれたことを確かめるように、いつも以上に名前を甘やかすことに専念した。

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