燃ゆる晩秋の候


蝶屋敷の草花が生い茂る庭先には、少女たちの明るく爽やかな声が響いていた。

「わぁ、名前さんとってもお似合いで可愛いです!なほとお揃いですね」
「ほんとう?嬉しいです、ありがとうございます!」

きよ、すみ、なほの三人娘に髪を弄られたらしい名前は、なほとお揃いの三つ編みお下げ髪を揺らして照れたように微笑んだ。鮮やかな草花にも負けず劣らずの可憐で麗しい名前に、少女たちは感嘆の声を漏らす。流石は大見世の元遊女であるので、名前の美貌は周囲も息を呑むほどだ。けれども口を開けば存外幼く、人懐っこく天真爛漫なので、彼女はこうして人と打ち解ける才に長けている。ただし本人はまったくの無意識なので、あの不死川も過保護に成らざるを得ないのだが。

「うむ、よく似合っているな!」
「煉獄様!」

庭先に響き渡った溌剌とした声は、煉獄杏寿郎のものだった。彼を視界に入れた途端、三人娘は慌てて深々と頭を垂れる。それを手で制して顔を上げさせた煉獄は明朗快活に笑ってみせた。

「不死川はまだ奥で胡蝶と話している。待つ間に少し話でもどうだろうか?」
「あっ、はい!私で良ければ、是非」

名前の返答に満足げに頷いた煉獄が縁側に腰を下ろす。ふたりに気を遣ったのだろう。既に三人娘の姿はそこにはなかった。

「不死川とは上手くやっているようだな!」

唐突にそう切り出した煉獄に、名前は僅かに頬を染めた。他人から見てもわかるほど、駄々漏れだったかしらと己を省みているらしい。

「えぇっと…はい。実弥さんには、とても良くして頂いてます」
「そうか、それなら安心だ!ああ見えて不死川は心根が優しい男だからな」
「そうですね。ほんとうにお優しい方です」

名前は不死川を脳裏に思い浮かべ、柔らかく微笑んだ。まるで慈愛に満ちたその顔は、それまでの朗らかな雰囲気と比べて随分大人びて見えた。煉獄はふっと空気を揺らして笑い、彼もまた何かを考えるように腰に差した日輪刀を鞘ごと抜き、体の前に翳すようにしてそれを見つめた。

「出逢った当時は、鋭い刀のような男だと思った」
「刀、ですか?」
「ああ。鋭いが、同時に刃こぼれもしていた。鬼を憎む余り己のことはまるで二の次で、ただひたすら無心で刃を振るっているように見えてな」

煉獄の声には憂いの色が混じっていた。名前は押し黙って、ただその声に耳を傾ける。

「不死川は強い男だ。だが危うさもあった。行き過ぎた自己犠牲は身を滅ぼしかねないと気にかけていたんだが、今しがたの不死川を見てその心配はないと確信した!」
「どうして、ですか?」
「不死川はまるで見違えたな!恐らく名前、君のお陰だ!」
「えっ?」

きょとんと目をまんまるにする名前に、煉獄は高らかに笑ってみせた。名前とて不死川と再会したばかりの頃は、節々に彼の自己犠牲的な言動や、すべてをひとりで抱え込んでしまう危うさというのを確かに感じ取ることがあった。けれども自分のお陰で不死川が変わったかと言われれば、そんなことはないのではないかと思ってしまう。自分は人に影響を与えられるような崇高な人間ではないと、彼女自身が思っているからだ。

「守りたいものがあると人間は強くなる!不死川も漸くそれがわかったんだろう」
「……煉獄様も、ですか?」
「むっ?」

名前の切返しに、今度は煉獄が目をまるくした。隣に座る少女を見遣れば彼女はただ真っ直ぐ、純真無垢な様子で首を傾げている。煉獄は刹那思考を巡らせた。母の言葉が脳裏に過ぎる。

"弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。"

「守りたいもの、か…。ありすぎて困るな」

雲ひとつない秋晴れの空を見上げた煉獄から放たれたのは、凛と澄んだ声だった。名前はその力強くも穏やかな横顔を見つめ、そうして顔を綻ばせた。

「煉獄様なら、きっと守りきれます」

守りたいものが沢山あるのは、煉獄の人となりが素晴らしいが故なのだ。ひとつ守りきるだけでも、この世は無情で世知辛いけれど、この煉獄という人ならきっと成し遂げてしまうだろうと、そんな確信が名前にはあった。強く、優しい彼の雰囲気が物語っていた。
名前の突拍子もない言葉に暫くぽかんと固まっていた煉獄も、次いで眉を下げ破顔し、小さなお下げ頭に手を乗せぽんぽんと撫ぜた。

「なるほど、あの不死川が惚れ込む理由がわかった気がするな!」
「え、それはどういう…?」
「ッてめぇコラ煉獄ゥゥ!!」
「よもや!」

刹那穏やかな空気を切り裂く奈落の底から這い出たような怒声と、どかどかと無遠慮な足音が縁側に響き渡り、煉獄はぱっと名前の頭から手を離した。言うまでもなくその声の主は不死川で、名前は振り向いてぎょっと目を見張った。まるで般若がどしどしと歩いてくるのだから。ああ、これが実弥さんが恐れられている由縁か、と名前は瞬時に理解して、煉獄と不死川を交互に何度も見る。

「触んなっつったよなァ…?名前、てめぇも易々と触らせてんじゃねェ!」
「そ、そんな…!」
「そう怒るな!顔が鬼のようだぞ!」
「誰が鬼だてめぇのせいだろうがァ!!」

口を挟むに挟めずはらはらとそのやり取りを見ていた名前が、険悪な雰囲気に耐えかねて意を決し不死川の羽織りの裾を掴む。煉獄は何も悪くないし、不死川が怒るようなことは何もないのだ。きゅっと羽織りを掴まれた不死川はぴたりと止まって、次いで盛大な舌打ちをした。

「……名前、帰るぞォ」
「えっ、あ、はい…!煉獄様、すみません、失礼いたします」
「うむ、達者でな!お下げ少女、不死川を宜しく頼む!」

名前はぺこりと頭を下げ、快活に笑う煉獄に見送られながら不死川に半ば引き摺られるように蝶屋敷を後にする。お下げ少女、と不思議なあだ名を付けられたことに僅かに首を傾げて。
蝶屋敷から少し離れた狭い小路に差し掛かったところで、不死川は名前の腕をぐっと引いて長屋と長屋の間、人ふたりがやっと通れる程の隙間に入り込んだ。

「さ、実弥さん?……ッん、ぅ!」

名前を竹垣に凭れさせ、顔の両側に手をついた不死川が有無を言わさず薄紅色の柔い唇に己のそれを重ねた。瞼は半分伏せられながらも、鋭く熱の篭った双眸は名前を捉え離さない。何度も角度を変えて、唇で食むように口吸いを繰り返せば、名前は瞳をとろんと潤ませ息を乱す。ぷちゅ、と小さな音を立てながら幾度となく合わせられる唇が離れた頃には、名前は不死川の逞しい腕に支えられて漸く立っていられる状態だった。いくら人気のない閑静な土地の裏路地だからと言えども、白昼堂々と往来でする行為ではないため、名前は羞恥やら気持ちよさやらで顔を赤く染めて、それを隠すように不死川の胸元に顔を埋めた。

「っはぁ、…うぅ、実弥さん…。いくらなんでも、急すぎますっ…!」
「……悪ィ」

不死川は名前の華奢な身体をぎゅうっと抱き竦めて、彼女の後頭部に置いた手をぽんぽんとあやす様に動かした。吐き出された詫びの言葉は、不死川らしくなくどこか気落ちした声色だ。どうやら思うより早く身体が動いてしまったことを意外にも後悔しているらしい。

「おまえのことになると、どうも冷静じゃなくなっちまうなァ……」
「実弥さん…?」

名前としては驚きだ。いつも余裕たっぷりで一歩も二歩も先を歩く不死川が、自分のことで冷静さを欠くことがあるとは。それと同時に、彼からの深い愛情を感じてたまらなく嬉しくなってしまう。そうしてどうしようもなく辛抱ならなくなったので、埋めていた顔を上げて爪先立ちで背伸びをすると、不死川の薄く形の良い唇に自ら触れるだけの可愛らしい口付けをした。

「ッ、な……!?」

初心で照れ屋な名前から口吸いをするのはこれが初めてだったので、不死川は案の定目をひん剥いて固まってしまった。仕掛けた彼女は彼女で、ぷしゅうと湯気が立つほど顔を真っ赤っかに染めて所在無く俯く。

「えっと、あの…すみません…。なんだか実弥さんが、可愛らしかったので、つい……」
「かわ…?………ッ〜〜〜、クソがァ…!」

顔を手で覆って上を向いた不死川の心うちはそれはそれは荒れ狂った。可愛いのはてめぇだろうがァ!!クッソ可愛いことしやがって!!ここで抱き潰すぞてめぇコラ!!と船をも呑み込む嵐の如く荒れ狂い、けれども持ち前の忍耐力で深く息を吐き出し心を落ち着けた。ここだけの話ではあるが、全集中の呼吸すら発動した。

「……帰るかァ」
「は、はい…」
「覚えてろよォ…」
「へっ?」

ぎゅうっと手を握って歩き出した不死川から発せられた不穏な言葉に、名前は背筋をぞわりと粟立たせて聞き返すが、それ以上言葉が重ねられることは無かった。けれどもその代わりに、歩みはそのままにちらりと振り返った不死川が、穏やかに目を細める。

「髪、似合ってんなァ。可愛い」
「、!ありがとうございます、実弥さん!」

名前がいつもきゅんと胸を高鳴らせてしまう、優しく穏やかな不死川の笑み。不死川がそんな顔を見せるのは、この世でただひとり名前だけであることを、疎い彼女はきっと知らない。照れたように名前も微笑んで、繋がれた手をきゅっと握り返した。晩秋の夕暮れに、大小ふたつの影がゆるりと伸びていた。

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