Aldebaran | ナノ



月の影 T





注意:石川翔吾視点になります



何度繰り返しても、変わらずの反応で。

とうとう、振り向かなくてもどんな動きをしているか想像がついてしまう程になった。

「――お、お邪魔します」

几帳面に靴をそろえて、ぐるりと玄関周りを眺める。リビングの方を一度目配せすると俺について階段を上がってくる。
階段を上がる時も壁や、俺の背中をじっと見ている。
上がりきると、またぐるりと廊下を眺めて俺の部屋を確認してから俺についてくる。

そこまで言葉は発しない。
俺が話しかけても、キョロキョロ周りを見渡して部屋までついてくる。
いい加減、目に焼き付いただろうに。
俺の部屋に来た回数はとっくに十を超えていた。

「お邪魔します…」

俺の部屋に入る時には必ずもう一度挨拶をして。
気を楽にしろよ…って言葉は、毎回飲み込む。
安立にとってのここで気を抜け、は負担にしかならないのじゃないか、と思っている。
そんなことをわざわざ言いたくない気持ちもあった。
お互いが自然体で居られる状況にまで、ゆっくり時間はかければいいのだと思って。


「石川さん、今日はシャツ掛かってないですね、そういやこないだ掛かってたやつすごくかっこよかったです。石川さんに似合いそうな色だった。石川さん結構奇抜な色多いけど暗めの色がすごく似合ってる。あ、今テストか何か?机の上写真撮っていい?うん、特に何も変わってないけど今日は天気がいいから窓から吹き込む風の香がすごくいい。このまま寝れたらすごく気持ち良いやつだぁ〜」

一息にしゃべりながら、ずっと部屋の写真撮っていた。

もちろん俺の写真も忘れずにとこちらに携帯の背面が向けられる。
毎回これほどまでに写真を撮って、安立の画像フォルダーはどうなっているのか。

掲げられ続けてる携帯から、一枚では飽き足らない様子を感じ取った。
なのに、その瞬間カメラのレンズはするりと俺から視点を変えた。

「…?」
「――あ、石川さん、今日はとても空が澄んでるからいい星が見れそう。窓が二つもあると夜めちゃくちゃ楽しいよね」

わざと話を逸らされた感じがして、安立に詰め寄ろうとすると、その体はするりと俺から距離を置く。
いつもの事だが、俺が安立との距離を詰めると離れていく。
安立からはお構いなしで詰められる距離感が俺が動くとダメになる。
慣れてしまって気にならなくなっていたが、今は…何か、どこか、気まずい。
俺が何かしたか?いや、いつもと変わらず俺は大した会話なんかしてない。
安立が一人で俺の部屋を記録していただけだ。

いったい何が――、………写真、か?

「俺の写真もう撮らねぇの」

驚いたように方が揺れると、俺の目をじっととらえた。
そしてぎこちなくほほ笑む。

「俺ほんと毎回毎回…石川さんの写真ばっかり撮ってるから、石川さんも迷惑だろ…?今日くらい無くたって大丈夫だし。そうだ、今日は石川さんの窓から見える空の写真撮らせてもらうよ、あ、その、そうだ、携帯じゃ星とか全然、写らないけど、いいかな…、え、っと…」

「落ち着け、安立」

何を慌ててるのか。
また自分の世界は俺とは違うから、と物事の節々で出てくるあのセリフを聞かされるのかと思い安立の言葉を制した。

難しいと思う。
俺には安立の言っている世界がただの生い立ちだけではないのだろうと、そう憶測するしかなくて、わかってやりたくてもわかってやれない心――それを世界と言っているのだろうから。
俺が何とかしてやりたいと思っても、怖くて手が出せなくなる。

失敗したら、安立はどうなるだろう。

無意識に出た俺の溜息に、安立が震えた。
安立の視線は足元をさまよい、窓の外、空へと、逃げていく。

「安立、ち…」

違う、と言いかけてまた言葉を飲み込んだ。
違わないだろ、俺が無意識に溜息をついたことは事実だ。
下手な言い訳は余計傷つけてしまいそうだった。

「怖い。俺、どうしていいかわからない、どうするのが当たり前か知らない。俺、まだ石川さんとこうやって過ごしてるのが不思議で仕方ないし、これって付き合ってるっていうのかわからない。人って他人とどうやって過ごしてるの…」

すごく静かな声だった。
窓から心が逃げてしまったかと思うほどに。

「俺は…石川さんに笑ってほしい」

掠れた声。
安立の撮った写真の中に、笑った俺は居るのだろうか。
安立と居ると、安立との距離を接触を計ってばかりの俺しかいなかったんだろう。
そんなことを考えてばかりの俺はどんな表情をしていただろう。

「石川さんが俺の事、嫌ならちゃんと突き離してくれたらいい。どこかに行けって、顔見せるなって、力ずくで、良いから。殴って、蹴って、そうやってくれたら良い…」

今までの母親の男のように――…。


思わず背中に手が伸びた。
頼りない背中を撫でてやると、安立の逃げた心が戻ってくるようだった。
寄り添いたいのに寄り添えない。
そんな動きが安立の体から伝わる。
いじらしかった。

「優しくされるのは嫌だ…」
「どうして」
「怖いよ。怖いでしょ。俺石川さんの事好きだけど、優しくされて、俺がそれ、うれしく思っちゃったら、石川さんに嫌われた時、俺の石川さんの事好きだって気持ち、どうしていいかわからなくなる。うれしいって感じるの、俺めちゃくちゃ怖いよ」
「今は嬉しくないのか」
「ずっと―…、うれしいんだ。あれからずっとうれしい。ずっとどうしていいか解らないままだよ。うれしいのに怖い。うれしい事って、全部怖い」

あの日、俺が安立の世界に入るといったのに、全く入れずにいる。
入るどころか寄り添う事すら成功していない。
なのにずっと嬉しいと怖がる安立。
俺はもっと安立を知らなくてはいけないし、俺を知ってもらわないとならない。

言葉は必要だけど、言葉だけじゃないんだと安立から知らされる。
いつも俺の表情を読み取る安立。
そして安立の動きには隠しきれない嬉しさが含まれている。

膝の上に握りしめられた拳に手を重ねると、安立に体を寄せて、唇を奪った。
逃げ出したそうな体も、背中の手を頭に回して押さえ込めば静かになった。


言葉は要らない。

唇を離すと、驚く安立のこぼれそうな瞳が新鮮で思わず微笑んだ。
それだけで安立の瞳が薄い水に覆われる。
決してこぼれはしないそれは、きれいな瞳を輝かせるだけだった。

そこにある感情、自分がくみ取る安立の感情、その向こうに安立の世界がある。




END



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