Aldebaran | ナノ



12






石川さんの手が頬に触れた。
カサリとした感触は、まだあの男の血が洗い落とせていないのだろうか。
優しく労わるように石川さんが触れる。

「ごめん。傷つけたかった訳じゃなくて、距離を取る意味で…」
「体調悪いとか関係なく石川さんの家に押しかけたのは俺だし。石川さんは謝ることないし」

「でも俺は今、言葉で傷つけた」

頭を振りながら否定すると、石川さんは俺の頭を包み込むように抱きしめてきた。
何が起こったのか分からないまま驚いて瞬きを繰り返した。
近い体から香る石川さんの香。
謝罪の意味を込めて抱きしめてくれてるのだろうか?
そう思うとなんだか笑えてくる。

「そんな風に思うことなんて、ない。石川さんは何もしなくていいのに」

俺が勝手に好きなだけだ。こんなこと望んでいるわけじゃない。
いや、本当は望んでいるけど、あくまでも俺の妄想の世界でしかない。

「お詫びとかじゃない。今俺がこうしたいだけだ。意味を考えなくていいから俺もちょっと混乱してる…」

意味がないのなら身をゆだねてもいいかな。
身をゆだねる、と言ってもどうしていいかわからなくて、あからさまに石川さんに体重をかけてみるが、なんともぎこちない。

「……俺の部屋眺めてる安立がさ…そんな風に俺を見てるのかと思ったら…ちょっと俺の態度もっと改めないとな、とか、色々…色々…、考えさせられたよ。俺のこと、…好き、なのか?」

改めて聞かれるという事は、何一つ伝わってなかったのだろうか。
全部冗談で言ってたことだって思われてたのだろうか。
石川さんの背中に回した手でシャツを握りしめる。

「好きですよ。ずっと、言ってる…」

やっぱり俺の、同性を好きになる俺という存在は、どこかおかしくて。
受け入れられるものではなくて…。
俺の投げてきていた言葉は全て石川さんには届いていなかった。
胸元にすら、足元にすら。

「俺はそれ、受け止めたら――」
「受け止めなくていいです。石川さんは変わらずの石川さんでいてほしい。そんな風に思って欲しいわけじゃないんで」

違う、俺はそこに居る石川さんでいいのだ。
こっちの言葉に返しが欲しいわけじゃない。
俺が石川さんを求めているだけでいい。
石川さんが俺の気持ちに気付いたところで、申し訳ないからって歩み寄ってほしくなんかない。

「え?えー、っと」
「石川さんは石川さんでいてくれたらいいよ。今まで通りで。こんなところ見せちゃったから石川さんがびっくりするのも分かるし。俺は嫌われてないだけでほんと、うれしい…」

石川さんが俺を引き離して驚いたように見つめてくる。
暗い部屋も少しずつ朝の訪れとともに明るくなりつつある。
石川さんの顔がよく見えるようになって嬉しかった。
目に焼き付けなければ。

「ちょっと待て安立。俺の気持ちはいらないって事?」
「…要らないとかじゃなくて、なんていうか…うん、俺の方に歩み寄る必要はないっていうか」
「それって気持ち通じ合わなねぇじゃねーか」
「俺が石川さんの事を一方的に好きなだけだから」
「俺の気持ちはどうなるんだよ、要らないのかよ」

「―――――、」

必要だと、欲しいと、言ったら貰えるもの?
きっと違う。
石川さんが俺に気持ち向ける事なんてないし、そうなるきっかけなんてものも見当たらない。
魅力もない、陰険でストーカーでズルいことして石川さんの家に上り込んで、おまけに今こんなところを見せているじゃないか。
何一つ、俺の良い印象なんてないじゃないか。
そこに石川さんの気持ちが伴うわけがない。

それに。

「石川さんとは、世界が違うから…石川さんの日常と、俺の日常は違うし。俺は、見てたまんま…今みたいに、母さんと、あんな男と、この体と、この部屋と、成り立ってるものが違う」

「みんなそうだって、違うだろ?違うよ。同じ奴なんていねーよ」

それはそうだろう、でも、石川さんの思ってる世界と俺の言ってる世界が、根本的に違うんだ。
その世界の違いをたくさん知らされてここまで来た。

「世界観は人それぞれだし、そこに隔たりがあるわけじゃない。お前が勝手に作ってるだけだろ」
「わからないよ。俺、馬鹿だし、と、友達、友達とかいねーし…。石川さんの言いたいことわからない…」

その隔たりを俺が作ったって…?
そんなわけない。いつだって厄介なことは周りからやってきた。
そうやってここまでの人生で出来上がってきた世界観だ。
ずっと、この年齢まで俺の世界はそれが当たり前だった。
周りのみんなが普通に過ごしている物事は俺の世界では何一つ言葉にできなくて。
言葉にして誰に訴えることもできなくて。
出来なくて…ただひたすら…星に願うしかなかった。
願ったところで叶う事なんてなかった。

そしてそれはもっと複雑で、垣間見えた瞬間ものすごく重たい気持ちになる。
俺には無理だと、そう伝わってくる世界だ。



「なぁ、俺は安立を受け入れたい。どうしたらいい?」

「ど、うしたら、って…」

何も理解できなかった。
なぜ石川さんがそんなにも俺に興味を示すのかわからない。
頭を振って否定を伝えることしかできない。
石川さんの言葉も理解しにくくなってきた。

「安立の世界、わかんねぇけど、その世界はそれでいいよ。俺がその中に入る」

俺の世界に誰かを入れるなんてこと考えもしない。
自分が入れなかった外の世界。
世界とは個人が持っていてそこに誰も入れることはできないのだから。


「えーーー、っと難しく考えてるな?考えんな。俺何気に馬鹿だからうまく言えねぇんだけど。とにかくさ、もっかい言ってみな」
「何を…」
「俺への気持ち」

俺への気持ちを言えと言われて簡単に出していいのだろうか。
石川さんの思考回路が壊れたんじゃないかと考えを巡らせていると、ぐっと回された腕に力がこもった。

「言ってみな」
「え、っ、…石川、さ…」

石川さんの手のひらが頭を撫でていく。
感じたことのない頭皮へのぬくもりに全てを持っていかれるようだった。
俺の髪の隙間を縫うように石川さんの指が這い、頭を近づけた石川さんが息を吸う。
ぞくり、と粟立つ背中…。

「安立、言えよ」

腰に回された手が俺を促す。
駄目だ、と思った。
石川さんの気持ちを汲み取る思考が麻痺していた。
そこには俺の感情しか存在してなかった。

「好きです、石川さんが…っ」

息が、苦しくて。
空気を求めて天井を見上げた。
まるで鯉のように口を大きく開けて空気を吸い込んだ。

「――っ、」

「あぁ、ありがとう。よろしくな」

俺を抱きしめるような形で、首筋に顔をうずめた石川さんがそう、答えた。

交わらないよ、石川さんがどれほど入ろうとしてくれたって無駄だよ。
ありがとうなんて言われたくない、俺は何一つ受け入れてもらったなんて思ってないよ。

ものすごく近くに石川さんが居て、俺の事を見てくれてる。
その幸福感はなかなか自ら手放せそうなものではなかった。

いいのだ、きっと、受け入れてもらって、うれしい“俺”で。

あぁ、星が見たい。
瞬く星を一人静かに眺めていたい。
凛とした輝きを持つ一等星に、憧れ、ただ眺めているだけでよかった。
何も欲しくなかった。
近づいて欲しいなんて望んだことはなかった。
自分の世界が揺らぐのが怖い。
ずっと俺はこの小さな部屋の中で、大きな空を、まぶしい星を眺めているだけでよかったんだ。


怖い。
とても怖いけど。
石川さんの腕を、その抱擁を、
要らないなんて、言えるわけがなかった。


(あぁ、怖い―――、でも、これが、幸せなのか…?)




Aldebaran END


prev|back|next







back






[≪novel]

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -