Aldebaran | ナノ



11





空が明るくなった頃、家に戻った。
冷えた体を擦って階段を上がる。
玄関の扉の前、座り込んでる…いや、もたれかかるように…

「な…に…」

近づく気にもなれない。
頭から血を流して…男が崩れるように座ってた。
自分の血の気が引くのが解る。
恐怖、その恐怖は男に対する恐怖と男の状態に対する恐怖。

救急車、と一瞬だけ考えて、死んでるわけではないよな、と一歩近づいた。
男の目が開かれて、俺を捉えた。
逃げ出したくなるのに体は動かない…。

「おう…、帰ってきたか…」

明らかに酔っていた。
相手にしたくないけれど体は動かない。駆け込みたい自分の部屋は男の体が家の扉をふさいでいる。

「お前の母親にやられたぜ?どうすんだ。追い出されたし…」

俺には全く関係ない。
けど、男がこんな状態で…母さんは…?

ぞくっと鳥肌が立つ。

嫌な予感ばっかりが頭を巡って…。

「お前に手を出すなって、やっぱりやり直せないって…なぁ?お前もいい年齢だろ。出てったらどうだ?お前が居ないならこっちはうまくやれる。だから…」

男がゆらりと立ち上がった。
逃げ出したい足はすくんで動かない。
男の手は俺の頬に触れた。乾いた血と、まだ生乾きの血の感触。
頭から流れている血が手についているようだ。

「ふん、俺に向かって何か言ってみろよ、しゃべれねぇのか?お前の声なんてまともに聞いたことねぇなぁ」

男が俺の襟首をつかみ、持ち上げる。
身長のある人に引っ張り上げられれば苦しいものだ。
狭くなる気道にググッと喉が鳴る。



暖かい、体温が俺を後ろから抱え込んで。
どこから伸びてきたのかわからない足が、俺をつかんでいた男を蹴り飛ばした。


「―――!」

男がマンションの廊下に転がった。

「っ、」

吸い込んだ空気が痛くて、どこからともなく出てきた足の、見えた靴が石川さんの靴で、包まれてる匂いが石川さんで、喉の痛みで、涙が出た。

「大丈夫か、安立」

小さく頷いて、石川さんの暖かさに力が抜けた。

「警察呼びますよ」

石川さんの冷たい声、呼んでみろ俺は被害者だと喚いている男の声。
どこか遠くで聞こえて、意識をはっきりさせた頃には、男は後ずさりして階段を下りていった。

「…い、しかわさん?」

なぜこんなところに石川さんがいるのか…

そして、母さんは…?あの男が血を流し、そして母さんはどうなっているのか。

慌てて立ち上がり、震え出しそうな手で鍵を開けると、玄関で座り込んでいる母親の姿があった。

頭を上げた母さんは疲れた顔で俺を見上げると、表情を緩めた。
笑顔なんて良いもんじゃなくて、安心したような、ただそんな表情。
久しぶりに「星那」と小さな小さな…声で、名を呼ばれた。

「…怪我、して?」

俺の質問に頭を振ると、母さんの手から携帯が転がった。

「なぐ、っちゃって…携帯で。…頭から…っ」
「あいつは生きてたし…大した怪我じゃなかったよ」

久々の交わす会話がこんなので、ほんと普通じゃないな、って思う。また石川さんに見られてるのが情けなくてたまらない…。
母さんの視線が自分の頬に向けられて、俺は袖で顔を拭った。
もう乾いてしまった血が急に気持ち悪くなって、そのまま洗面所に駆け込んで顔を洗った。

石川さんと母さんの声が聞こえてきた。
母の状態を尋ねているようで、そして俺との――バイト先のことを、少し話して…。
母さんがリビングに向かうのと入れ替わりで廊下に出ると、石川さんを自分の部屋に促した。

こんな形で…部屋に来てほしくなかったな。
部屋は乱雑に置かれた物があふれてて、窓際には自分の洗濯物が掛かってて、ほんと…見られたくないものばかりだ。
おしゃれなんて縁遠くて、どこか埃っぽくて暗い部屋。

「大丈夫か」

「…んで、なんで、石川さん…」
「お前のこと後付けてた…」

いつから?石川さんの家を眺めて、それから家に帰ってきたんだ…どこから付けてたというんだ…。

「何も…言わねぇから。俺の周りそんなやつばっかりで…なんだかな、俺にできること全部逃してんじゃないかって思って…嫌になるよ」

石川さんの気持ちは置いて、俺と同じように石川さんで救われてるやつがいるのだ。
あの、自転車の後ろの奴だろうか。
その位置に憧れて、それでも石川さんにこんな表情をさせる。

「傷つける言い方したか?そんなつもりはないんだ、深く…考えるなよな」

別に、そんなことで今更傷つかない。石川さんがみんなに優しいことは最初からわかってたし。

「俺が、石川さんの…家の前で…ストーカーみたいなこと、してたのも…もう、バレたって事ですよね…」
「ストー…、まぁ…ちょっとびっくりしたけど、」

いたたまれず、顔を覆ってしゃがみこんだ。
嫌われる、気持ち悪いって…思われる。
最悪、嫌われたっていい。でも俺は訴えられてもおかしくないことしてて…。
ここで石川さんにやめろって言われたら、俺はやめるしかない。
でもやめたくない。
ずっと石川さんを見つめていたい。追いかけていたい。

「でも、なぁ。俺も今日お前にストーカーみたいなことしてここに居るわけだし?そこは“おあいこ”だよな」
「おあいこ…。でも、石川さん今日も友達が来てたんでしょ」
「あ―…、うん、まぁその話は無い、無くなって」

あぁ、友達が来るとか…俺についた嘘、

「…傷つくなよ」

傷つくも、つかないも、俺が勝手に石川さんを好きなんだ。
うっとうしがられたって仕方がない。
嫌われたって仕方がない。


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